Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第12号 | 2021年10月発行
研究ノート

ショーケースのマネキンか、檻のなかの獣かコレットと法廷のエクリチュール

コレットの長年の友人ジャン・コクトーは、彼女の死後、ベルギー王立アカデミーの席を受け継ぐことになった。入会に際する追悼演説には、亡き友人の面影を浮かび上がらせる数々の逸話に、その創作の核心にせまる密度の高い言葉が織り交ぜられている。なかでも「強調してもしきれないが」と前置きされた次の一節に着目しよう。

マダム・コレットが偉大なのは、彼女が善と悪とを振り分けられぬがゆえに、無垢なる状態にあるからです。この無垢なる状態は、身勝手に模造された慣習的な純粋さではとても代替がききません。そんなものは自然のおぞましい純粋さといささかも関係ないのであり、人間はこの自然の純粋さを、人間の秩序という無秩序、人間の法廷の不合理な判決で台無しにしているのです[1]

コレットは「無垢」で、「自然のおぞましい純粋さ」の側に身をおき、「善と悪を振り分けられ」なかったという。しかしこの命題は一息では言い切られず、各項を際立たせるように対立項 —— 「模造された慣習的な純粋さ」「人間の秩序という無秩序」「法廷の不合理な判決」 —— が導入され、うねるような一節を成している。さらに興味をひくのは、最後におかれた「法廷」のイメージである。ここにもまた、コレットへのオマージュを読み込むことができる。彼女は長年にわたって重大事件、とりわけ連続殺人犯の公判を傍聴し、新聞に多くの記事を寄稿した。コクトーは、殺人犯を見つめ、書かずにはいられないその姿にこそ、作家コレットの真実を見たのではないか。

1921年11月8日『マタン』紙一面は、のちにチャップリン『殺人狂時代』のモデルともなった連続殺人鬼ランドリュの独壇場となった。公判中の彼の様子を伝える写真やカリカチュアとならび、コレットの傍聴記事が載せられている(図版参照)[2]。「彼の登場だ(C‘est son entrée)」という出だしは、コレットがやはり長年にわたり書き継いだ劇評を思わせる。傍聴人の視線を一気に集めるランドリュの求心力が主演俳優の佇まいを思わせるばかりでなく、その特徴的な眉はつくりものの「付け髭(postiche)」に見えてしまう —— コレットは現実を虚構として切り取りながら、司法空間のはらむ演劇性に深く触れている。他方、メディアに流通するステレオタイプとは裏腹に、間近でかれを見ると「どこか不可解なところ(quelque chose d’indéfinissable)」[3]があるともいわれる。

再びランドリュに触れた「殺人犯たち(Assassins)」[4]という記事では、上記の「不可解さ」がより繊細に書き込まれている。記事は当時開催中だったジェリコー没後100周年展の話題ではじまり、《殺人狂》と題された肖像画にランドリュの表情が重ねられるのだ。

《殺人狂》をよく見ると、我々から切り離された無頓着な表情、唐突に気分を害されたかのような吊りあがった眉毛、どこか無関心さや高慢さが認められた、一見しただけでは気づかなかったけれど。心神喪失者らしいほてった顔色とねじれた唇を度外視すれば、それ以外の顔つきはランドリュを思わせる[…][5]

見るものとの隔絶、絶対的な無関心こそが殺人狂の「不可解さ」の核心である。100年後の殺人狂ランドリュをありありと想起させたジェリコーの描写の迫真にも驚くべきだろうが、いま注目すべきは、そうした連想も「心神喪失者らしいほてった顔色とねじれた唇」を消去してはじめて可能になるとされていることである。ジェリコーが「ほてった顔色とねじれた唇」を描き込んだのは、実のところ、ラファーター流の観相学、すなわち個人の精神的傾向と相貌の関係の分析・分類をもくろむ学知の影響下でのことだった[6]。同時に、たとえばバルザックが登場人物を描き分けるコードとして利用した観相学は、大衆にも馴染み深いクリシェを構成した。バルザックの熱心な読者コレットは、殺人狂の肖像に現れた観相学的特徴を認識しつつ、しかしそのクリシェを消去したときに浮きあがる断絶感こそ、ランドリュの「不可解さ」の正体であるといっている。コレットは19世紀以降マスメディアが反復してきた観相学的な視座を引き受け、そして脱臼させる。

しかし空転しているのはマスメディアだけではない。司法もまた同様であり、コレットは法廷という制度空間に飛び交う言葉の機能不全を次のように指摘している。

我々は少しずつ悟ることになる —— その印象が際立つのは、次席検察官の刺々しい脅迫や、民事検察官の食ってかかるような調子、弁護側のせせら笑い、聴衆のあからさまな不平のざわめきがあってのことだが —— 我々がスキャンダラスな印象を覚えるのは、この公判でただひとりだけが礼儀作法をわきまえ、「行儀良く」していて、そのひとりというのが不名誉な座に腰掛けた当の男であるからだ[7]

秩序の側に立つ法律家、傍聴席の観衆は、「狂気」の徴を殺人犯に投影しようとして失敗したあげく、皮肉なことに、その逸脱の記号をみずから纏ってしまう。コレットはその状態をこそ「スキャンダル」と呼んでいる。舞台中央の「躓きの石スキャンダル」が完全に人間を模した「ショーケースの紳士服をきたマネキン」[8]のようだからこそ事態はおぞましい。彼女の筆は舞台にかけられた殺人犯の心理を安易に分析するのではなく、社会が自身と似て非なる「不可解なもの」と対する時の揺動を感じとり、劇場全体のざわめきを書き留めている。

では、殺人犯は永遠に理解不可能な存在ということになるのか。そうでないことはむずかしい。もっとも顕著な要因は、すでに見たとおり、犯罪者を表層的にしか捉えられない言葉の硬直性である。「ショーケース」の「マネキン」に「縁日の射的」[9] さながらの言葉を放つばかりの法廷は、「秩序の無秩序」を露呈させる空虚なスペクタクルにほかならない。

だが、コレットはさらに別の問題を取り上げ、そこに「不可解さ」の理解にかろうじてつながりうる道筋を見ている。それは、長期勾留という営為が惹起する問題である。ランドリュ裁判からおよそ15年後、ワイドマンという連続殺人犯をめぐる記事でコレットは次のように主張する —— 長期間の勾留は殺人犯を変質させ、その「残留物」を裁きの俎上に載せても無意味である、「重罪院はかつての活動的で溌溂とした殺人者とはまるで異なる人物を裁く」だけなのだから[10]。ランドリュが「檻に入れられた獣」[11]にも喩えられていたことを指摘しておこう。なるほど、そのように、野生の動物の本性は人間の不条理な制度に閉じ込められることで萎え、失われる。しかし次の一節は、そのような状況下で「不可解さ」あるいは「野性」が生き残る唯一の可能性を陰画的に示している。

牢屋にいるあいだ、ワイドマンはみずからを知らしめる手段の一切を、読むものも書くものも、杓子定規に奪われている。書くことは、囚人にとって最大の誘惑であって、最初は文学的な嘘からはじまるけれど、少しずつ魅惑的なもの、すなわち信じられないような真実へ近づいていってしまうものだ[12]

「書く」ことは、避けがたく「文学的な嘘」(先述したステレオタイプ的な模倣を想像すべきだろう)としてはじまりながら、しだいに囚人をほかの誰にも到達しえない真実、コクトーの表現を借りれば「自然のおぞましい純粋さ」へ引き寄せてゆくはずだ。外側から記述されえぬ真実は、紙とペンという「誘惑」とともに、内側から引き出されうる。

しかし、囚人にとって「書く」ことが最大の「誘惑」であるとコレットがいいえたのは、なぜか。彼女が刑事犯であったことはない。しかし彼女にとって書くことは、まさに「勾留」の経験からはじまった —— この記事と遠からぬ時期に書かれた回想録『私の修行時代』で、コレットはそのように告白している。最初の夫ウィリーのゴーストライターとして執筆をはじめた彼女は、「夫の手」でなかば監禁され、原稿を書き続ける生活を送った。このような暴力を甘んじて受けていたことは名誉にならないと認めつつ、しかしそこで得た「技術」こそ、自身の作家人生の根幹を成すことになったと振り返っている。

わたしが彼の手に負っているのは、わたしの持っているもっとも確かな技術、それは書く技術ではなく、待ち、隠し、かけらを集め、原型を復元し、継ぎあわせ、再び金で飾る技術、悪しき道を最善の道に変え、移ろいやすい生への意欲を失いながら獲得する、そんな家庭的な技術(art domestique)なのだ……とりわけ学んだのは、四方を壁に塞がれながら、あらゆる逃避に成功することであった[…][13]

「勾留」をとおして獲得した技術は「書く」ことではないといわれている。しかし続く箇所と照らし合わせると、コレットの意図はむしろ「書く」という技術を再定義することにあったと考えるべきだろう。作家にとっての根源的営為である「書く」ことは、文学的な虚構を交えた文章を仕上げる技術に還元されるのではなく、「悪しき道」に引き込まれ破砕されてしまった大切なもの、そのかけらを密かに集め、再構成し、「最善の道」へと変容させるプロセスにほかならない。そのようにして取り戻されねばならないものとは、文脈を踏まえると、結婚を境に奪われた彼女の「本性(nature)」であることは明白だが、「家庭的な技術(art domestique)」という表現はその密かな抵抗のありようを見事に表現している。« domestique »は「家庭の」という意味のみならず「(動物が)飼い慣らされた」という意味も含んでいる。コレットにとって「家庭」という制度は、そこに組み入れられるものが持っていた「野性」を台無しにしてしまう「檻」であり、しかしだからこそ、その檻の内にいながら檻の外へ逃避し、「自然(nature)」を再構成するための抵抗の技術として「書く」ことが編み出される。コレットにとって「書く」ことは、本質的に「家庭」という檻に入れられたものの「獄中記」にほかならない。不条理な法制度下に拘留される殺人犯は、家庭に入る「獣」、そして作家の原型ともいうべき形象なのである[14]

傍聴席にすわるコレットには、連続殺人犯への二つの態度が共存していた。「マネキン」としての殺人犯に絶対的な断絶を感じる一方、「檻のなかの獣」としての殺人犯には、「書く」という営為をとおして、自らの分身を見てとっている。そのまなざしは社会的通念としては「不謹慎」であるかもしれない。しかし「善悪」を判断することができず、引き裂かれつづけたからこそ、彼女は書きつづけた。この「飼い慣らされた技術」を終生磨きつづけたゆえだろうか、コクトーの述懐によると、コレットの目はさながら「動物園の檻のなかにいる雌ライオンの目」[15]であったという。その言葉はコレットのエートスそのものを見透かす「観相学」の所見となっていて、亡き作家への考えうる最大の賛辞であったに違いない。

Notes

  1. [1]

    Jean Cocteau, Colette. Discours de réception à l’Académie royale de langue et de littérature françaises suivi du discours d’accueil de M. Fernand Desonay, Paris, Grasset, 1955, p. 35.

  2. [2]

    この記事と同年12月1日付『ルヴュ・ド・パリ』掲載の記事を合わせたテクストが「ランドリュ」と題され『牢屋と楽園』に収められている。Sidonie-Gabrielle Colette, Prisons et Paradis, Œuvres, édition publiée sous la direction d’Alain Brunet et Claude Pichois, Paris, Gallimard, « Bibliothèque de la Pléiade », 4 vol., 1984-2001, t. III (1991), p. 746-749.

  3. [3]

    Ibid., p. 746.

  4. [4]

    この記事は同じタイトルで『日々の冒険』(Aventures quotidiennes)に収められた(Œuvres, op. cit., t. III (1991), p. 84-87)。

  5. [5]

    Ibid., p. 84.

  6. [6]

    ジェリコーは、一連の肖像画の依頼主であるサルペトリエール病院のジョルジェ医師から観相学の知見を得たという。なお《殺人狂》は、現在では《窃盗狂》というタイトルで知られている。以下を参照した。Germain Bazin, Théodore Géricault, Paris, Wildenstein Institute, 7 vol., t. VI (1994), p. 73.

  7. [7]

    Colette, « Landru », op. cit., p. 746.

  8. [8]

    Ibid., p. 747.

  9. [9]

    コレットは別の裁判記事で、司法が定型句を繰り返すことでしか犯罪者の罪を表現できない様子を「縁日の射的の規則正しさ(une régularité de tir forain)」と述べ、痛烈に批判している。Colette, « Monstres » dans Mes Cahiers, Œuvres complètes, Paris, Club de l’Honnête Homme, 16 vol., t. XIV, 1973, p. 178.

  10. [10]

    Ibid., p. 177.

  11. [11]

    Id., « Landru », op. cit., p. 747.

  12. [12]

    Id., « Monstres », op. cit., p. 178.

  13. [13]

    Id., Mes apprentissages, Œuvres, op. cit., t. III (1991), p. 1031-1032.

  14. [14]

    コレットはウィリーによる「拘留」生活の終盤、『動物たちの対話』をはじめとして、飼い猫や飼い犬を主たるキャラクターとしたフィクションをいくつか書いている。タイトルのとおり動物たちの対話篇になっているが、その形式は擬人化された動物たちによる「寓話」に連なるというより、徹底してコレット自身が置かれた状況を表現するための枠組みであったと考えるべきだろう。

  15. [15]

    Jean Cocteau, Colette, op. cit., p. 32.

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伊藤 靖浩「ショーケースのマネキンか、檻のなかの獣か——コレットと法廷のエクリチュール」 『Résonances』第12号、2021年、39-44ページ、URL : https://resonances.jp/12/colette-et-lecriture-juridique/。(2024年10月06日閲覧)

執筆者

所属:超域文化科学専攻博士課程(表象文化論、2020–)
留学・在学研究歴: