Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第12号 | 2021年10月発行
研究ノート

19世紀初頭のフランスにおける
「内景画(intérieur)」受容再考 ──アドルフ・ティエールの批評に着目して

はじめに

19世紀初頭のフランスでは、建築物(特に宗教建築)の内部の光景とその中に差し込む光を主に表現する「内景画(intérieur)」が流行した[1]。この絵画ジャンルは17 世紀のオランダで誕生したが、その制作を19世紀初頭のフランスで流行させたのは1799年のサロンに《回廊の内部》を出品したフランソワ=マリウス・グラネ(1775-1849)である。同時期のフランスではまた、中世以降の時代を舞台とする主題やオランダの風俗画のように緻密な描写、作品のサイズの小ささを特徴とする「トゥルバドゥール絵画」も流行していた。その様式は、フルーリ=フランソワ・リシャール(1777-1852)が 1802年のサロンに出品した作品《夫のオルレアン公爵の死を嘆くミラノのヴァランティーヌ》[図版1]によって確立された。トゥルバドゥール絵画は、過去の英雄を描きながらも、その武勲を称える歴史画とは質を異にすることから「逸話的絵画」とも呼ばれている。内景画やトゥルバドゥール絵画に関する研究は近年充実を見せ、フランスではこれらを本格的に取り上げた展覧会が開催されている[2]

内景画とトゥルバドゥール絵画、あるいはそれぞれの代表的な画家であるグラネとリシャールの作品に対する同時代批評は、しばしば同じ媒体の異なる場所で扱われているため、両者が当時から別個のジャンルとして認識されていたことは確かである。しかし、この二つの絵画ジャンルの画風が記念物の内部を背景とする点などにおいて類似する場合があるためか、先行研究では両者が明確に分けては論じられない傾向にある。本稿では王政復古期の批評家アドルフ・ティエール(1797-1877)の内景画評に着目し、内景画がトゥルバドゥール絵画とは異なる評価の変遷を辿ったこととその背景の一端を、現時点での見解に基づいて提示したい。なお、本稿は筆者のこれまでの勉強に基づく試論であり、今後参照するべき資料は多く残されている。

1, トゥルバドゥール絵画と帝政期的な芸術観

内景画とトゥルバドゥール絵画を明確に区別することは時に困難である。例えばリシャールの《タルモン王の死》[図版2]は、前述の定義に基づくと、両者の要素を併せ持つ作品だと言える。しかし、本作とグラネの《ローマのサンタ・キアラ修道院の内陣で聖職者になるアルバーノの若い娘》[図版3]を比較すると分かるように、リシャールはグラネよりも少数の人物像を、その顔の表情が読み取れる程度に大きく描く傾向にある。リシャールは実際、内景画との差異化を意識して、キアロスクーロのみならず何か興味深い場面を表現することにより、トゥルバドゥール絵画の様式を創り出したのであった[3]

トゥルバドゥール絵画は、さかのぼると帝政期に特有の芸術観を反映するジャンルであったと言える。恋人同士の別れや複雑な恋愛関係をしばしば主題に取り上げるリシャールの作品はしばしば「ほろりとさせる(touchant)」と形容されたり、穏やかな感動を求める鑑賞者の興味を引くと評されたりしていた[4]。ところで、文筆家ヴィクトラン・ファーブル(1785-1831)は1806年のサロンを総括する中で以下のように述べている。

全ての芸術は道徳的な目的に向かうべきなのではないだろうか? 全ての芸術は我々の魂に美徳の崇高な情熱と、悪に対する嫌悪と軽蔑を掻き立てる使命があるのではないだろうか[5]

ファーブルはこれに続いて、勇敢な人間性や寛大な献身、敗北と更生を運命づけられた罪、そしてリシャールの作品に多く見られるような、涙を誘う不幸な恋愛を描くよう画家たちに求めている。人間の内面の葛藤や情熱の表現によって鑑賞者の心を動かし、善悪の分別を問うような作品を求めるファーブルの批評は、革命期の動乱を経て、精神的秩序の回復が望まれていた帝政期の状況を反映しているであろう[6]。人物を用いた物語表現を重視するリシャールのトゥルバドゥール絵画は、グラネの内景画よりも、こうした帝政期の求めに応えるジャンルであったと考えられる。

2, アドルフ・ティエールの内景画評とヴィクトル・クザンの講義

王政復古期に執筆活動を始めたティエールは、グラネの内景画を称賛する一方で、トゥルバドゥール絵画の様式に対しては否定的な評価を与えた。トゥルバドゥール絵画を批判することについては当時の一般的な反応でもあったと考えられるが[7]、ティエールがその一方で内景画を称賛していた点は注目に値する。その理由の一つは、彼がアカデミーの奉じる美学に縛られない新しさをもつ作品を支持していた点にある。ティエールは1822年の批評において、内景画には「形の純粋さ」も「情熱の理想」も「判断すべき構成の秩序」もなく、「感じ取るべき光の効果」しかないと述べているが[8]、これは内景画がアカデミー的な美の基準の順守を強いる絵画ジャンルではないという意味に取れるだろう。ここで、ティエールがこの内景画評の冒頭において、サロンに展示された作品の批評に入る前に、芸術やその評価に関する長い議論を展開していることに着目したい。この議論の中では、哲学者ヴィクトル・クザン(1792-1867)の思想が援用されている[9]。例えば以下の記述は、1818年に行われたクザンの哲学講義『真・美・善について』を思わせるものである。

美や真実、善は、皆が目指す目標であり、少数の人々が近づくものであり、ごくわずかな人々だけが辿り着けるものである。[…]真実は普及しながら、ついには支配するに至るのである[10]

ティエールは当時、美術に関しては素人であると批判されることがあった。そのため先行研究では、ティエールがこの内景画評の冒頭の議論を通して芸術に関する見識の高さを示し、自分が美術批評家として適任であることを示そうとしたことが推測されている[11]。ティエールがその中で、当時の若者に多大な影響を与えたクザンの思想を引き合いに出した背景にも、批評家としての自分の立場を補強する意図があった可能性が考えられる。いずれにしてもこの内景画評は、ティエールが当時クザンの影響下にあったことを示している。二人に共通する芸術観を探ると、ティエールの内景画評を新たな側面から分析できるであろう。

3, 王政復古期の芸術観と内景画の受容

ティエールの芸術観では、作品の視覚的な効果が、帝政期に重視された主題の性質に優先されていると考えられる。例えば、ティエールはドラローシュの《独房でウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける病気のジャンヌ・ダルク》を支持する一方で、本作と同じく中世の時代を取り上げたトゥルバドゥール絵画については、高貴さに欠ける顔の表情の描写や、塗り残しがなく陶器を思わせる着彩といった描き方を批判している。その中でティエールは、中世の主題を扱った作品を高く評価すると述べつつも、トゥルバドゥール絵画のような描き方の作品よりは、ギリシャ・ローマを主題とする作品の方を好むと述べているのである[12]。こうした芸術観がさらに顕著に窺われるのは、ティエールが風俗画について、主題とする物語自体によって感動を誘おうとする作品を批判している箇所である。

我々は才能自体が不足していることにより、複雑で、その光景がほろりとさせるのに十分であるような主題を求めるのである。まずは、主題が何でもないということ、才能が全てであるということを理解しなくてはならない[13]

これらに窺われる通り主題よりも描き方を重視するティエールの芸術観は、ファーブルとは対照的に「芸術のための芸術」を提唱し、芸術が結果的に人間精神を高めることはあっても求めてそうすることはないとするクザンの芸術観ともやや重なるのではないだろうか。彼は以下のように述べる。

私は、美の形式が善の形式とは異なるということ、また、芸術が道徳の完成をもたらすとしても、それを求めたり、目的としたりはしないということを主張する。[…]芸術は道具ではなく、それ自体を目的としているのである[14]

帝政期のファーブルと、王政復古期のティエールやクザンの間にある芸術観の違いは、トゥルバドゥール絵画と内景画の受容のあり方にも影響を与えたのではないだろうか。先に少し触れた通り、1824年はトゥルバドゥール絵画の流行が終焉を迎えた年であるとされている。その中で、内景画は建築物内部の光や遠近法の表現を主な目的とし、そこに描き込まれる人物像は副次的な要素に過ぎず「本質的に冷たい」絵画であるとも見做されていた[15]。内景画はトゥルバドゥール絵画とは違って、その絵画としての本質が主題とされる物語ではなく物質的対象の描き方に見出されていたことにより、帝政期の絵画様式に留まることなく、王政復古期の芸術観においても受け入れられた可能性が考えられる。

 

トゥルバドゥール絵画は、帝政期における秩序回復への求めに応えるジャンルであり、その流行は王政復古期に終焉を迎えた。その一方で内景画は、アカデミーの美学から自由である点においてティエールから評価された。さらに、内景画はその本質がトゥルバドゥール絵画を特徴づけるような物語性に見出されてはいなかったことによって、帝政期の文化的背景のもとに流行したジャンルでありながら王政復古期においても一定の支持層を保ったことが予測される。ただし、19世紀初頭のフランスにおける内景画の受容の様相を明らかにするには、より多くの批評を分析していく必要がある。また、今回扱ったティエールの批評に関しても、執筆の背後にある政治的事情や人間関係も踏まえて検討していくことが重要であろう。そのことにより、ティエールがやや誇張も交えて内景画を自身の芸術観に引きつけた理由もより明らかになる可能性がある。

[図版1]フルーリ゠フランソワ・リシャール《夫のオルレアン公爵の死を嘆くミラノのヴァランティーヌ》1802年、油彩画、サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館

[図版2]リシャール《タルモン王の死》1823年、油彩画、ブール・カン・ブレス、ブロウ王立修道院

[図版3]フランソワ゠マリウス・グラネ《ローマのサンタ・キアラ修道院の内陣で聖職者になるアルバーノの若い娘》1824年、油彩画、パリ、ルーヴル美術館

 

Notes

  1. [1]

    intérieurは一般的には「室内画」と訳されるが、個人邸宅の室内に限らず様々な建物の内部が主題となるため、本稿では以下の研究に倣い「内景画」という訳語を用いる。鈴木一生「一八二四年のサロンの風景画における『真実らしさ』:コンスタブル受容を中心として」、『美術史』第67巻、第1号、2017年、130ページ。

  2. [2]

    L’invention du passé, t. 1 : Gothique, mon amour…, 1802-1830, cat. exp., Bourg-en-Bresse, Monastère royal de Brou, Malakoff, Hazan, 2014. L’invention du passé, t. 2 : Histoire de cœur et d’épée en Europe, 1802-1850, cat. exp., Lyon, Musée des Beaux-Arts de Lyon, Paris, Hazan, 2014.  ロマン主義時代の文化を鳥瞰する以下の展覧会カタログも、本稿に関わる最新の研究として重要である。Paris romantique : 1815-1848, cat. exp., Paris, Petit Palais-Musée des Beaux-Arts de la Ville de Paris, Musée de la Vie romantique, Paris Musées, 2019.

  3. [3]

    Fleury Richard, « Autobiographie », Revue du Lyonnais, IIesérie, t. III, 1851, p. 247.以下の資料からは、リシャールがグラネの1799年のサロン出品作を、サロンの開幕前から知っていたことが分かる。François-Marius Granet, « Vie de Granet », Le Temps, 1 octobre 1872, p. 3.

  4. [4]

    1802年当時の記述の例として以下が挙げられる。Charles-Paul Landon, Nouvelles des arts, peinture, sculpture, architecture et gravure, t. II, Paris, chez l’auteur, 1802, p. 33

  5. [5]

    FAB** [Victorin Fabre], « Salon de l’an 1806 (Neuvième et dernier article.) Quelques Observations générales. », La revue philosophique, littéraire et politique, t. LII, 1807, p. 104.

  6. [6]

    ジャン゠マリ・トマソー『メロドラマ フランスの大衆文化』中條忍訳、晶文社、1991年、15-16ページ。

  7. [7]

    以下も含めた複数の文献で、トゥルバドゥール絵画の流行は1824年に終焉を迎えたとされている。Marie-Claude Chaudonneret et Daniel Ternois, Fleury Richard et Pierre Révoil. La peinture troubadour, Paris, Arthena, 1980, p. 13.

  8. [8]

    Adolphe Thiers, « Salon de 1822 », Le Constitutionnel, 21 mai 1822, p. 4.

  9. [9]

    ティエールは1822年のサロン評全体を書籍化するにあたり、内景画評の冒頭で行ったこの議論を序文に移動させた。以下の研究では、書籍版の批評の序文に関してクザンの思想の援用が指摘されている。Stephen W. Sawyer, Adolphe Thiers. La contingence et le pouvoir, Malakoff, Armand Colin, 2018, p. 40-41.

  10. [10]

    Thiers, op.cit., p. 3-4.

  11. [11]

    Marie-Claude Chaudonneret, Adolphe Thiers, critique d’art. Salons de 1822 et de 1824, Paris, Champion, 2005, p. 18.

  12. [12]

    Adolphe Thiers, Salon de mil huit cent vingt-quatre, ou Collection des articles insérés au Constitutionnel, sur l’exposition de cette année ; par M. A. Thiers, Paris, Maradan, 1824, p. 20-23 ; 41-44.

  13. [13]

    Ibid., p. 66.

  14. [14]

    Victor Cousin, Cours de philosophie professé à la Faculté des lettres pendant l’année 1818, par M. V. Cousin, sur le fondement des idées absolues du vrai, du beau et du bien, Adolphe Garnier (éd.), Paris, Librairie classique et élémentaire de L. Hachette, 1836, p. 223-224. クザンの芸術観については以下の文献も参照。ポール・ベニシュー『作家の聖別 1750-1830年 近代フランスにおける世俗の精神的権力到来をめぐる試論』片岡大右、原大地、辻川慶子、古城毅訳、水声社、2015年、288-289ページ。

  15. [15]

    こうした内景画の評価については以下を参照。François Miel, Essai sur les beaux-arts et particulièrement sur le salon de 1817, Paris, Pélicier, 1817-1818, p. 364.

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大屋戸 しおり「19世紀初頭のフランスにおける「内景画(intérieur)」受容再考 ──アドルフ・ティエールの批評に着目して」 『Résonances』第12号、2021年、33-38ページ、URL : https://resonances.jp/12/peinture-interieur-adolphe-thiers/。(2021年12月08日閲覧)

執筆者

所属:超域文化科学専攻博士課程、2021-
留学・在学研究歴: