ブリュス・ベグの日常論
はじめに──捉えがたい日常生活
私たちはみな日常を生きている。生のうちに一切の日常を備えていない者など存在しないだろう。自らの送る日常生活について、悩み、考え、ときには途方に暮れる者も多い。もちろん、日常生活のうちで発生するさまざまな困難、例えば、肩が凝って毎日つらい、隣の部屋で毎晩パーティが開かれていて耐えがたい、などそのようなことであれば、実現できるかはともかく問題を整理し解決策を模索することができる。しかし、日々が同じことの繰り返しで、生きている実感がもてない、などといった日常生活を送っていることそのものから生まれてくるような悩みについては、生活というものが日常的であるということそれ自体から考え起こさなくては応答のしようがないようにも思える。とはいえ、日常について改めて考えるときそれは捉えがたく、単に思考によってほとんど恣意的に取り出された要素を並べて頭を抱えるということにもなりかねない。何が日常で何が非日常なのか。私にとっては非日常なパーティを日常的に開く人もいるし、私の持つコップの100倍以上の値のするコップを毎日使う人もいる。一体日常とは何なのだろう。
普段当たり前に存在し行われているものごとを、それが置かれている連関から一旦切り離し、一つの対象として、その本性やそれが置かれた背景について思考することから学問が出発するとすれば、日常というのも一つの学問の対象となりうるだろう。ここではそうした試みを「日常論」と仮に呼んでおこう。本論文は、フランスの哲学者・エッセイスト・文学者であるブリュス・ベグ(1967 – )の示す日常論の内実を明らかにし、そこから日常を論じるための一定の概念構成を取り出すことを企図している。それと同時に、彼が「日常的なもの(le quotidien)」というものに対して取った態度を、日常のもつ独特な「重み(gravité)」を扱うための姿勢とみなし、そこに学問、特に哲学が日常的なものを扱うさいの一つのエートスのあり方を見出すことを試みる。
本論に入る前に、本邦ではあまり知られていないであろうブリュス・ベグについて簡単に紹介しておきたい。彼は現在ボルドー・モンテーニュ大学の教授職にあり、専門分野は現象学、特にフッサール研究である。2000年に博士論文『論理の系譜学:フッサール、前述定的なもの、範疇的なもの』を出版している。2005年には本稿で中心的に扱う『日常的なものの発見』を発表。その後も現象学の観点から哲学的な著作を発表し続けており、近著には『雰囲気の概念:環境現象学試論』(2020)がある。また彼にはエッセイのジャンルに属する著作も多い。2000年ごろに3か月ほど滞在したアメリカでの経験をもとに書かれた、『ゼロポリス:ラスベガスの経験』(2002)、『平凡な場所(共有の場所、紋切型):アメリカのモーテル』(2003)や、ジョージ・オーウェルやドゥエイン・ハンソンといった芸術家についてのエッセイがあり、近年では『郊外』(2013)、『漂流-都市:シチュアシオニストと都市の問題』(2017)、『寄港地にて:空港クロニクル』(2019)、『ロサンゼルス:20世紀の首都』(2019)、『陳腐化する廃墟:瓦礫についての哲学的試論』(2022)など、都市や空間についての哲学的思索をエッセイ調で綴る著作を発表している。また、『公園』(2010)や『救出』(2018)など、文学作品を上梓してもいる。いずれにせよ、ベグは一方で理論的な著作を生み出しつつ、同時に哲学的思索を具体的な対象に即して展開する姿勢を備えた哲学者であると言える。
本論文の構成は以下のようなものである。まず第1節では日常論の系譜を概観し、ベグの日常論がどのような文脈のなかで試みられているかを示す。次に第2節では、ベグの日常論を再構成し、基本的な概念構成を得る。また第3節では、ベグが日常的なものについて論じるさいに取る姿勢について論じる。そして第4節では、第1~3節を踏まえて、ベグが自身の日常論において整備した概念を用いて具体的な事象を論じた事例を検討する。
1、日常論の系譜
本格的にベグの日常論の検討に入っていく前に、そもそも日常論なるものがいかなる歴史的経緯の上に思考されてきたのかという点について概略的に確認することで、ベグの試みを思想史的に位置付けておきたい。
日常あるいは日常生活というものが一つの学の対象たりうるか、という問いが学問の歴史のなかに立ち現れたのはそれほど昔のことではない。もちろん、人類の歴史において日常生活が存在しなかった期間はないだろう——それが困難であった時期は長く、現在もそうであろうが——し、哲学をはじめ多くの諸学が日常的なものを扱い、あるいはそこから出発してきたということも事実である。しかし、日常生活そのものを、それがまさに日常であるという点を原理的に問い、そこに含まれるさまざまな要素に対しともかく一旦は無関心に、日常の存立基盤を明らかにしようとする、という姿勢はとりわけ20世紀以降現れてきた傾向であると言える。
日常に対する問題意識が明確に結晶化するのが1947年に出版されたアンリ・ルフェーブルの『日常生活批判 序説』(La critique de la vie quotidienne)である。もちろん、その前段にはいわゆる「生の哲学」の流れや、フロイト的な「日常生活の精神病理学」を発端としたシュルレアリスム運動による日常の探究、あるいはフッサールを中心とした現象学運動、とりわけ「生活世界(Lebenswelt)」についての問題系などがあり、それらを無視することはできない。ルフェーブルも「生き生きとした生の経験」を重視するといったかたちで、現象学の影響を大きく受けている。しかし、単なる「生(la vie)」の経験についてではなく、私秘的/公共的、個人的/社会的、世俗的/宗教的、などさまざまな対立層を貫いて形成される「日常生活(la vie quotidienne)」についての主題的問いかけは、ルフェーブルのそれをメルクマールとして捉えるのが適切である[1]。
一方で、特にこの時期に日常生活が問題となった背景には、学問的系譜と同等かそれ以上に当時の社会状況がある。第二次大戦後の「平和」と、産業革命以来の富の蓄積を経て、パリをはじめとした大都市圏には大量の労働者が流入し、彼らを中心とした現代的な都市生活が成立していく。フランスでは、社会階層の流動化によって生まれた「新中間層」が大幅に増加することで[2]、人びとには社会的な上昇の可能性と同時に下降の危険が生じ、旧中間層による経済政策への反対運動の展開、競争社会の到来、そしてそれに起因する長時間労働など、現在へと通じるさまざまな問題が発生していった。そして郊外の団地建設やそれに伴う職住分離、ヴァカンスの増加に応える交通網の発達など、物質的なレベルでの大変革もまた進んでいく。それにより多くの都市住民の日常生活は変革を強いられた。これらを駆動するのが資本主義の論理であると捉え、資本主義によって占領され「植民地化(colonisation)」された日常生活を自らの手に取り戻さなくてはならないと唱えたのがルフェーブルであり、また彼と思想を共有したシチュアシオニストたちであった[3]。以上のように、日常生活に対する当初の問題意識は「資本主義によって疎外された日常生活」に関するものであったと言える。
この場でこれ以上日常論の系譜を辿ることはしないが[4]、ともかく、『日常的実践のポイエティーク』(1980)をものしたミシェル・ド・セルトーや、都市の日常をさまざまな視点から捉えようと試みたジョルジュ・ペレックをはじめとして、これ以降多様な日常論が登場してくることになる。大著『物質文明・経済・資本主義』(1979)の第一巻を「日常の構造」というタイトルで世に問うたフェルナン・ブローデルの属するアナール学派の試みもその内に数え入れてよいだろう。それらの中には、改めて日常の原理論とでも呼べるものに立ち返り、日常を日常として成り立たせしめている要素について論じようとする試みも散見される。例えば、日常とは「発見することが難しいもの(ce qu’il y a de plus difficile à découvrir)」であると述べ、日常とは「逃れ去るもの」であり、また、「再び見る(revoir)ことしかできないもの」であると「定義」したモーリス・ブランショはその一例であろう[5]。また、アリス・カプランとクリスティン・ロスはYale French Studiesという雑誌においてEveryday Lifeについての特集を組み、その「序文」冒頭で「日常生活の理論を進歩させるということは、体験(lived experience)を批判的概念の地位にまで高めるということだ——単に体験を記述するためにではなく、変えるために」[6]と述べている。ベグ自身も、自らの企図を「日常世界についての哲学的存在論の本格的な基礎を築くこと、すなわち日常世界の根本的な本質、基礎的な構造、そしてそれが当たり前の経験のうちに現れる仕方を規定すること」[7]であると宣言している。要するに、個々の日常的な対象、あるいは日常的という相の下に現れる諸対象を規定する「日常性(la quotidienneté)」を明らかにしよう、というのである。
日常の日常性について問うことを試みる論者たちに共通する直観は、日常というものが他のさまざまな文脈へと引き渡されることで雲散霧消してしまうようなものではなく、それ自体において自律しており、独自の「論理(logos)」を備えているということである。それは具体的に言い換えれば、例えばある種の経済学が私たちの使うお金の流れを分析し、消費者物価指数などの指標によって日常生活のあり様を解明したとしても、あるいはまたある種の社会学が社会構造という観点から現代の中所得者層の一般的な日常生活について説明したとしても、私たちの送る日常はお金の流れにも社会構造にも還元されるわけではなく、なお日常として固有の領域を形成している、ということだ。日常性とは日常のこの固有の領域性を担保する道理のことである。こうした日常性のようなものがあると仮定して、その性質を明らかにしようとするのが日常についての原理論であり、ベグが挑戦する議論である[8]。
本節では、ベグがどのような文脈の下で、そしてどのような仮定の上で日常という対象に取り組んだのかを明らかにした。次節からはその内容について論じていきたい。
2、ベグの日常論──「なじみ深いもの」と「異邦なもの」との隠された弁証法
本節ではベグの『日常的なものの発見』(La découverte du quotidien)を中心に、彼の日常論を簡潔に再構成することを試みる。ベグによれば、私たちが何の問題もなく日常を送れていると言えるさいの、世界の状態は以下のようなものである。すなわち、自らの生きる空間が当たり前に存在し、それがある程度の確実性をもって時間的に進行していき、物事が一定の妥当性をもった因果的配置のうちに収まっていること。この状態にあって初めて、私たちは世界を信頼することができ、十分に生きることができる。では、この状態が出来上がるための条件を突き止められないだろうか、これが問いの出発点である。
ベグはまず「日常の謎」という謎に取り組む。日常の原理を明らかにすると意気込んでいたとしても、よくある仕方で「日常とは何か」と問うても仕方がない。ふと我に返ればすぐさま察せられる通り、ふつうの意味において日常とは決して謎ではない。むしろ謎がないということこそが謎である。一見すべてが明らかだということの不透明性、これこそが日常を捉え難くしている要因なのだ。「実際、日常は容易には発見されがたいものなのだが、それは日常が近づきがたいから(この場合は日常との距離が覆いをなすということになる)ではなく、むしろあまりにも近すぎるからなのだ」[9]。あまりに近くにあるがゆえに、その明らかさの不思議に気づけない。その明白さを担保する日常の力能の秘密を解き明かすこと、これこそが表題の「発見(découverte)」という言葉の意味である。
次に確認すべきことは、ベグにとって、quotidienとはものごとの現われの様相であり、従って形容詞的なものであるということだ。すなわち、端的に「日常」なるものがあると考えてはならず、存在するのはただ「日常的」という相の下で現れる諸々の対象のみなのである。従って、問うべきは漠然とした対象である「日常」などではなく、さまざまな対象を日常的なものに見せている背景、あるいは「地平(l’horizon)」のようなものであろう。ベグはそれを「日常世界(le monde quotidien)」と呼ぶ[10]。
ベグの言う「日常世界」は、フッサールの「生活世界」概念へと目配せしつつも、基本的にはハイデガーの「世界」概念をもとに仕上げられている。かつてハイデガーが「世界内存在」という語をもって示したように、ともかく差し当たりたいてい存在している存在者としての現存在たる私たちにおいては、自らが「存在している」ということのうちに「世界の内に存在する」ということが含まれている。つまり、私たちは存在するというだけで、つねにすでにさまざまな存在者と一定の連関のうちに入り込んでいるのだが、その連関を私たちに開示し使用可能にする地盤が「世界」である。さらに言い換えれば、私たちは個々の対象を「~として」という仕方で了解する──いま私が座っている椅子は、現存在たる私にとって、私の身体を支えるための椅子として存在する──が、その「~として」の連関を支え、また同時にその連関が連関として際立つことのないままに、現存在が連関に入り込み没頭できるようにするものが世界なのである。従って、世界はそれがうまく機能しているさいには現れてくることがない。ベグはハイデガーのこうした議論を下敷きに、対象を日常的なものとして現われさせる世界のことを「日常世界」と呼んでいるのである。
では、そうした日常世界において、対象はどのような仕方で現れるのか。ベグはここで一つの言い換えを行う。彼によれば、日常的なものとして現れるものは「なじみ深いもの(le familier)」である。私たちが滞りなく日常を送っているあいだ、私たちはそうしたなじみ深いもののあいだで安らっていて、それらに没頭している。体になじんだ服は、どこかにひっかけたりしない限り私の生の流れの中にぴったり沿っており、そのあいだ私はわざわざその服を対象化して考えることはないだろう。この意味で日常的なものとはなじみ深いものである。
さらに、ベグはこの「なじみ深さ(la familiarité)」は一種の雰囲気によってもたらされると考える。
ものからの触発は、当のものの対象的な内容にも、またそれが共に与えられる他のものとのあいだにある対象間の関係にも還元されない。ものからの触発は、必然的に世界の地平そのものからの触発をも含んでおり、それは独特で対象的な情感のうちに、非対象的な雰囲気(ambiance non objectal)の情感として具体的に現れる。[…]日常世界は、個々の対象の知覚において、このなじみ深い雰囲気(ambiance familière)として触発的に現れるのだが、そのなかではあらゆる日常的な存在者からの可能な触発が展開される[11]。
「触発(l’affection)」とは対象が私たちに現れ関わってくる作用のことである。とすれば上の引用は、対象の現われ方は対象それ自身の性質のみに由来するのではなく、対象化されないながらもその内に在る対象の現れ方を規定する「雰囲気」にも由来しており、日常世界はそのなかでも「なじみ深さ」を作り出す雰囲気として私たちに感知される、という説明を行っている[12]。私たちが自らの生活やその生活が営まれる空間を「当たり前」のものと感じ、「今にもこの世界は崩壊するのではないか」などと考えることのないままに存在できる状態にあるとき、それはこの「なじみ深い雰囲気」が醸成されている状態なのである。
そしてこのなじみ深い雰囲気、あるいは日常世界を生み出すのが「日常化(la quotidianisation)」と呼ばれる作用である。この作用の機序について順を追って確認しておこう。
まず、ベグは原初的な経験を以下のようなものとして想定する。それは「未規定な世界(le monde indéterminé)」についての経験であり、そこでは何ものも固定されず、限定されない。全てが「おそらく(peut-être)」という相の下で現れる。近さや遠さ、見慣れたものや見知らぬものといった対立、パースペクティブが確立されておらず、全てが無限定なまま混濁している、あいまいで不確かな世界。原初的な世界はつねに変動し、自らを超え出ていき、それを容易には留め置くことができない。そこにおいてひとは「根源的な不安(l’inquiétude originelle)」を感じることになる。それは「自らの家(chez soi)」に居ることができないという不安、世界に住まうことができないという不安である[13]。
ひとはこの原初的な不安を抑え込もうとする。それは無限定なものを限定し、理解可能でなじみ深く安定したもの、つまり信じられるものへともたらすことである。ベグはこの作用を「馴致(domestication)」とも呼んでいる。馴致の過程はただなじみ深いものを見出すという過程に留まらない。それは同時に、なじみ深くなるべきなじみ深くないもの、すなわち「異邦なもの(l’étranger)」の領域を生み出していくことでもある。この意味で、馴致とはなじみ深いものと異邦なものとを明確に分割し、「境界確定(démarcation)」[14]していく運動でもある。そして、この異邦なものをなじみ深いものへともたらしていくという運動が開始されることになる。
ここで注意すべきなのは、このようにして始まる日常化の過程が匿名的で非人称的なものだということである。つまり、日常化の過程はいかなる主体的意志にも先行し、おのずから、あるいは受動的に開始される。
世界内存在の原初的な場面、つまり世界の「無限定なもの」との最初の出会いという原初的な場面においては、不安は反省に由来する当惑として表現されるのではなく、自然な身体的苦境として自らを示す。身体は世界の内に自らを置き入れることができず、したがって冒険へと繰り出すことを、またいまだ自らの世界ではない世界を探索することを強いられている[15]。
ひとは未規定な世界がもたらす原初的不安に対して、不随意に反射的に反応し、世界を自らに、あるいは自らを世界に、馴らそうとし始めるのである。これが日常化の開始を印づける。ひとは日常化の作用に貫かれている。
日常化の作用に横切られたひとは、根源的な不安からなじみ深いものを切り出し、世界を日常化していく。このプロセスはまた反復を通じた「習慣化」の過程でもある。ベグは習慣化の過程を三段階に分節している[16]。まず経験が「堆積(sédimentation)」され、「同じもの」として「縮約(contraction)」されていく。次にその堆積した経験が結晶化し、一つの「典型(type)」となる。やがてその典型は未来を予測する図式となり、いまだ行われておらずとも、同じことの再現を可能にする習慣となり、その意味で潜勢力を備えるようになる。そして「潜勢化(potentialisation)」した習慣は世界への「信(croyance)」を生み出す支えとなる[17]。この「信」こそが私たちを世界のうちにあらしめるものである[18]。さらに、そうした習慣の連鎖が「スタイル」を形作り[19]、やがてはそれが「生の形式(la forme de vie)」をなし、ひとりの人間の生のあり様を示すまでになるだろう[20]。
以上のような過程をもって、日常化は原初的な不安を抑圧する。しかし私たちは普段、このような過程をそれとして意識することはない。というのも、日常化の作用は、それが原初的な不安を抑圧しているということそれ自体をもまた抑圧するからである。ベグはこのことを「日常の嘘(le mensonge quotidien)」[21]と言い表す。この嘘によって日常はそれ自体が明白で隠されていないものという外見を獲得することになる。日常を「発見」することができるのは、日常がこの嘘によって覆われているからなのである。この嘘によって日常化の過程が覆い隠されるまでが「日常化」の過程には含まれている。
しかし、ここで日常化が完成したかに見えたとしても異邦なものは完全に「なじみ深くされ(familiarisé)」て、消えてなくなるわけではない。異邦なものは次から次へと現れ、日常の「流れ(courant)」を分断し、侵食してくる。私たちはそうした異邦なものを絶えずなじみ深いものへと取り込んでいかなくてはならない。というよりもむしろ、そうした絶えざる日常化の作業こそが日常のあり様そのものなのである。もちろんその過程はそれとして意識されるわけではない。この点を踏まえてベグは日常を「動的(dynamique)」で「隠された弁証法(infra-dialectique)」的なプロセスそのものであると結論付ける。この意味で日常は「一時的な休戦」、あるいは「武装した平和(une paix armée)」[22]である。
ここまで日常化という作用について記述してきたが、上記のような性質をもつ日常にとって、それを貫く一つの論理、あるいは道理のようなものを考えることはできるだろうか。ベグはそれを「慎重さ(prudence)」と言い表す。
日常のロゴスというものに最適な定義を与えうるとすればそれはおそらくこうである。それは、日常生活の匿名的で受動的な建築術、つまり経験におけるさまざまなパラメータ(親密性と異邦性、日常的な正常性と社会的規範、など)を調整するやり方である。今まさにそれらパラメータのあいだに不安定で、動きやすく、壊れやすいバランスを打ち立てること。その壊れやすさは欠陥ではなくむしろ日常化をまさに駆動させる本質的な性質である[23]。
日常を生きる者は予期できないタイミングで突発的に介入してくる偶発事にその場その場で対処せざるをえない。そこで示される異邦性と、自らのもつ親密化の力とのあいだでとっさにバランスを取り、何とかまた日々の流れを取り戻す。この慎重なバランス力こそが日常化の力能であり、道理なのだ。
この慎重さは単に異邦なものの侵入に対して機能するだけではない。なじみ深いものの全面化に対しても距離を取るものである。というのも、なじみ深いもの、慣れ親しんだものが私たちの世界を埋め尽くすとき、世界は単なる同一のものの回帰──ベグはこれを「平常(l’ordinaire)」と呼ぶ──となり、同時に異邦なものに対する脆弱性を抱え込むことになる。完全に抑圧された原初的不安は、抑圧されたその分だけより深い「恐れ(angoisse)」として回帰し病理的な状態を引き起こす[24]。しかし不安に対する対処法を日々学んでいれば、ひとを無へと導くような恐れに対してもそれほど恐れることなく、なだめすかす公算が立てやすい。私たちは日々慎重に、未知のものへと身を開きつつ、日常化を行っていかなくてはならないのである。その意味で「日常生活は自身への批判である」[25]。日常はこの批判精神をもって、日常化の過程が最後までやり遂げられることがないように、余白を残して働くという「知性」を発揮することになる。異邦なものは健全な日常化を駆動する要素であるのだ。
本節では、ベグの叙述に従い、彼の言う「日常化」の作用を描き出してきた。日常とはなじみ深いものと異邦なものとがせめぎ合う、動的でかつ隠された弁証法の場のことであった。日常化の作用、そしてその作用によって形成される日常世界、またそのうちで現れてくる日常的な対象、これらすべての包括的な呼称がベグの言う「日常的なもの(le quotidien)」である。
3、日常をどのように扱うか──日常の「重さ」を尊重すること
前節では、ベグの示す日常世界の原理的な構成過程を確認した。それは日常を送るどんな人にも当てはまる(とされる)議論であった。本節ではさらに場面を進めて、日常化の過程が具体的に、実際の物質的、文化的、社会的な場面といかなる仕方で関わるのかという点について考えてみたい。この問いは、人びとの送る日常生活をいかなる仕方で扱うべきなのかという当為へと通じる問いでもある。
ベグも指摘する通り、日常化の過程が何らかの特定の社会的・文化的な形態を導くわけではない。個々人が行う日常化の結果は、その者の身体的条件や応答すべき周囲の状況によって変化するだろう。「これらの日常的生の形態(親密性、普通の時間、習慣、正常性など)は社会的な布置から、厳密にいえばその文化的な特異性における社会的な布置(儀式、習俗、集団、個々の社会体制など)から権利上独立しており、経験のあらゆる内容を条件づけつつも、その経験内容は歴史的、社会的な個別性にかかわらないのである」[26]。ベグによれば、具体的な社会的規範は日常化のあとにのみ意味をもつものである。「日常の規範がまずもってなじみ深く持続する世界を立ち上げ、そのあとにはじめて云々の社会に属する世界の諸概念が、個々の規範的な内容をもたらす最初の規範性が築かれるのである。」[27]。
そうであるにもかかわらず、儀式や慣習は日常化にとって重大な意味をもつとベグは言う。というのも、儀式や慣習などは日常化のための反復的行為が徐々に制度化され固定されたものである[28]が、すでにそうした制度の存在する世界に投げ込まれた現存在は、それら制度をある種の範例として用いて日常化を進めていくことがあるのである。
慣れること、それはまずもって[個人の]ハビトゥスが作り出したわけではない諸慣習を受動的に統合することである。主体が世界の状況へと慣れ始めるより先に、その者は模範となる環境によって取り囲まれている。その環境は、さまざまな対象のうちに、その者に作用をおよぼす身振りや配置を、すなわち多くの社会的・政治的な慣習を客体化している[29]。
日常化の作用は、客体化された慣習を参照しつつ、自らの作用を推し進める。いかにしてか。それは、自らをその制度や秩序の「共作者(co-auteur)」として位置付けることによってである。
それゆえ、個人がいとも簡単に物事の秩序に服従し、日常世界の暗黙の規範に従って自らの身体を規制し、空間を秩序付け、時間を規律化することを受け入れるのだとすれば、それはおそらく、彼(女)がそこに無意識のうちに自らの成果を認めているからである。それは彼(女)個人のという意味においてではなく、彼(女)もそこに共作者として属している人間の精神の一般性のという意味においての、彼(女)の成果である。こうした一般性は、対象化ということが可能な場であればどこにでも自らを注ぎ入れている[30]。
つまり、世界の秩序を、自らもまたその制作に携わったものとして受け入れることで、そこで行われている秩序化に自らを乗せ、自身の馴致の運動を成し遂げようとする者も存在するのである。
従って、図式的に整理するとすれば、日常化と社会との関係のあり方には二通りの傾向性があるということになる。第一に、世界において相対的に独立した身体をもつ個人が、置き入れられた環境や状況の独自性に応答しつつ、特異的に日常化を行うという方向性である。ここで行われる習慣化は、当の個人の意識や身体に局限されることなく、周囲の事物にその跡を刻み込み、慣習や習俗の形成へと至るだろう[31]。その意味で、この第一の傾向は「創造的(créatif)」な傾向であるとも言える[32]。しかし、この創造的日常化という方向性はしばしば既存の社会的規範と齟齬を起こすことにもなる。そのとき、日常化の過程に置かれた個人はその規範を「異邦なもの」となして距離を取るのか、なんとか自らの親密化作用に親和的な限りにおいて取り込むのかを迫られることになるだろう。こうした点からは、規範の作用から相対的に独立した日常の、避難所としての側面を読み取ることができる[33]。
しかし第二に、日常化はひとが世界を均質化しようとする傾向の最初の発露でもある。あらゆる可能性に開かれた無限定な原初的経験はひとにとって耐えがたいものであり、それをなんとか縮減して、反復の存在する理解可能な世界を築くというのが日常化の作用であった。それは多かれ少なかれ、自らの関係するものの可能性の抑圧なのであり、その意味で事物の秩序化を希求する社会的規範と相性のよいものである。
ある意味で、人間存在における二つの正常化の作用[原初的な日常化と社会的な規範化]は、日常生活それ自体のうちでつねに混じり合っており、内在的な規範(確実に生活を維持し、信頼のおける共同体をまとめること、経験の不確かさをなくすことなど)は絶えず、現実の二段階目の構成に由来する社会的規範によって再発見されている。したがって、日常化の過程をそれ自体として、現実の統制を行う社会-歴史的な種々の操作から区別するのは極めて難しい[34]。
ベグによれば、社会的規範は日常化作用と混じり合うことで力を発揮している。日常的なものを思考するさいに、日常化作用のこうした規範化的な側面を見落としてはならない。本節冒頭に掲げた問いに対するベグの応答は至って冷静なものである。ここまでの整理も兼ねて、少し長くなるが引用しよう。
少なくとも、日常生活の退屈さや面倒くささという性格が、機能主義的官僚主義や市場社会の非人間化的な過程への従属にのみ起因していると考えるのは素朴に過ぎる。官僚主義や市場社会はおそらく、合理的できらびやかな外観を装った強固な生の形式を日常生活へ押し付けることで、生活の貧困化の作用を機能させる。しかし、日常生活はそれ自体としては、同一のものの支配によって侵犯され愚弄されるような純粋な他性などではない。日常生活は、その予測不可能性をもって、いかなる社会的な計画からも逃れるものである。[ただし、]日常生活は、その細部においてつねに純粋な跳躍、非論理的なリズム、強烈な活動性であるわけではない。それはまた、均質化の原始的な形態、自己規律化の道具、社会的統制の最初の現われである。このように認めることは、権力による高次の社会的支配の過程の地獄のような作用をいかなる点においても免責するわけではない。しかし、なじみ深いものと異邦なものとの真の緊張がいかなる地点にあるのかを、より正確に測る助けとなるのである[35]。
こうした中庸的な態度は、ベグの日常的なものに対する禁欲的な姿勢にも反映されている。これはルフェーブルやシチュアシオニストが求めた「日常生活の変革」への希求とは全く対照的な姿勢である。かつてトマス・ネーゲルは以下のように述べていた。「世界を変えることと、世界を理解することでは、どちらがより重要であるのか、私にはわからない。しかし哲学は、世界の推移への貢献度によってではなく、その理解への貢献度によってこそ、最もよく評価されるものなのである」[36]。ベグもまたネーゲルと同様の立場を取っているように見える。ただしそれは、彼の取る哲学という方法論より以上に、日常生活という対象がもつ性質に由来している。
ベグは『日常的なものの発見』の序文で以下のように述べている。「以上を踏まえて、本書の前文での最後の注意を喚起したい。それは、本書に哲学と日常との調停の試みを読もうとしてはならないということだ。考えうるかぎり、アリストテレスの『形而上学』第四巻と、パン屋でパンを買うという事実のあいだには一切の共通点がない」[37]。あるいは、「巧みな言い回しや選び抜かれた概念があれば哲学は日常生活を公正に評価できる、などと考えるのは間違いなく馬鹿げている。路上でスケートボードをするひょろひょろの若者も、子どもの服を整える神経質な女性も、肉屋の看板も、空を飛ぶ飛行機の騒音も、店の窓に映る車のヘッドライトも、すべて哲学の外にあるものであり、そうでなければならないとも言える」[38]。ベグにとって、日常的なものは哲学と全く関係のないものである。というのも、日常生活は哲学的反省に余計なことを言われずともに自足しているからだ。もちろん哲学が日常について何かを言おうとすることはできるが、哲学が日常について言い尽くし、ついには一致してしまうなどということはありえないし、そもそも考えるべきではない。哲学ができるのは、ただ自らと日常生活との距離を何とか測り取るということだけである。
こうした態度は、ベグの叙述スタイルにも表れている。本論文において検討してきた「なじみ深いもの」や「異邦なもの」、あるいは「隠された弁証法」、「日常の嘘」などのベグの日常論にとっての中心的な概念は『日常的なものの発見』のほとんど冒頭から登場する。これらの概念は文脈を変えつつ何度も繰り返し用いられ、したがって反復されつつ、徐々に差異、すなわち異邦なものを取り込んでいく。まさに日常化の過程をベグ自らがパフォーマティブに実践しながら進んでいくのである。日常的な仕方で書く、ということが、哲学が日常的なものについて語るためのエートスをなしていると言うこともできるだろう[39]。
このような極めて真摯で慎重な努力がなされるのは、ベグが日常というものがもつ独特の「重み」を感じ取っているがゆえにではないか。彼はこの「重み」という表現を提示する直前の部分で、以下のようなイメージを用いて主体の日常への「根付き(implantation)」を表現している。「昨日現れたものと同じものが今日ふたたび現れた。しかしそのあいだに、当のものにおいて何かが変わった、正確にはそれ自体がではなく、その周りにあるものが変わった。この新しさのオーラ、それは時間の錆である。この錆こそが、生活世界へと、いまもそしてこれからも本当に根付くためのなめらかさや凹凸のなさを、日常的なものへともたらすのである」[40]。反復することは全く同一のものが回帰するということではない。反復は反復によって錆のようなものを纏っていき、そしてその錆こそが日常のなめらかさを支えている。
こうした、その過程を知覚することがほとんど不可能な錆の反復的な蓄積によって維持され、継続されていくのが日常生活である。「日常的なものの重大さ(gravité)、すなわちその重み(pesanteur)、謹厳さの起源はおのれの反復にある」[41]。この日常の重大さ、重さをその思考に引き受けるからこそ、ベグは安易に日常を称揚したり批判したりするような態度を拒否する。以上のように、日常という対象そのものが、ベグの方法と議論の内容を規定し、また駆動していると言えるだろう。
本節では、ベグの日常的なものに対する姿勢について検討することで、その結論と方法を規定する日常生活の性質について論じた。最終第4節では、ベグが自らの道具立てをもって行った具体的対象の分析について論じたい。
4、極限状況における日常──範例的分析
前節までの議論においてベグが提示した日常論は、日常的なものに対して一定の分析枠組みを提示していると言える。すなわち、ある具体的な日常を生きる人びとの日常のありようを、例えばある人物にとってはどのような物事が「なじみ深いもの」なのか、それと同時にどのようにして「異邦なもの」を日常化しているのか、そこでの日常化の方法はいかなる社会的規範と関係しているのか、あるいはまた彼はどれほど異邦なものに身を開いているのか、それともなじみ深いものに閉じこもっているのか、そしてそれでもなおどのような異邦性に向き合っているのか、などについて問い、完全にとは言えないが部分的に記述する可能性を拓いている[42]。本節では、ベグが自ら行った具体的事例に対する分析を紹介し、それが日常的なものに対する可能な分析の一例となっていることを示す。
ベグは論文「日常的な恐怖:極限状況におけるトラウマと馴化」(2022)[43]において、心理学者ブルーノ・ベッテルハイムがナチスドイツによる強制収容所の内部の状況を規定するための語として提示した「極限状況(situations extrêmes)」における日常生活について思考している。ベグの問いかけは、人間がほとんど人間として生きることが不可能である状況において、それでもなお日常は成立しうるのかというものである。あらかじめ結論を述べておくならば、極限状況において日常は成立しえない、ということになる。本節では、極限状態と日常との関係について、ベグの議論を整理しつつ考えてみたい。
ベグの中心的な論点は以下の二点である。第一に、生存を脅かす恐怖が恒常的に支配する強制収容所内では日常化の作用が不能に陥ってしまうということ、第二に、収容所内で一度日常を失ってしまった者は、多くの人びとが日常をなすことのできる環境に戻ったとしても、再び日常を取り戻すことが困難であるということである。順に確認していこう。
第一の点。強制収容所へと送り込まれる人びとは、まず己の日常生活の場から強制的に引き離される。そして衣服などの「なじみ深いもの」を取り上げられ、これまでとは全く別の規則が支配する環境へと置き入れられる。これは「異邦なもの」の急激な増大の経験である。この最初の衝撃が過ぎると、収容所内で定められる規則や、それに基づく日々の生活リズムが強制されるようになる。集合や点呼、看守とのやり取り、強制労働などの繰り返しによって、ここには確かに一見して「収容所内の日常」なるものが成立しているかのようにも見える[44]。しかしそこでの「反復」は、いつなんどき発生するか分からない看守による介入の結果、決して信頼できるものとはならない。暴力の恣意的な介入の可能性は、日常の形成を不可能にしてしまうのである。
日常性のようなものが何とか構成されたとしても、収容所を支配する恣意性が、そこからあらゆる一貫性や恒常性を奪ってしまう。トラウマが克服されることはない。行為が反復され、一連の流れが形成され、習慣が描かれることがあったとしても、なじみ深いものが現れることはない。日常生活はもはや、経験の不可視で暗黙の基盤としての機能を果たさない。[…]支配しているのは秩序──それがどんなに不公正で恐ろしいものであったとしても──ではなく、収容された者の類型化の能力に影響をおよぼす、規則と例外とのめまぐるしい混同である。常にあらゆることが起こりうるということ、このような不測の事態がたえず現れるということが、まさに日常化の過程を衰弱させ、不安を呼び起こす不確かなものの領域をつねに開くのである[45]。
恣意的な介入、そして規則と例外の区別不可能性、これにより世界に「錆」を蓄積することが不可能になり、主体は世界に根付くこと、住まうことが不可能になってしまう。看守は、囚人が最小限度の日常を形成する可能性すら剥奪するために、身体的な反復をつかさどる飲食・睡眠・排便の自由を奪い去る。こうした条件下で生き残ることとは、「毎朝ゼロから出発しなければならない生活」[46]を送るということである。
そして第二に、以上のような仕方で日常化の能力を根底から損なわれてしまった人びとは、本来安心して馴化の作業を行うことができるような場所に移っても、そう簡単に日常化を開始することができない。というのも、収容所を生き延びた者にとっては「なじみ深いもの」の一切が異邦なものとなってしまっているからである。「いまや、生き残った者にとって奇妙なのは、災厄を直接経験しなかった者たちがいとも簡単に、その者にとって異邦なものとなってしまったなじみ深い雰囲気のなかで生き続けているということである」[47]。以前は受動的に意識することなく進行していた日常化を、能動的に自発的に行うということの困難が主体を捉えることになる。収容所に戻ることなどありえないが、それでも現在の日常を不安なく送ることも難しい。「生存者は、自分が去った収容所での生活と、自分が戻ろうとしている生活という、二つの異邦な日常性の狭間にとらわれている」[48]。
ベグがこの論文「日常的な恐怖」に明示的に書いているわけではないものの、生存者のこうした状況はなじみ深いものと異邦なものとの区別がもはや立てられないという事態を意味する。人間の平均的な生活条件においては日常を賦活するものですらあった異邦なものは、いまやただ日常の崩壊をもたらすのみである。原初的不安の前に硬直してしまっていると言うこともできるだろう。もちろん、少しずつ世界への信頼を回復していくにつれて日常化の営みを再開することができるようになる者もいるだろう。しかし、日常化を不可能にするまでに人間の在り様を歪めてしまう強制収容所には、少なくとも「日常」という語をもって私たちの共有するような事態は存在しないのである。
以上のような分析は、ベグが『日常的なものの発見』において整備した概念を主に用いて行われている。彼自身も書いている通り、日常を単なる物事の繰り返しに還元するのであれば強制収容所にも日常は存在すると言ってしまうことができる。しかし、ベグの議論を用いれば、平凡な日常と「強制された日常」[49]とを切り分けて考えることができるようになる[50]。この点は日常論全体にとっても意義深いものとなろう。ベグの分析は、一言に「日常」と呼び表されているさまざまな事態を、物事の具体相においてより詳細に切り分ける方途を示している。その意味で「日常的な恐怖」論文は、可能な日常分析にとっての範例であると考えることができる。
おわりに
私たちは第1節において、主に20世紀における日常についての言説の歴史を概観し、日常に固有の対象性を見出す議論の系譜を追った。そしてベグの議論を、日常を日常足らしめている原理的な構造を明らかにしようと試みる議論の一つとして位置付けた。第2節では、ベグが『日常的なものの発見』において展開した、日常世界の構造についての議論を再構成した。ここでは、「慣れ親しんだもの」と「異邦なもの」との隠された弁証法において匿名的で非人称的な「日常化」の作用が進行する、という描像が得られた。そして、日常の領域性を支える「慎重さ」という道理のあり方が明らかになった。第3節では、日常化の作用と社会規範との関係についての記述を分析し、そこから、ベグが日常的なものに向き合うさいの、極めて慎重なエートスのあり方を析出した。最後に第4節では、ベグが強制収容所における「日常」の可能性について論じた論文が、彼の提示した概念構成とその姿勢をもって具体的事象を分析するための範例となっていることを示した。ベグの日常論は、普段さまざまな領域で「日常」と呼ばれている多様な事態を、より詳細に分節し理解するために重要な道具立てを提供している。
ベグの議論が重要なのは、単に日常を日常/非日常という対立のなかでのみ捉えるのではなく、なじみ深いもの/異邦なものという対概念を用いて動的なものとして捉えることで、日常/非日常という二者択一的な対立を緩和し、より繊細に生の内実を捉えることを可能にするからである。それは同時に、さまざまな意味で日常を超えた事態、すなわち祝祭や極限状況についてもより詳細に把捉できるということを意味する。ベグの分析を下敷きに、より具体的な日常分析を試みることを今後の展望として本論文の結論としたい。
Notes
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[1]
ただし、『存在と時間』(1927)において存在論を立ち上げるに当たり、「差し当たりたいてい」という仕方で存在する現存在から、すなわち日常的な仕方で存在する現存在から分析を開始したハイデガーに関しては、ルフェーブルよりも早い段階で日常生活を主題化した者と考えなくてはならないだろう。とは言え日常の「日常性」が主題的に論じられる第71節「現存在の日常性の時間的な意味」は原文で2頁強に過ぎず、また結論も先送りされて閉じられており、「日常とは何か」という問いに答えが与えられているとは言えない。マルティン・ハイデガー『存在と時間』高田珠樹訳、作品社、2013年、551-553ページ。
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[2]
社会学者の川合隆男によれば、フランスでは1886年時点で2%に過ぎなかった新中間層・ホワイトカラー層の割合が、1968年には26.6%にまで膨らんでいる。川合隆男「「新中間層」論序説:分化と分解の狭間に立つ変革期における新中間層」、『法學研究:法律・政治・社会』、慶應義塾大学法学研究会、49(10)号 、1976年、12-51ページ。また、この辺りの事情については以下も参照。小田中直樹『フランス現代史』岩波書店、2018年、54-57ページ。
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[3]
ルフェーブルとシチュアシオニストの日常論については以下を参照。野上貴裕「シチュアシオニストの「日常生活」論」、『Phantastopia』 2、2023年、249-267ページ。
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[4]
フランスにおける日常論を通時的に整理した文献として以下を挙げることができる。Michael Sheringham, Everyday Life: Theories and Practices from Surrealism to the Present, New York, Oxford University Press, 2006.
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[5]
Maurice Blanchot, « la parole quotidienne », L’Entretien infini, Paris, Gallimard, 1969, p. 296-305(モーリス・ブランショ「日常の言葉」西山雄二訳、『終わりなき対話Ⅱ 限界-経験』、筑摩書房、2017年).
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[6]
Alice Kaplan, Kristin Ross, « Introduction », Yale French Studies, No. 73, 1987, p. 1.
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[7]
Bruce Bégout, La découverte du quotidien, Paris, Allia, 2005, p. 35.
-
[8]
ベグは日常についての現象学的な議論を、日常についての一般理論を構築しようとする「コイノロジー(koinologie)」と、具体的な日常的存在について思索を展開する「ミクロ現象学(microphénoménologie)」とに分節し、自らは前者を試みると宣言する。koinologieはフランス語communの語源とされるギリシア語のkoinèに由来する。commun は「共通の」という意味と同時に「平凡な」という意味ももつ。Ibid., p. 92.
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[9]
Ibid., p. 21.
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[10]
Ibid., p. 98.
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[11]
Ibid., p. 126-127.
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[12]
ここでは詳述しないが、ベグはのちに『雰囲気の概念』のなかで雰囲気についての問題を追究している。そこでambianceは主客未分の「没入(mersion)」によって特徴づけられる、世界の感性的な「調性(la tonalité)」として描き出されている。Bruce Bégout, Le concept d’ambiance : essai d’éco-phénoménologie, Paris, Seuil, 2020.
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[13]
Bruce Bégout, La découverte du quotidien, op. cit., p. 190.
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[14]
Ibid., p. 245.
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[15]
Ibid., p. 203.
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[16]
Ibid., p. 294.
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[17]
「信は習慣の効果である」Ibid., p. 316.
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[18]
フッサールはこの「信」をそこから世界が立ち上がる根源的な確信であると捉え「原ドクサ(Urdoxa)」と呼んでいたが、ベグはこの原ドクサの構成を問うことになる。(第二部二章一節「所与の神話、原ドクサを問い直す」を参照。)
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[19]
Ibid., p. 283.
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[20]
ここで示される習慣化のプロセスについての、現象学的な観点からの妥当性については批判の余地がある。例えば以下の論文を参照。Michel Ratté, « La quotidienneté comme origine du « monde de la vie » chez Bruce Bégout : une lecture critique », Cahiers du CIRP, vol. 2, 2008, p. 9-38. ただ、その発生の過程についてはともかく、現に私たちの生において習慣というものが存在し、それが世界へのなじみ、あるいは信を支えているというベグの議論については賛同したい。
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[21]
Bruce Bégout, La découverte du quotidien, op. cit., p. 248.
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[22]
Ibid., p. 502.
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[23]
Ibid., p. 497.
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[24]
Ibid., p. 224.
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[25]
Ibid., p. 497.
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[26]
Ibid., p. 236.
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[27]
Ibid., p. 239.
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[28]
Ibid., p. 246.
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[29]
Ibid., p. 297.
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[30]
Ibid., p. 307.
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[31]
「それ[=親密化の作用]は、主体を超え出て、慣習や事物、制度というかたちで自らを世界のうちに刻み込む」Ibid., p. 315.
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[32]
ミシェル・ド・セルトーが『日常的実践のポイエティーク』のなかで民衆の「戦術」として描き出したのは、日常のこのような「創造的」な作用であった。民衆の日常とは単に受動的に権力からの働きかけを受け入れるだけのものではなく、そうした権力を上手くいなし、自らの都合に沿うように変形するという「もののやりかた(art de faire)」に満ちた場なのである。Michel de Certeau, L’Invention du Quotidien. Vol. 1, Arts de Faire, Paris, Union générale d’éditions, 1980(ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳、国文社、1987年).
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[33]
ベグは以下のようにも述べている。「日常化の過程は、社会的な正常化のさまざまな超越的な過程に対する有効な武器でありうる」Bruce Bégout, La découverte du quotidien, op. cit., p. 477.
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[34]
Ibid., p. 462.
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[35]
Ibid., p. 501-502.
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[36]
トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』永井均訳、勁草書房、1989年、ⅵページ。
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[37]
Bruce Bégout, La découverte du quotidien, op. cit., p. 16.
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[38]
Ibid., p. 17-18.
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[39]
本書は2003年10月から2004年6月のあいだに書かれたと巻末に記されているが(Ibid., p. 502)、原書で500頁少々ある本書の執筆において、最後まで当初の道具立てが維持され、ほとんど破綻のない論を形成したという点はむしろ批判すべき点なのかもしれない。
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[40]
Ibid., p. 368-369.
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[41]
Ibid., p. 369.
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[42]
ベグ本人も、例えば『ゼロポリス』(2002)のなかで、ラスベガスのカジノに集う人々の日常を描き出している。そこでは、ラスベガスの日常における支配的行動様式である「賭け(le jeu)」について、あるいはカジノの「熱狂的な雰囲気」やスロットを前にした人びとの「快楽なき反復」についてなど、『日常的なものの発見』において検討された用語を用いて描写されている。Bruce Bégout, Zéropolis, Paris, Allia, 2002, p. 28 ; p. 33.
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[43]
この論文は2015年に青山学院大学で開催された「〈日常〉とは何か 西欧の場合、日本の場合」という国際シンポジウムの発表原稿に基づいたものである。Bruce Bégout, « L’horreur quotidienne : trauma et habituation dans les situations extrêmes », Revue des sciences humaines [En ligne], vol. 345, 2022. URL : http://journals.openedition.org/rsh/597 ; DOI :https://doi.org/10.4000/rsh.597 (最終閲覧:2024年4月24日)
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[44]
ジョルジョ・アガンベンは以下のように書いている。「アウシュヴィッツとは、まさしく、例外状態が正規のものとぴたりと一致していて、極限状況が日常的なもののパラダイムそのものとなっている場所のことである」(ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの:アルシーヴと証人』上村忠男/廣石正和訳、月曜社、2001年、63ページ)。一方でベグの議論は、収容所には日常はないというものであった。アガンベンは現代社会を「例外状態の恒常化」した世界として位置付けるが、ベグの分析は例外状態と日常との関係についてより繊細な記述を可能にすると考えられる。
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[45]
Bruce Bégout, « L’horreur quotidienne : trauma et habituation dans les situations extrêmes », art. cit., 11.
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[46]
Ibid., para. 21.
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[47]
Ibid., para. 23.
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[48]
Ibid., para. 23.
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[49]
シベリア抑留から生還し、強制収容所内での日常について論じた詩人・石原吉郎による表現。石原吉郎『望郷と海』みすず書房、2012年。
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[50]
Bruce Bégout, art. cit., para. 24.
この記事を引用する
野上 貴裕「ブリュス・ベグの日常論」 『Résonances』第15号、2024年、ページ、URL : https://resonances.jp/15/la-theorie-du-quotidien-chez-bruce-begout/。(2024年12月04日閲覧)