Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第11号 | 2020年10月発行
研究ノート

話すことと成すこと、ふたつの「やりかた」ミシェル・ド・セルトーと「形式性」の問題

はじめに ミシェル・ド・セルトーを読むために
ひとつの視点

本稿の目的は、キリスト教霊性史家ミシェル・ド・セルトーの諸著作を体系的、包括的に研究するための、ひとつの足掛かりを提示することにある。

最初に、セルトーがどれほど多様な領域を渡り歩いた思想家であるかを概観しておきたい。初期イエズス会の会士らの書簡・文献の校訂からキャリアを出発したのち[1]、セルトーは、イエズス会系の雑誌『クリストゥス』に携わりながら、現代の霊性や教会・宣教についての直截な論考をいくつも著している[2]。それと同時並行で、ジャック・ラカンによるパリ・フロイト派設立に参加し、68年5月を「経験」とそれを語る言語の観点から思索しつつ[3]、歴史叙述をめぐる重要な論文を世に出してもいる[4]。70年代後半以降、セルトーはカリフォルニア大学サンディエゴ校へ赴任し、言語行為論をはじめとした英米圏の思想を吸収するが、それは、1980年の『日常的なものの発明』(L’invention du quotidien)における、人々のありふれた行為のもつ創造性の分析へと結実する[5]。晩年には、集大成的な著作である『神秘のものがたり』(La fable mystique, I)を出版し、神秘の系譜学とも言うべき独自の神秘主義の歴史を提示した。自身をひとりの「旅するひと」[6]として規定したセルトーの関心や活動の多様さは、以上から明らかだろう。

とはいえその「領域横断性」は、ある意味では、セルトーを研究する者を現在まで悩ませ続けている要素であることは確かである。そのことを示しているように思われるのは、2016年におこなわれたパリでのコロックをまとめている『ミシェル・ド・セルトー 業績の旅』である[7]。各種著作の生成過程や各国での受容やセルトーにおける幾人かの固有名の重要性が扱われる発表論考が数多く収録されている点で、本書は貴重である。しかしながら、多様な著作群がたしかにひとりの人物の成果であるのなら、それらを総合的に読み解く視点が提示されても良いだろう。

本稿は、セルトーを読むためのそのような視点のひとつとして、「形式」(forme)ないしは「形式性」(formalité)を挙げる。「形式」という概念がそもそも広い射程を有しており、それゆえformeという語の使用頻度は非常に高いということが当然予想されるのだから、それをひとつの主題として考察することには曖昧さが絶えず付き纏うという危険がある。それでもなお、「形式」はセルトーの様々なテクストを貫くトピックであることは疑いを容れないと思われる。その理由を明示しつつ、以下本稿は、セルトーが扱うふたつの領域を順に論じてゆきたい。

1. 神秘主義
ディスクールの形式性

第一に、『神秘のものがたり』における神秘主義(la mystique)の「形式」を検討しよう。セルトーがそこで述べる「神秘主義」とは、17世紀フランスにおいて隆盛する、時期としても地域としても限定された運動のことである。とはいうものの、セルトーが主題としているのはその運動の系譜学的な探究であるため、17世紀前後の時期やフランスの周辺諸国もが取り上げられている。そこで語られるのは、愚者や狂人という周縁的な存在によって開かれた特殊な実践知が、やがてひとつの「神秘的な」学知としての輪郭を受け取り[8]、まもなく「野蛮人」や「子ども」といった形象に引き受け直されて解消され、元の輪郭を失うといった過程である。

西洋の17世紀は、中世と近代の間にあって、新たな秩序への移行がおこなわれる時代であり、それをセルトーは「近代のとば口」と呼んでいる。そのような時代の特徴づけ、並びに神秘家の任務は、『神秘のものがたり』において次のように述べられている。

普遍的な語り手の統一性にも言葉と物との連接にも共通する、したがって、言表内容の正しさの証明と反証とを保証する普遍的な原理にも共通する、ア・プリオリなものはもはや存在しない。言語活動は異質な使用、異質な「様々な話しかた」によって多様化した。[…]神秘家のディスクールは、話されたり伝え合うことができる言語として機能するための条件を、自分自身で生み出さなければならない。[9]

セルトーはしばしば、「近代」と括弧でくくりながら、それを神の声が消失してゆく時代として論じており[10]、この点を考慮しながら引用文を解釈することができよう。すなわち、自然学的探究においても天文学や神学においても真理を保証する審級が同一であるという時代は終焉を迎え、聖書の記述と同一であることや教会法に従うといったことが、述べられる内容の正しさの支えとはならない、ということである。神や聖書がディスクールの「権威」となってくれる時代が終わったという自覚こそが、「近代」のはじまりで神秘家たちを拘束している状況設定であると、セルトーは診断しているのである。

本稿が論じるべき「形式/形式性」とは、このような視座のもとに現れる主題である。「神秘家のディスクールは、それが話されたり伝え合うことができる言語として機能するための条件を、自分自身で生み出さなければならない」という一節は、自分の権威は自分自身のうちに求めねばならないということ、つまり「ディスクールの形式性」[11]の自己生成こそが神秘家の仕事である、と解することができよう。この「形式性」という問題を、セルトーは、神秘家のディスクールにおいては「だれが、どこから語るのか」[12]、という問いへと変奏する。言うまでもなく、語り手である「わたし」と「わたし」がいる場所こそがこの問いへの答えとなる[13]。『神秘のものがたり』第六章においてジャン=ジョゼフ・スュランの『経験の学知』序文を読解するなかで、セルトーが人称代名詞の配置や移行について考察しているのは、以上のような問題設定、すなわち「形式性」(語りの場所の権威・基礎づけ)の考察が下敷きになっているためと思われる。付言しておくと、第六章では、神秘家たちが共有しているひとつの方向性、すなわち、神との直接的な交流を語りながら、神による救済の媒介者としての教会と同じ神を信仰していることを記さなければならない[14]、という困難な要請をクリアするためのテクスト戦略が描かれることになる。

2. 日常的行為
実践の形式性

『神秘のものがたり』において詳述される、不在の唯一者への愛、もはや聞こえない御言葉を希う神秘家が漂わせるノスタルジックな雰囲気と、『日常的なものの発明』のなかで列挙されていく、有象無象の消費者の「使用」(usage)や労働者の「ごまかし」(perruque)のもつ快活さとは、似ても似つかないほどかけ離れているように見える。それゆえ、両著作を並べて検討することはあまり建設的でないように思われるかもしれない。とはいえ、「住んだり、道を行き来したり、話したり、読んだり、買い物をしたり、料理したりすること」[15]といったありふれた行為のうちにセルトーが見出すのは、神秘家とは異なる意味での、だが同じように創造的な行為、「発明」である。神秘家が独自の「話しかた」(manière de parler)──花婿と花嫁の合一を謳う詩とそれを注釈する散文、または、魂とはダイヤモンドと水晶でできた透明な城であるというイメージ──を発明するのだとしたら、無名の民衆が何気なく発明するのは、「なにが使われたかは計算できても、どのように使われたかは計算できない」[16]、そんな独特な質をもつ生きかた、「もののやりかた」(manière de faire)[17]である。本稿は、セルトーにおいては神秘主義と日常的実践のいずれもが、「形式性」への問いに貫かれていると考えている。実際、セルトーは『日常的なものの発明』「概説」の「実践の形式性」(la formalité des pratiques)と題された箇所で、次のように述べている。

このように形も様々で断片的な諸々の操作は、細部にかかわっており、時と場合に応じて変化し、様々な装置──操作とはその装置の使用法である──のなかに忍び込んで姿を隠しているのであって、固有のイデオロギーも制度も備えているわけではないが、なんらかの規則に従っているのではないかと考えられる。このような実践にはひとつの論理があるにちがいない、とも言い換えられよう。これは、古くから存在する問題、技法とは何か、あるいは「もののやりかた」とは何か、という問題に遡ることである。ギリシア人からカントを経てデュルケームに至るまでの、ある長い伝統が、上で述べたような操作を説明できる複雑な(単純とか「貧弱」とは決して言えない)形式性を明らかにしようと努めてきたのだ。[18]

太古の昔から現代にいたるまで、創造的で凡庸な行為が連綿と見いだされ続けてきたというのは、いささか壮大な見立てと思われよう。しかしながら本稿は、このように甚だしく広い射程を備えた構想を提示するセルトーと、歴史家の営みをきわめてドライなしかたで裁定したセルトー、そのいずれをも尊重しなければ彼の「総合的な」研究は達成できないと考える。

日常行為と神秘主義とに跨る彼の「形式性」の視点は、その分析手法、すなわち、神秘家のディスクールも、街を歩いたりTVを見たりすることも同様に一種の言表行為として捉え、独特な「レトリック」や「スタイル」を取り出すというアプローチと無関係ではない(ここにはバンヴェニストや言語行為論からの影響が多分に見出される)。ありふれた行為もひとつの「語り」なのであり、そこには神秘主義と同じように「語りの場所」(だれが、どこから語るのか、という権威や基礎づけ)の問題が含まれている、とセルトーは見ている。とはいうものの、無名のひとは言表行為の場所を(神秘家のように)一からつくり上げるのではない。そうではなく、所与の場所や語彙を流用し「再利用する」(réemployer)のである。このようなその場しのぎの実践こそが「一望監視的な」合理化のシステムに対する有効な攻撃だとセルトーは考えているようだが、彼の記述を以上のように整理したとしても、具体的で明瞭な理解には未だほど遠い。二次文献まで考慮されたテクストの詳細な読解は、次稿以降の課題としたい。

Notes

  1. [1]

    Petrus Faber, Mémorial, traduit et commenté par Michel de Certeau, Paris, Desclée de Brouver, 1960 ; Jean-Joseph Surin, Correspondance, texte établi, présenté et annoté par Michel de Certeau, préface de Julien Green, Paris, Desclée de Brouwer, 1966.

  2. [2]

    Michel de Certeau, L’étranger ou l’union dans la différence, éd. Luce Giard, Paris, Desclée de Brouwer, « Point Essais », 2005.

  3. [3]

    Michel de Certeau, La prise de parole et autres écrits politiques, Paris, Seuil, « Points Essais », 1994.

  4. [4]

    認識論的な観点から歴史叙述の営みを探究した論考「歴史を書く」(« Faire de l’histoire »)、「歴史記述操作」(« L’opération historiograhique »)はMichel de Certeau, L’écriture de l’histoire, Paris, Gallimard, « Folio Histoire », 2002に収録されている。

  5. [5]

    Michel de Certeau, L’invention du quotidien, 1. Art de faire, éd. Luce Giard, Paris, Gallimard, « Folio Essais », 1990.

  6. [6]

    Michel de Certeau, « L’expérience spirituelle », L’étranger ou l’union dans la différenceop. cit., p. 1. この論考には以後展開されることになるセルトーのアイデアの萌芽がいくつも含まれている。例えば、霊性家の「経験」を幻視や霊的直観として狭義の意味合いで解するのではなく、はじめに特異な出来事があり、それから、出来事をいかに解釈し語るかといった段階があって、さらに他者との交わりという「共同の生」がある、というような霊性についての観念が挙げられよう(Ibid., p. 4-9)。また、ハイデガーに触発されたと述べる「~なしにない」(pas sans)という着想(Ibid., p. 9-10)は、『神秘のものがたり』における「あなたなしにはない」(pas sans toi)という神秘家のテーマと相通ずる(Michel de Certeau, La fable mystique I, XVIe-XVIIe siècle, Paris, Gallimard, « Tel », 2003, p. 9)。

  7. [7]

    Luce Giard (dir.), Michel de Certeau. Le voyage de l’œuvre, Paris, Facultés Jésuites de Paris, 2017.

  8. [8]

    おおまかに見るなら、学知としての神秘主義の成立過程については『神秘のものがたり』第三章から第四章で詳述される。そこでは、アンリ・ド・リュバックによる「神秘体」をめぐる秘跡論・教会論(Henri de Lubac, Corpus mysticum. l’Eucharistie et l’Église au Moyen Âge. Étude historique, sous la direction d’Éric de Moulins-Beaufort, Paris, Cerf, 2009)やジャン・ジェルソンが重要な役割を果たした「神秘神学」の成立、偽ディオニュシオス・アレオパギテースによる文書の伝播・解釈などが問題となる。

  9. [9]

    Michel de Certeau, La fable mystique, Iop. cit., p. 225-226.

  10. [10]

    Cf. Michel de Certeau, L’invention du quotidienop. cit., p. 202-203.

  11. [11]

    Id., La fable mystique, Iop. cit., p. 28.

  12. [12]

    Ibid., p. 244.

  13. [13]

    『神秘のものがたり』第六章第二節「魂のフィクション、「住まい」の基礎(アヴィラのテレジア)」を併せて参照のこと。Cf. Ibid., p. 257-273.

  14. [14]

    「神秘家のディスクールは、教導的な教えとは別の位置にいながらも、それと同じ神を証言していると主張する。(「神秘家」としては)異なる場所から語り、(「キリスト教徒」としては)同じ霊感を受けていることを同時に証明しなければならない。」(Ibid., p. 248.)

  15. [15]

    Michel de Certeau, L’invention du quotidien, op. cit., p. 65.

  16. [16]

    Ibid., p. 58.

  17. [17]

    Ibid., p. 51, 151.

  18. [18]

    Ibid., XL-XLI.

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福井 有人「話すことと成すこと、ふたつの「やりかた」——ミシェル・ド・セルトーと「形式性」の問題」 『Résonances』第11号、2020年、58-62ページ、URL : https://resonances.jp/11/certeau-formalite/。(2024年04月27日閲覧)

執筆者

所属:超域文化科学専攻(表象文化論)
留学・在学研究歴: