Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第12号 | 2021年10月発行
研究ノート

語られる音、語られない音グリモ・ド・ラ・レニエールのテクストにおける咀嚼音をめぐって

「『美食家年鑑』は料理書ではない。我々の務めは、読者諸君の食欲を刺激せんとすることにある」[1]。1803年から1812年にかけて出版された『美食家年鑑』において、著者グリモ・ド・ラ・レニエールはこう宣言している。この年鑑は、レシピを伝授する料理書とはたしかに異なり、調理のためのマニュアルではない。『美食家年鑑』と、この年鑑刊行中の1808年に出版された『招待主の手引書』[2]のなかで、グリモはそれぞれの季節に供するべき食材や健康のために望ましい食し方、身につけるべき食卓作法を伝授し、料理や食材、料理人をめぐるさまざまな逸話を提供している。さらに彼は「食審委員会」による批評を行い、そこで「認証」された品々が翌年の『美食家年鑑』に掲載されるというシステムを作り上げた。当時極めて独創的だったこの発明こそ、グリモがフランス美食批評の伝統の創始者とされるゆえんである[3]。彼の著作の大きな特徴は、実用的な情報の量に優れながらも、その文体が文学的調子を失わないことにある。グリモは若くして文学に傾倒し、フランス革命の前夜にはメルシエやレティフ・ド・ラ・ブルトンヌなどの作家たちと親交を深めた[4]。そんな彼は、本稿冒頭で引いた言葉どおり、読者の感受性に訴える文章を書くことに心を砕いている。レストランや仕出し屋がひしめくパリを描き出し、料理を批評するにあたり、グリモはその筆をもって、視覚が捉える風景や色、料理の味、時にはにおいや食感を読者に伝え、その味覚に語りかけようとする。

しかしそのようなグリモのテクストにおいて、五感のなかで唯一周縁に追いやられている感覚が、聴覚である。具体的に言えば、ものを噛んだり飲み込んだりするときに体の内部から響いてくる音に関する記述が極めて少ないのである。グリモが感覚的な描写に多く筆を割いているにもかかわらず、これらの音が書かれないのはなぜなのだろうか。もっともこれは、私自身が現代日本語文化のなかで生きてきたからこそ抱き得る問いであろう。飲み食いしたもののおいしさを日本語で伝えるときには、しばしば「サクサク」「パリッ」などといった擬音語が用いられるだけに、グリモのテクストにおけるこれらの音の不在は不思議なものに思われる。しかし、どの時代や文化圏においても、食行為が音を伴うということは変わらないはずであるし、それらの音について語るのか語らないのかということそのものが、何らかの文化的特性を示しているに違いない。本稿では、グリモのテクストにおいて語られる音、語られない音に着目しながら、彼が食行為の発する音にどのような意味を付与していたのかを探るためのヒントを示したい。

グリモは、「おいしい」「酸味のある」「柔らかい」など様々な言葉を用いて食べ物の味や食感を表現しているが、そのなかに嚙み砕く音や飲み込む音を表す言葉はほとんど登場しない。しかしながら、唯一音の情報を含む語として現れるのがcroquant(クロッカン)という形容詞である。「パリパリした」、「カリカリした」など、日本語に訳そうとするとオノマトペをあてるしかないこの語は、18世紀末のフランス語辞書によれば、「噛むと音を立てる」食べ物を形容する言葉である[5]。実際グリモは、揚げ物、ビスケット、乳のみ豚の丸焼きのこんがり焼けた皮などについて語るのにこの語を用いている。彼のテクストにおけるcroquantという語の使用頻度はけっして高くはないものの、この語を用いて語られる食品に関しては、サクサクあるいはカリカリした食感はおいしさの決め手ともいえる重要な地位を与えられている。乳のみ豚について語るグリモの言葉を聞いてみよう。彼は、豚が食卓に供されたならすぐにその頭部をナイフで切り分けることを勧めながらこう述べる。「これが乳のみ豚のカリカリした(croquant)皮をいただく唯一の方法であり、そうしなければ皮はふやけてしまう。〔…〕こんがり焼けた、カリカリとして歯ごたえのある皮こそ、乳のみ豚の最も繊細でおいしく格別な部分であるだけに、こうした用心は欠かせない」[6]。グリモは揚げ物についても同様に、その食感を損なわないよう高温の油で仕上げることを勧めている。彼のテクストのなかで、croquantは常に、固さや食べごたえではなく「軽さ(légèreté)」や「繊細な(délicat)」イメージと結びつけられている[7]。彼によれば、これらの焼き物や揚げ物は、調理や食卓での切り分けの段階でわずかな失敗があれば「しまりのない(mou)」食感になってしまうおそれがある。最終的にその表面が「軽さ」を感じさせる音を口内で響かせるのは、一流の料理人や食卓の主催者の腕前の賜物なのである。

Croquantという形容詞はこのように、高温で調理された品々をポジティヴに語る際に使われるのだが、その他の食材については、グリモは一度もこの語を用いない。Croquantという語ではないにせよ、食べ物を咀嚼したときの音を表す表現が何かしらあってもよいように思われるが、グリモのテクストにはそれがない。この音の不在は、何を意味するのだろうか。

その答えの一部は、近世後期の貴族たちの食の嗜好と、当時広まっていた礼儀作法に求めることができるだろう。中世やルネサンスのヨーロッパ貴族の料理と比べ、17-18世紀のフランス料理は、食卓の中心を占める肉料理のみならず、野菜の種類とレシピを大幅に増やしたことが知られている[8]。また、この頃には上流階級の人々が果物を好むようになり、邸宅の庭に菜園や果樹園を構えることが上流人士の嗜みとみなされるようになった[9]。この流行のなかで特に好まれたのが、グリンピースやアスパラガス、ハーブ、葉物野菜のような柔らかい青物、洋梨、イチジク、桃であった[10]。これらの作物は柔らかで傷みやすく長期間保存できないうえ、食べごたえよりもその風味のために重用された。よってこれらの青果への嗜好は、日々の食事に事欠かないエリートたちの社会的地位と良き趣味のしるしであった[11]。対照的に、干し豆のように保存がきき満腹感が得られるものや、生のリンゴのような固い果実は農民の食料と考えられた[12]。当時の階級社会では、それぞれの身分に応じたふさわしい食べ物があるという考え方が広く共有されており、人間と同様食べ物にも、想像上のヒエラルキーが与えられていたのである[13]。グリモもまた、「とろけるように柔らかい(fondant)」メロンや桃、洋梨、イチジクなどの果物を好ましいものとして紹介しており、貴族たちの嗜好を受け継いでいることがわかる[14]。固い果実や乾燥した豆類は、その咀嚼が強い力を要し大きな音を立てることからも、繊細な貴族のイメージからはかけ離れたものとされ、身分の低い人びとの食べものとみなされた[15]。近世期の礼儀作法書が、食事中に唇や歯、喉から音を立てる行為を無作法なものとして禁じていることからもわかるように、上流階級の食卓では、身体から発する音を極力小さくし、他者の耳に入らないよう気遣うことが求められたからである[16]。これは、エリアスが『文明化の過程』のなかで行った定式化に則れば、食行為から「動物的性格」を排除する試みとみなせるだろう[17]。上流人士の食卓は、消化器官の発する音をできるだけ排除することで、動物の捕食行為からも粗野な民衆の食事からも距離を取り、文明化された人間らしい装いを得るのである。ここでグリモのテクストに立ち戻ってみよう。彼もまた、「不快な音を立てながら食べる」[18]無作法な食べ手を非難している。グリモにとっても、身体の発する音を響かせることは名誉ある食べ手にふさわしくないふるまいなのである。それゆえ、料理について肯定的に語るボキャブラリーのなかに咀嚼の音を表現するものは現れにくいのだと考えられる。一方で、croquantと表現される食感が、噛んだときの音を伴うにもかかわらず好ましいものとなるのは、それが自然のままの食材の歯ごたえではなく調理のテクニックによって実現され、かつ繊細で軽い印象を与えるものだからであろう。

以上、本稿はグリモのテクストにおける音の表現について、近世後期の上流階級の人びとの柔らかい食材への嗜好や、食行為の動物的性格の排除という観点から考察した。だが、これらは食べる身体が発する音の感じ方やその表現の仕方について考えるための論点の一部にすぎず、今後さらに検討すべき課題は残る。例えば、同じカリカリとした食感でも、晩餐会で供される乳のみ豚と、軽食に添えられるビスケットでは役割が違うと思われる。これらの食感の効果については、食事全体の構成やほかの料理との関係において考えなければならない。また、食感や音を表す語彙についてはおそらく、グリモの著作や食をめぐる言説に限らず、フランス語という言語の特性を言語学や音声学の視点から踏まえた検討が求められるだろう。さらに、日本語を含む他言語や、他の文化圏の食文化との比較によって見えてくるものもあるに違いない。文化によって味の好みやおいしさの感じ方に違いがあることは知られているが、おいしさの語り方の違いはまだ解明されていない。フランスの食文化をよりよく理解するには、その歴史と言語についての知見を深める必要がある。

Notes

  1. [1]

    Alexandre Balthazar Laurent Grimod de La Reynière, L’almanach des Gourmands [Paris, 1803-1812], texte intégral des huit années, Gallardon, Menu Fretin, 2012, p. 529 [5e année].

  2. [2]

     Id., Manuel des Amphitryons [Paris, 1808], Chartres, Menu Fretin, 2014.

  3. [3]

    「食審委員会(Jury dégustateur)」については、橋本周子『美食家の誕生』名古屋大学出版会、2014年、34-54ページを参照。

  4. [4]

    Ned Rival, Grimod de La Reynière, Paris, Le Pré aux Clercs, 1983, p. 63-65.

  5. [5]

     « Croquant », Dictionnaire de l’Académie françoise, 5e édition, Paris, J. J. Smits, 1798.

  6. [6]

    A. B. L. Grimod de La Reynière, Manuel…, op. cit., p. 44.

  7. [7]

     Id., L’almanach…, op. cit., p. 565 [5e année].

  8. [8]

     J-L.フランドラン、M.モンタナーリ編『食の歴史III』宮原信、北代美和子監訳、藤原書店、2006年、876-878ページ。

  9. [9]

     Florent Quellier, Histoire du jardin potager, Paris, Armand Colin, 2012, p. 90-119.

  10. [10]

    Ibid., p. 101-102. Id., Des fruits et des hommes, Rennes, Presses universitaires de Rennes, 2003, p. 65-70.

  11. [11]

    F. Quellier, Histoire…, op. cit., p. 92-94. 趣味(goût)による社会的卓越化の理論は、食文化史の研究者たちが過去の人びとの味覚(goût)について考える際にも参照されている。ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』石井洋二郎訳、藤原書店、1990年。Jean-Louis Flandrin, « La distinction par le goût », Phillipe Ariès et Georges Duby (dir.), Histoire de la vie privée de la Renaissance aux Lumières, Paris, Seuil, 1986, p. 267-309.

  12. [12]

     F. Quellier, La table des Français, Rennes-Tours, Presses universitaires de Rennes/Presses universitaires François-Rabelais de Tours, 2013, p. 30-33. Id., Des fruits…, op. cit., p. 66-67.

  13. [13]

    Madeleine Ferrières, Histoire des peurs alimentaires, Paris, Seuil, 2002, p. 82-86.

  14. [14]

    A. B. L. Grimod de La Reynière, L’almanach…, op. cit., p. 273-276, p. 284-286 [3e année].

  15. [15]

    F. Quellier, Histoire…, op. cit., p. 101-102.

  16. [16]

    例えばラ・サールは、「ポタージュを口に入れたら、どんな小さな音も人に聞かれないよう、控えめに飲み込まなければならない」としている。Jean-Baptiste de La Salle, Les Règles de la bienséance et de la civilité chrétienne [1695], Reims, Regnauld Florentain, 1736, p. 94. 以下の箇所も参照。Ibid., p. 24, p. 99, p. 103.

  17. [17]

    ノルベルト・エリアス『文明化の過程・上』法政大学出版局、2010年、182-262ページ。

  18. [18]

    A. B. L. Grimod de La Reynière, L’almanach…, op. cit., p. 262 [3e année].

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齋藤 由佳「語られる音、語られない音——グリモ・ド・ラ・レニエールのテクストにおける咀嚼音をめぐって」 『Résonances』第12号、2021年、29-32ページ、URL : https://resonances.jp/12/bruits-consideres-et-ignores/。(2021年12月08日閲覧)

執筆者

所属:東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程(2015年-)
留学・在学研究歴:トゥール大学人文社会学修士課程食文化歴史学科(2016-2017年)、アンジェ大学博士課程(2018年-)