Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第14号 | 2023年11月発行
論文

シモーヌ・ヴェイユとジャック・マリタンにおける個と共同体

はじめに

第二次世界大戦のただなかに夭折した哲学者シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)は、その晩年に、『人格と聖なるもの』(La personne et le sacré)という小論を書き残している[1]。この論考のなかで試みられているのは人格主義への批判である。人格主義(personnalisme)とは、1930年代フランスで興隆した思想運動であり、個人主義と全体主義のいずれをも克服し、共同体のなかですべての人格が開花することをめざす思想である。

『人格と聖なるもの』は近代以降の社会の基盤となった人権概念を根底から再考した作品として解釈されてきた。昨今ではジョルジョ・アガンベンが、文庫版として再刊行された『人格と聖なるもの』に「人格と権利の彼方に」と題する序文を寄せている[2]。アガンベンは人格および権利の観念、ならびにそれらの連関としての人権概念の不十分さを見抜いていたという点でヴェイユを高く評価しており、この作品のなかに「ホモ・サケル」の思想の萌芽を見出すことも不可能ではない。事実、アガンベンは自伝的著書のなかで次のように述懐している。「ホモ・サケルの最初の巻よりわたしが決して放棄していない法の批判は、ヴェイユの論考のなかにその最初の根がある」[3]

だが、『人格と聖なるもの』において主題となるものは人格と権利の関係だけではない。本稿が着目したいのは、人格と集団(collectivité)の関係である。個人と集団はいかなる関係にあるのかという問いは、ヴェイユが生涯にわたって取り上げ続けたテーマのひとつであり、それは全体主義に抵抗するという時代的要請とも結びついている。本稿では、こうした観点から『人格と聖なるもの』を再読してゆくが、それと同時に、ヴェイユの思想の独創性を示すための試金石として、人格主義者が提示する共同体についても子細に検討することにしたい。

1940年代に最も影響力のあった人格主義者の一人はジャック・マリタン(1882-1973)である。新トマス主義者としても著名なこの哲学者は、世界人権宣言に示されているような人間観、ことに人権の基礎概念としての人格の観念に多大な影響を与えたとされている[4]。マリタンは1942年に公刊した『人権と自然法』(Les droits de l’homme et la loi naturelle)のなかで、人格の尊厳に絶対的価値を認める政治哲学を構想しており、抑圧や排除をもたらす国家主義や全体主義とは別の共同性ないし共同体(communauté)を探求している。ヴェイユがこの著作を読んでいたことは先行研究が明らかにしている[5]。ヴェイユによる人格主義への批判を、マリタンの共同体論への一種の応答として解釈し直すことが本稿の目的である。

本稿は以下の議論を取り上げる。第一章では、まず人格主義について概観し、次いで人格概念に関する若干の整理を行なう。第二章では、『人権と自然法』を精読してゆき、マリタンが構想する共同体の哲学的基盤を明らかにする。第三章では、マリタンとヴェイユの間の人格概念の解釈のずれにも着目しながら、『人格と聖なるもの』における人格主義への批判を再検討する。

第一章 人格主義と人格概念

人格主義はエマニュエル・ムーニエ(1905-1950)を主唱者とする思想運動として知られている。1930年代初頭のフランスでは世界恐慌の危機が波及し、破産や失業が拡大していた。この危機のなかで、個人主義や資本主義に取って代わるものとして台頭したのが、ファシズムと共産主義だった。ムーニエはこれらの全体主義的な体制を拒否するとともに、個人を孤立させる「ブルジョワ的個人主義」に回帰することも拒否した。つまり、個人主義の克服をめざすファシズムと共産主義の双方に代わる、第三の道として構想されたのが人格主義だった。ムーニエは1932年には雑誌『エスプリ』(Esprit)を創刊し、同誌を舞台に、人格主義と呼ばれる思想運動を推進してゆく[6]

ヴェイユはこの思想運動に参加することはなかったが、ムーニエとは政治的立場が離れているわけではなかった。資本主義、スターリン主義、ファシズムのいずれをも拒否するという点では、両者の立場は一致していた。ヴェイユは1937年にはムーニエ宛に手紙を送っており、当時の組合運動のあり方について意見を尋ねている[7]。もっとも、この手紙のなかでは人格主義も人格概念も問題となっていない。ヴェイユがこれらを批判するようになるのはもう少し後になってからである。

ヴェイユは1940年代にはムーニエにまったく言及していないが、他方でマリタンへの言及が目立つようになる。マリタンは講演と講義のために1940年の初頭からアメリカに滞在していたが、同年の6月にはフランスがドイツの支配下に置かれたため、しばらくはアメリカでの亡命生活を強いられていた[8]。ヴェイユは1942年7月から数ヶ月の間、亡命のためにニューヨークに滞在しており、二人はこの時期に手紙のやりとりをしている。カトリック教会の社会的位置づけをめぐって意見が交わされたが、あまり建設的な対話はなされなかったようである[9]。また、マリタンは同年の5月に『人権と自然法』をニューヨークで出版している。マリタンはこの小著のなかで、人格主義の立場から戦後の平和を支えるための人権思想を提示している。ヴェイユはこの著作を読んでおり、翌年に執筆した『根をもつこと』のなかでは『人権と自然法』の一節を引用して、マリタンが提示する権利概念を厳しく批判している[10]

ヴェイユが『人格と聖なるもの』を執筆したのは、1942年末から翌年の春にかけてのことである。11月にはニューヨークを発ち、翌月にロンドンに到着すると、ヴェイユは「自由フランス」に合流し、そこで文書起草委員に任命されている。『人格と聖なるもの』は詩的表現が散りばめられた作品だが、実際には政治的文書としての側面もそなえている。ヴェイユはこの試論のなかで人格主義を激しい口調で批判している。「人格主義的と呼称される今日の思想潮流の語彙は誤っている」[11]。この論考のなかでは特定の人格主義者が名指しされているわけではないが、全集版の注記にも示されているように、マリタンの『人権と自然法』を想起させる記述が散見される。後に確認するように、ヴェイユは意図的にマリタンの用語法を反転させている。両者の間では人格概念の理解が大きく異なっているのだが、そのずれはたんなる誤読によるものというより、ヴェイユの積極的な戦略に基づくものである。

だが、「人格」とはそもそも何を意味するのか。それは「個人」とはいかに区別されるのか。どちらの語も、ひとりの人間を表すことができる名詞である点には変わりがなく、時にはほとんど区別なく用いられることもあるだろう。だが、これらは語源的にも形而上学的にも厳密には異なる語彙である。人格主義と個人主義の違いを明確にするためにも、両者の違いを予め整理しておきたい。

人格(personne)はラテン語のペルソナ(persona)に由来する語である。ペルソナの原義は演劇の「仮面」である。この語はpersonare(通して響く)に由来すると言われ、音を響かせる仮面として理解することができる。古代ローマ人は仮面を身につけて劇を上演していたと言われるが、そこから転じて、この語は演劇における演者の「役割」という意味でも用いられた。時代が下ると、ストア派の影響のもとで、この語は「人間一般」という意味でも用いられるようになる。さらに、ローマ法の影響によって法的意味が生じてゆき、「権利主体」としての法的人格という意味が獲得される[12]

それに対し、個人/個体(individu)はラテン語のindividuumに由来している。このラテン語はギリシア語のatomos(原子)の訳語であり、それ以上は分割できないものを意味している。individuumは形容詞individuusを名詞化したものであり、indiviuusはdiviuus(分割できる)に否定辞のinが付加された語句である。またこのラテン語は「種」に対置される「唯一の物体」をあらわしている。「ヒト」という種に属する他のすべての人間から区別された「この人」が、個人/個体と呼ばれるものである[13]

以上のように、これらの二つの語彙は語源的には明確に区別されるものである。マリタンも両者を区別することに決定的な重要性を認めていた。トマス研究者の立場から「人格」と「個人」を形而上学的に区別する議論は、早くも『三人の改革者』(1925年)に見出され、『人権と自然法』にも引き継がれている[14]。マリタンの共同体論を検討するための予備考察として、マリタンが人格概念をどのように把握していたのかを確認しておこう。

人間には人格があり、人間とはひとつの人格である。この言明は正確には何を意味しているのか。マリタンによれば、それは人間がたんなる物質(matière)ではないことを意味している。たしかに人間は動物であり、個物=個体(individu)でもある。すると、ひとりの人間と一匹の蝿を分け隔てるものは何か。人間は物理的=肉体的(physique)に存在しているだけでなく、霊的=精神的(spirituel)にも存在している。マリタンによれば、人間は精神のはたらきによって他の動物から区別される(それをしるしづけるのが、知性や理性、意志や愛のような能力である)。人間のうちには物質には還元できないものがある。「要するに、哲学的に表現すれば、人間の骨肉のうちには、物質世界の総体よりも価値のある、霊であるところの魂がある。[…]霊=精神(esprit)こそが人格性の根源である」[15]。ここでは明らかに受肉の観念が議論の前提となっており、こう言ってよければ、人格とは身体に精神が受肉したものである。それゆえに人格は物質的な原理に属する「個」とは区別されるのである[16]

では、人格の尊厳は何を拠所にしているのか。マリタンにしたがえば、人格の価値、その自由、その権利は「諸存在の父の刻印をそなえた本性的に聖なるものの秩序」[17]に立脚している。人間は神とはそれ自体では隔絶しているが、位格性(personnalité)によって神と何らかの関係を有している。そして人間の人格(personne humaine)は何らかのしかたで神を反映している。このような意味で、人間は「神の似像(image de Dieu)」である。そして、人格は絶対者と関係しているがゆえに絶対的な尊厳(dignité)を有する。マリタンはキリスト教哲学の立場から、人格の尊厳を基礎づけようと試みている。

だが、あらゆる人格には絶対的尊厳があるべきだとしても、現実的には、人間の人格はそれ自体ではきわめて脆弱である。マリタンは次のように指摘する。「位格(personne)そのものが独立した全体であり、全自然のうちで最高位にあるとしても、人間の人格(personne humaine)は、貧しき物質的な個体からなり、位格性のもっとも低い段階にあり、裸であり惨めである」[18]。この言明は神学的・哲学的な議論を前提にしていると同時に、当時の社会状況も表している。自己利益の追求が至上命題とされる社会、マリタンがブルジョワ的個人主義と形容する社会において、貧しき者や持たざる者は搾取され、政治的にも経済的にも隷属状態にある。マリタンが『人権と自然法』のなかで試みているのは、このような社会的・政治的な問題に対して、神学的・哲学的な議論を背景にしながら一定の答えを提出することである。先回りして述べるならば、マリタンにとって、あらゆる人間が独立し、自存するために要請されるものこそが政治的共同体である。それは特権階層だけでなく、大衆をふくむあらゆる人間に、政治的権利や経済的保障をもたらすことを目的とするような共同体である。次章では、マリタンがいかなる哲学的議論を土台にして、そのような共同体を構想したのかを検討してゆく。

第二章 マリタンにおける共同体

共同体をめぐる哲学的思考はアリストテレスの『政治学』に遡ることができる。アリストテレスによれば、共同体とは何らかの「善」のために構成され、そこに向かうことを目的とするものである。もっともすぐれた善をめざす共同体は「国(ポリス)」と呼ばれ、また人間とは生来「国的=政治的動物(ゾーン・ポリティコン)」である。なぜなら言語能力をそなえている人間は、善悪が何であるのかを知覚し、その感覚を他者と共有することができ、それによって共同体をかたちづくることができるからである。またアリストテレスによれば、共同体はそれを構成する各人に先立って存在するものである[19]

アリストテレス的な共同体は、マリタンにおいても議論の起点となっている。マリタンにとって、人間とはまず政治的動物であり、共同生活は人間の本質に属するものである[20]。もっとも、現代においてアリストテレスの主張は無批判に受け入れられるものではないだろう。マリタンは奴隷制を容認したという点ではアリストテレスを非難しており[21]、また「全体そのものは部分よりも価値がある」といった全体主義にも親和的な命題には留保をつけている[22]

共同体の目的が善であるとして、マリタンにとってその善とは個人的なものでも私的なものでもない。ここでいわれている善=財(bien)とは共同的なものである。それは共通善(bien commun)と呼ばれる。共通善は、アリストテレスに遡り、トマス・アクィナスにも継承され、今日では英語圏のコミュニタリアンにも引き継がれている政治思想史上の概念である[23]。稲垣良典によれば、トマスにおいて共通善という表現の下に示されるものは次の二つに大別される。一つは普遍的善であり、それは上位の善ほどより共通的であるというヒエラルキーにおいて把握され、その頂点において最高善たる神が見出される。このような形而上学的・神学的な把握に対して、もう一つの共通善の理解は、社会倫理学的・法哲学的なものである。この意味での共通善は、部分に固有の善から区別された全体に固有の善であり、さらにそれは社会を構成する諸人格に還元されるべきものである[24]。トマスを参照するマリタンにおいても、共通善はこれらの二つの観点が錯綜するものであるが、以下では主に政治哲学の立場から考察を進めてみたい。というのも、マリタンは共通善という概念を用いることによって全体主義と個人主義のいずれをも退けようとしているからである。

共通善の本質的な性格は再分配(redistribution)にあるとマリタンは指摘する。共通善は共同体を構成する各人に再分配されるべきものである。共同体のなかで共有される共通善は、たんなる個人の善の集積ではないが、共同体の部分たる各人格を「犠牲にする」ものでもない。それは「全体と部分に共通するもの(commun au tout et aux parties)」であり、各部分に還元されるべきものである。そこで共有されるものとは、具体的には基本的権利である。「共通善は人格の基本的権利の承認を前提としており、また要求するものである」。こうした権利は人間的で人格的な生を可能にする条件となるだろう。マリタンにとって、共通善はこのように共同体に一定の方向づけを与えるものであり、この導きの役割を担うものとして、共通善は社会における「権威の基礎」とも呼ばれている。またそれは大衆のなかで美徳が発展するよう要求するものであり、それゆえに道徳性にもかかわるものである[25]

マリタンとアリストテレスの決定的な違いは、全体と部分の関係のとらえかたにある。アリストテレスにとって全体は部分に先行するものであり、より大きな価値は部分ではなく全体に与えられている。他方、マリタンにとって人間の人格とは共同体のたんなる部分ではない。マリタンの表現にしたがえば、人格はそのものが「一つの全体(un tout)」であり、社会とは「諸々の全体(touts)」からなる全体である[26]。たしかに人格は社会を構成する部分であり、また私的善は共通善に従属させられるが、各々の人格は社会に奉仕するためだけに存在しているわけではない。さらに共通善は各人に再分配されるべきものである。このように全体と部分には独特の緊張関係があり、マリタンはそれを「社会生活の典型的パラドックス」と呼んでいる[27]

マリタンは全体主義と人格主義を区別するために、トマス・アクィナスの『神学大全』から二つの命題を引用して「部分と全体」の関係を説明する。第一に、「それぞれの個的人格は、全体にとっての部分として、共同体のすべてに関係している」[28]。マリタンによれば、この第一の命題が意味するのは、人格は全体としては社会の共通善に従属しているということである。そしてマリタンはすぐさま第二の命題を引用して補足を加える。「人間は、自身のすべてによって、自分のうちにあるもののすべてによって、政治社会に従属するわけではない」[29]。マリタンがここで入念に区別しているのは、「全体としては(tout entier)」と、「自身のすべてによって(selon lui-même tout entier)」すなわち「自分のうちにあるもののすべてによって(selon tout ce qui est en lui)」である。全体主義が要請するのは後者である。それはつまり各人は存在そのものが国家に従属し、そのあらゆる行為が国家のためになされるということである。そこではすべてが国家のうちにあり、国家に抗うものはなにもなく、国家の外にはなにもない。他方、人格主義が要請するのは前者である。人間の人格はそれ自体では不完全で脆弱であるがゆえに、共同的生を営み、個を超えた共通善に従属し、かつそれを介して「人格の完全なる成就(accomplissement parfait de la personne)」[30]に向かってゆく。マリタンは全体主義を明確に拒否するが、共同性そのものを否定してはいない。

これに対して、個人主義は共同性を否定するものとして位置づけられている。個人主義は前述の第一の命題も退けることで、「人格の完全なる成就」を妨げることになる。マリタンが問題にするのは個人主義における搾取と孤立である。「人格の真の尊厳を、それ自体で充足している抽象的〈個人〉のむなしい神性と混同しているブルジョワ的な個人主義において、人間の人格は孤立して無防備なままであり、とりわけ持たざるものは、孤立して無防備なまま、そうした者たちを搾取する持てるものの前に放置させられる」[31]。個人主義が自己利益の追求という自由を擁護するものだとしても、それはあらゆる人格の基本的権利を必ずしも保障するものではない。そこには共同性が欠如しており、共通善という発想が入り込む余地もないだろう。

マリタンは政治的共同体には成し遂げられるべき「共同の事業(œuvre commune)」が不可欠であると考えた。それは個人主義を棄却すると同時に、全体主義にも抵抗するためである。マリタンはナチス・ドイツを念頭に、「人種主義的な全体主義」に関して次のように洞察している。「人種主義型の共同体においては[…]、共同で成し遂げられるべき目的も事業も存在しないが、しかしかえって合一への情熱(passion de communion)は存在している。それは人々が集まる客観的な目的のためのものではなく、一体になること(être ensemble)、共に行進すること(zusammenmarschieren)の主観的な快楽のためのものである。ゲルマン的な共同体の観念が依拠しているものは、一体になることへの郷愁や懐古であり、合一そのものへの感情的な欲求である。こうして共同体のなかへの融解が、孤独と苦悩という平常ではない感情の埋め合わせとなる」[32]。マリタンは共同性そのものを否認しているわけではないが、「ゲルマン的な共同体」を明確に拒絶している。ここでドイツの社会学者テンニースによる共同社会(ゲマインシャフト)と利益社会(ゲゼルシャフト)の区分を想起してもよいだろう[33]。もっとも、マリタン自身は少なくとも『人権と自然法』のなかでは、共同体(communauté)と社会(société)をほぼ同義語として用いている。ここでは、共同体は近代化とともに消失したものではなく、また社会は共同体の解体によって到来したものではない。これらの区別が問題にならないのは、マリタンにとって社会と共同体はいずれも、相互に交流する存在である「人格」によって構成されているからであり、そのような社会や共同体の構成員はアトム的で互いに交わることのない「個人」ではないからである。

真になされるべき、固有の意味での共同の事業は、共同体のなかへの合一でも融解でもない。マリタンによれば、それは「大衆の善き人間的生」であり、「人間的生そのものの諸条件の改善」である。それはあらゆる人格の基本的権利の承認を前提とするものである。マリタンは後の世界人権宣言にも見出されるような理念を提示する。

人間が政治的共同体に集結する本質的かつ最重要な目的とは、具体的な人格としての大衆の共通善を特権階層だけでなく大衆全体のうちにもたらすことであり労働と所有の経済的保障政治的諸権利市民的美徳精神の陶冶によって確保される市民的生にふさわしい独立の程度に人々が真に到達することである34)[34]

人間が共同的生を営むのはなぜか。マリタンはこのような根源的な問いに回答しようとしている。それはあらゆる人間が経済的保障や政治的権利を確保し、市民的美徳をそなえることで、市民的生にふさわしい独立(indépendance)を獲得するためであると。そしてこの過程のなかで、人格は陶冶され、完全なるものに近づいてゆく。マリタンはそれを人格の「開花する自由(liberté d’épanouissement)」[35]と呼んでいる。マリタンは、この事業が完全に達成されることは困難だが、数世紀をかけてでも漸次的に実現すべきだと結論づけている。

では、このような共同体の構想に対して、ヴェイユはどのように応答したのか。『人格と聖なるもの』を注意深く読解すると明らかになるように、実のところ両者の見解は部分的には一致している。次章では、両者の一致点を確認した後に、どこで袂を分かつのかを明らかにしてゆく。

第三章 ヴェイユによる人格主義への批判

予め述べておけば、『人格と聖なるもの』のなかでは「共同体(communauté)」という語は用いられていない。他方で、集団、集団性、集合体を意味する « collectivité »という名詞が多用されており、集団と人格の関係を問うことは、この小論の主題の一つをなしている。この語には、「共同体」や「団体(association, corps)」などの類義語と比べて、必ずしも特定の目的をもたない漠然とした人間の集まりというニュアンスがある。ヴェイユもこの語を抽象的な意味で用いており、またかなり広い意味で使用している。ヴェイユが「集団」と呼ぶものは、国家、政党、教会などのすべてを包摂すると同時に、それらのすべてに共通するような性質も含意している[36]

ヴェイユはある集団とその構成員の関係について、あるいはマリタンが全体と部分という言葉によって表現したものについて繰り返し考察している。マリタンと同様に、ヴェイユもまた、構成員がみずからを集合体に同一化させる事態を把握しようとしている。それは「キリストの神秘体(Corps mystique de Christ)」に関する記述からも読み取ることができる。「確かに、キリストの神秘体の四肢(membre)だということには強い陶酔があります。しかし今日、キリストを頭としない他の多くの神秘体が、私の見るところ、同じ性質の陶酔をそれらの構成員(membre)にもたらしています」[37]。ヴェイユは神秘体に関する神学的論争についておそらく熟知してはいなかったが、それでも神秘体というイメージが陶酔をもたらす危険なものだとみなしていた。ヴェイユが指摘するこの陶酔は、「合一への情熱(passion de communion)」とマリタンが呼ぶものに概ね対応しているだろう。

両者の立場の一致点はそれだけではない。ヴェイユは1930年代から社会的抑圧に関する透徹した分析を行っていたが[38]、『人格と聖なるもの』においても「人格を圧迫するという集団的なものの性向」[39]を危険視している。ヴェイユがマルクスを耽読していたことを考慮すれば、この記述は国家が抑圧的な暴力装置として機能する事態を表現していると考えられる。あるいは、全体主義においてはあらゆるものが国家に従属させられる、というマリタンの指摘をここで想起することもできるだろう。人格の尊厳や人間の権利、そして共同体をめぐる洞察からも明らかなように、マリタンは国家と社会的抑圧の関係についてもきわめて意識的であったはずである。社会的抑圧の撤廃を目指すという点においても、ヴェイユとマリタンの政治的立場に相違はないと言ってよい。

だが、民主主義社会さえも容赦なく批判する点で、ヴェイユはマリタンと袂を分かつ。ヴェイユはあらゆる人格に基本的権利が保障される社会でさえも不十分だと考えている。ヴェイユによる人格概念への批判を詳細に検討することで、マリタンの政治哲学の限界が示されるとともに、ヴェイユの独創的な視点が浮かび上がるだろう。

『人格と聖なるもの』のなかで問題となるのは、集団そのものというより、集団と人格との関係であり、あるいは人格そのものの性向である。「そのうえ最大の危険は、人格を圧迫するという集団的なものの性向ではなく、自己を駆り立てて集団的なものに埋没しようとする人格の性向である」[40]。ヴェイユは芸術家や作家を例に挙げて説明しているが、自己の芸術をみずからの人格の開花とみなすような芸術家や作家は、実際には大衆の好みに従属しているにすぎないという[41]。これは人格を圧迫されていないが、大衆という集合体に迎合するという意味で、集団的なものに自己埋没することの一例である。

ヴェイユはここで「人格の開花」という表現を、社会的名声、社会的地位、社会的成功に結びつけており、『人権と自然法』における人格概念を積極的に読み替えている。すでに確認したように、マリタンにおいて人格の開花とは、人格というそれ自体では脆弱なものが、基本的権利を保障され、市民的美徳をそなえることで陶冶され、完全なるものへと近づくことを意味していた。ヴェイユは言わば意図的誤読という戦略を用いることで、人格の価値が社会的地位に依存することを示そうとしている。ここで想起したいのは『神学大全』の次の一節である。

けだし、喜劇や悲劇において表現されている人物はいずれも著名な人物であったゆえ、「ペルソナ」なる名称は、優位を占める一部のひとびとを表示すべく附せされるにいたった。そこから、教会においても、何らかの優位を占める者が「ペルソナ」と呼ばれる習わしが生じたのである。或るひとびとが「ペルソナ」を定義して、「優位dignitasということに属する固有性において区別されたヒュポスタシス」であるとしているのもこのゆえである[42]。(Sum. theol., Ia, q. 29, a. 3, ad. 2.)

人格(persona)の原義を思い起こすならば、それは演劇上の役割に関連する言葉であり、さらに社会的役割や社会的地位とも分かちがたい。ヴェイユはこうした原義に意識的であったように思われる。ヴェイユが提起するのは、誰が社会的に配慮されるのかという問題である。「人格はみずからが座を占めるところの社会的配慮(considération sociale)を介して集団的威信(prestige collectif)に与かっている」[43]。だが、社会的に配慮されるのは一部の人間にすぎない。ヴェイユは人格の開花を社会的特権にすぎないとまで断言している[44]。人格主義者が用いている、人格という語彙を反転させることによって、ヴェイユは社会的に価値があるとされるものを転倒させようとしている。

ヴェイユが価値あるべきもの、つまり聖なるものだとみなしているのは、無名なものであり、誰でもないひとであり、非人称的なものである。「聖なるものとは人格などではない。それはひとりの人間存在のうちにある、非人称的なものである」[45]。非人称=非人格的なもの(impersonnel)とは、「人格的」、「個性的」、「人称的」を意味する形容詞の« personnel »に否定辞の« im- »が付加された語であり、字義通りには、人格の欠如、個性のなさ、誰でもなさを意味している。ヴェイユは人格的なものに対する、非人称的なものの優位を一再ならず主張する。「文字通りの意味でのひとりの間抜けな村人が、本当に真理を愛するならば、たとえ口ごもりしか発することがなくても、思考のゆえにアリストテレスよりも無限に優れている」[46]。ヴェイユは論証ではなく断言によって、自身のテクストに一定の効果を生み出そうとしている。ここでは、アリストテレスという揺るぎなき社会的地位を確立している人物と、ひとりの名もなき村人を対比させている。そしてヴェイユは前者に対する後者の優位を主張することで、誰が社会的に考慮されるべきかをめぐる既存の価値観を転倒させようとしている。

そうした価値観の移行のために要請されるのは、人格の放棄である。ヴェイユはそれを「非人称的なものへの移行(passage dans l’impersonnel)」と呼んでいる。それは厳密に言えば、アガンベンが「ホモ・サケル」や「剥き出しの生」と呼ぶもの[47]とは異なり、制度的に法権利から排除されることを必ずしも意味していない。問題となるのは法権利の観念ではなく、むしろ注意(attention)の観念である。

非人称的なものへの移行は、孤独のなかでしか可能とならない稀なる質の注意によってのみ行われる。それは事実上の孤独であるだけでなく精神的な孤独でもある。自分自身をなんらかの集団の構成員とみなす、あるいは「我々」をなす一部分だとみなす人間において、この移行は決して成就しない[48]

注意とは、自身の思考を宙吊りにし、それを自由なままに、空虚なままにすることであり、また自身の思考が対象に入り込めるようにすることである[49]。それは思考が待機(attente)の状態にあることを意味する。そして注意は他者に向けることができるものである。注意は自身の思考を他者に開かれたままにすることができる。だが、無名なものに注意が向けられることは稀である。多くの場合、社会的に考慮されるのは地位のある者だけである。非人称的なものへの移行とは、そうした社会的地位とは別の秩序に、つまりは人格的な存在とはみなされない者たちの秩序へと移ることを意味している。問題なのは実際に社会的地位を放棄するかどうかではなく、無名なものに注意が向かうかどうかである。

ヴェイユが聴き取ろうとするのは、「奴隷のように、あまりに打撃を受けすぎた人々」[50]の声であり、そうした人々の理路整然とした言葉にはならないような叫びである。困窮した浮浪者が食物を盗んで軽犯罪裁判所に立たされ、その口ごもりから悲痛な何かが漏れ出たとしても、うまく言葉にならない叫びは裁判官にも傍聴人にも聴き取られることがない、とヴェイユは説明する[51]。この浮浪者にとってまず必要なものとは「人格の開花」ではなく、その声や叫び、言葉を聴き取ろうとする注意深い人々からなる社会である。ヴェイユが模索したのは、「この弱々しくぎこちない叫びが聴き取られうる、沈黙と注意の雰囲気(une atmosphère de silence et d’attention où ce cri faible et maladroit puisse se faire entendre)」によって規定される体制である[52]

ヴェイユは集団と人格との関係について次のように結論づけている。「魂の非人称的な部分が生長し、神秘的に発芽するのを妨げうるものを遠ざけるという唯一の目的とともに、集団と人格との関係は確立されなければならない」[53]。このような関係を設立するためには、国家のような集合体によって人格が抑圧されるのを防ぐだけでは不十分である。人格主義者が主張する政治的権利の拡張は、人格の開花を可能にするが、非人称的なものへの移行を成就させることはない。マリタンの政治哲学の限界はここに見出される。他方、ヴェイユはさらに踏み込んで、人格的な存在だとみなされない者たち──その言葉が聴き取られることはほとんどない──にも、注意を向けようとする人々からなる社会を創出するべきだと考えている。

もっとも、その具体的構想は『人格と聖なるもの』のなかに明記されているわけではない。それは『人間存在に対する義務宣言の序曲』と呼ばれる未完の構想のなかに素描されているが、これを検討するためには稿を改める必要があるだろう。

おわりに

本稿では、共同体をテーマに1940年代フランスにおける二人の哲学者の議論を取り上げた。ジャック・マリタンは『人権と自然法』のなかで、共通善の概念に依拠しながら、すべての人格に基本的権利が共有され、あらゆる人格が開花しうる共同体を構想した。それはアリストテレスとトマス・アクィナスの政治哲学を現代に再読する試みでもあった。またそこに示されている理念は、今日の世界人権宣言にも部分的に反映されている。他方、シモーヌ・ヴェイユは『人格と聖なるもの』のなかで、人格概念を徹底的に批判し、人格主義者の語彙を転倒させることで、無名なもの、非人称的なものに価値を置く社会を構想しようとした。そして、このような社会の根幹をなすものは他者への注意深さである。ヴェイユは人格主義者とは別様の語りをもって、ただし部分的には一致する見解も示しながら、戦後の新たな世界を構想するべく、個人と集団のあるべき関係を模索したのだった。

結びに代えて、ヴェイユにおける非人称=非人格(impersonnel)の観念について付言しておく。ヴェイユは『人権と自然法』を参照する以前より、この観念を人格概念に対置しており、人格と非人格という二つの側面から神を思考していたが[54]、それは神への愛をめぐる神学的な議論に留まるものであった。だが本稿が示してきたように、『人格と聖なるもの』において非人称の観念は、人格と集団の関係を問い直すものとして用いられている。この観念が政治哲学のなかに導き入れられる契機となったのは、『人権と自然法』の批判的読解だったのではないだろうか。マリタンの人格概念を転倒させるなかで、ヴェイユが非人称の観念を精緻化させた可能性は十分にある。この観点からすれば、ヴェイユが人格主義に容赦ない批判を浴びせたにせよ、ヴェイユにおける非人称の観念の政治哲学への導入において、マリタンの共同体論は一定の寄与を果たしたとも言えるだろう。

Notes

  1. [1]

    この論考の初出は1950年12月であり、「人間の人格性、正義と不正」という題名でLa Table ronde誌に掲載されている。その後、1957年にガリマール社から出版された『ロンドン論集とさいごの手紙』に「人格と聖なるもの」という題名で所収される。ヴェイユは当初、「『人格主義』という語彙を維持するべきか」という題名にしていたが、「維持する」に斜線を引き、それに代えて斜線の上に「置き換える」と記入している。その後、ヴェイユは全体に一本の線を引き、「集団・人格・非人格・権利・正義」という題名を採用した。Cf. Œuvres complètes de Simone Weil, V-1, Paris, Gallimard, 2019, p. 212(以下、この全集版を「OC」と略記する). 本稿では便宜上、この論考を『人格と聖なるもの』という広く知られた題名で表記する。

  2. [2]

    Giorgio Agamben, « Au-delà du droit et de la personne », trad. de l’italien par Jöel Gayraud, dans La personne et le sacré, Paris, Payot et Rivages, 2017, p. 7-22.

  3. [3]

    ジョルジョ・アガンベン『書斎の自画像』岡田温司訳、月曜社、2019年、74ページ。本稿では立ち入らないが、ヴェイユがアガンベンに与えた影響については近年、徐々に明らかにされつつある。Cf. Thibaut Rioult, « L’impersonnel et le sacré. Giorgio Agamben, lecteur de Simone Weil », Cahiers Simone Weil, XLIV-2, juin 2021, p. 179-219.

  4. [4]

    マリタンと世界人権宣言の関係については以下を参照。斎藤恵彦『世界人権宣言と現代 新国際人道秩序の展望』有信堂高文社、1984年、6-11ページ;René Mougel, « Jacques Maritain et la Déclaration universelle des droits de l’homme » dans Deux personnalistes en prise avec la modernité : Jacques Maritain et Emmanuel Mounier, Charles Coutel et Olivier Rota (éd.), Arras, Artois presses université, 2012.

  5. [5]

    ヴェイユと人格主義の関係を扱った先行研究としては、主には次のものが挙げられる。Simone Fraisse, « Simone Weil, la personne et les droits de l’homme », Cahiers Simone Weil, VII-2, juin 1984, p. 120-132 ; Bernard Doering, « Simone Weil et Jacques Maritain. Une “grande amitié” manquée ? », Cahiers Simone Weil, XXX-2, juin 2007, p. 121-134 ; Dominico Caniciani, « Contre le personnalisme (Mounier et Maritain) ? Les enjeux d’une polémique », Cahiers Simone Weil, XXXVIII-1, mars 2015, p. 1-14 ; Jean-François Petit, « Simone Weil et Emmanuel Mounier. Deux façons de penser le désarroi de notre temps, Cahiers Simone Weil, XLV-1, mars 2022 ; 鈴木順子『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』藤原書店、2012年、223-232ページ。

  6. [6]

    ムーニエと人格主義について概説した著作としては以下を参照。高多彬臣『エマニュエル・ムーニエ、生涯と思想』青弓社、2005年;三嶋唯義『人格主義の思想』紀伊國屋書店、1994年。1930年代フランスの思想状況と『エスプリ』誌の位置づけについては以下の研究を参照。Jean-Louis Loubet del Bayle, Les non-conformistes des années 30 : Une tentative de renouvellement de la pensée politique française, Paris, Seuil, 1969.

  7. [7]

    Géraldi Leroy, « Une lettre inédite de Simone Weil à Emmanuel Mounier », Cahiers Simone Weil, VII-4, décembre 1984, p. 313-319.

  8. [8]

    マリタンの生涯については、以下の訳者解説が簡潔に整理している。ジャック・マリタン『岐路に立つ教育』荒木慎一郎訳、九州大学出版会、2005年、139-167ページ。

  9. [9]

    « Un échange de lettres entre Simone Weil et Jacques Maritain », Cahiers Simone Weil, III-2, juin 1980, p. 68-74.

  10. [10]

    OC V-2, p. 341.

  11. [11]

    OC V-1, p. 212.

  12. [12]

    人格概念とその歴史については以下の研究を参照。マルセル・モース「人間精神の一つの範疇 人格の概念・《自我》の概念」、『社会学と人類学2』所収、有地亨・山口俊夫訳、弘文堂、1976年、73-120ページ;小倉貞秀『ペルソナ概念の歴史的形成 古代よりカント以前まで』以文社、2010年。

  13. [13]

    個(individu)の語源とその哲学的含意については以下を参照。Dictionnaire historique de la langue française, Le Robert, 2011 ; 稲垣良典『人格(ペルソナ)の哲学』講談社、2022年、153ページ以下。

  14. [14]

    Jacques Maritain, Trois réformateurs : Luther-Descartes-Rousseau, Paris, Plon, 1925, p. 27-29. 『人権と自然法』の続編として位置づけられる『人格と共通善』(1947年)ではさらに論究が深められている。Cf. Jacques Maritain, La personne et le bien commun, Paris, Desclée de Brouwer, 1947, p. 25-39.

  15. [15]

    Jacques Maritain, Les droits de l’homme, Paris, Desclée de Brouwer, 1989, p. 21.

  16. [16]

    トマス研究者の稲垣良典の説明にしたがえば、個体性と人格性は次のように区別することもできる。個体性は人間を構成している形而上学的原理の一つである質料(materia)──これは物体的なものを個別化する原理である──に由来するものであって、人間を時間・空間的に限定された部分的・断片的な存在たらしめ、必然的な自然法則に従属させる。これに対し、人格性は、人間を構成するもう一つの形而上学的原理である理性的霊魂(anima rationalis)に由来する。理性的霊魂は霊(spiritus)の類に属するものであり、これによって人間は時間・空間を超越し、その精神的活動をつうじて、ある意味ですべての存在を包括する全体となり、存在の第一原理(神)との直接的関係に入る。稲垣良典『トマス・アクィナスの共通善思想 人格と社会』有斐閣、1961年、24ページ。

  17. [17]

     Jacques Maritain, Les droits de l’homme, op. cit., p. 22.

  18. [18]

     Ibid., p. 27-28. 『神学大全』の以下の表現が踏まえられていると考えられる。「『ペルソナ』は全自然における最も完全なもの、すなわち、『理性的本性において自存するところのもの』subsistens in rationali naturaを表示している」(Sum. theol., Ia, q. 29, a. 3.)トマス・アクィナス『神学大全』第三冊、山田晶訳、創文社、1961年、52ページ。

  19. [19]

    アリストテレス『政治学』1252a-1253a、山本光雄訳、岩波文庫、1961年、31-36ページ。

  20. [20]

    Jacques Maritain, Les droits de l’homme, op. cit., p. 24.

  21. [21]

    Ibid, p. 53.

  22. [22]

     Ibid, p. 27.

  23. [23]

    菊池理夫『共通善の政治学 コミュニティをめぐる政治思想』勁草書房、2011年。

  24. [24]

    稲垣良典『トマス・アクィナスの共通善思想』有斐閣、1961年。

  25. [25]

    Jacques Maritain, Les droits de l’homme, op. cit., p. 24-27.

  26. [26]

     Ibid, p. 24.

  27. [27]

    Jacques Maritain, La personne et le bien commun, op. cit., p. 49.

  28. [28]

    Jacques Maritain, Les droits de l’homme, op. cit., p. 29.

  29. [29]

    Ibid.

  30. [30]

    Ibid, p. 28.

  31. [31]

     Ibid, p. 51.

  32. [32]

    Ibid, p. 49.

  33. [33]

    テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』杉之原寿一訳、岩波文庫、1957年。

  34. [34]

    Jacques Maritain, Les droits de l’homme, op. cit., p. 52.(強調は原文)

  35. [35]

    Ibid.

  36. [36]

    ヴェイユにおける「集団的なもの」については以下の論文が簡潔に整理している。Florence de Lussy, « Le problème du “nous” entre l’individu et le collectif », Simone Weil et les langues, Université des sciences sociales de Grenoble, 1991, p. 193-213.

  37. [37]

     Simone Weil, Attente de Dieu, Paris, Albin Michel, 2016, p. 67-68. 神秘体(corpus mysticum)は元来、キリストの体すなわち聖体を指す用語だが、一二世紀頃からキリスト教社会の組織体たる教会に適用されるようになり、「キリストを頭とする一つの神秘体」としての教会という観念が次第に教義化されてゆき、さらに十三世紀半ばには世俗の国家も神秘体と呼ばれるようになる。エルンスト・カントロヴィッチ『王の二つの身体 中世政治神学研究』(小林公訳、ちくま学芸文庫、2003年)第五章「政体を中心とする王権 神秘体」を参照。国家と犠牲をテーマに、ヴェイユとカントロヴィッチの比較を行った研究として以下のものがある。鈴木順子『シモーヌ・ヴェイユ 「犠牲」の思想』藤原書店、2012年、172-176ページ。

  38. [38]

    Cf. « Réflexions sur les causes de la liberté et de l’oppression sociale », OC II-2, p. 27-109.

  39. [39]

    OC V-1, p. 219.

  40. [40]

    Ibid.

  41. [41]

    Ibid., p. 218.

  42. [42]

    トマス・アクィナス『神学大全』第三冊、山田晶訳、創文社、1961年、53ページ。ヴェイユは『カイエ』のなかで『神学大全』の一節を抜粋しており、この引用箇所も読んでいた可能性がある(Cf. K11, OC VI-3, 356-358.)。ペルソナ概念をめぐる神学的議論とヴェイユとの関係については以下の論文を参照。中田和希「シモーヌ・ヴェイユにおけるペルソナと非ペルソナ的なもの」、『宗教学研究室紀要』第17号、京都大学、2020年、19-40ページ。

  43. [43]

    OC V-1, p. 219.

  44. [44]

    Ibid., p. 224.

  45. [45]

    Ibid., p. 216.

  46. [46]

    Ibid., p. 227.

  47. [47]

    ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル 主権権力と剝き出しの生』高桑和巳訳、以文社、2003年。

  48. [48]

    OC V-1, p. 217.

  49. [49]

    OC IV-1, p. 259-260.

  50. [50]

    OC V-1, p. 214.

  51. [51]

    Ibid, p. 228, 231.

  52. [52]

    Ibid, p. 215. ヴェイユにおける「注意」の観念は、ノディングスやトロントのようなケアの倫理の理論家たちにも参照されている。「聴くこと」という観点から、ケアの倫理とヴェイユにおける「注意」の観念について考察した論文としては以下を参照。Cf. Sophie Bourgault, “Attentive listening and care in a neoliberal era : weilien insights for hurried times”, Ethica & Politica / Ethics & Politics, XVIII, 2016, 3, p. 311-337.

  53. [53]

    OC V-1, p. 220.

  54. [54]

    例えば、「神への暗々裏の愛の諸形態」における次の一節を参照されたい。「したがって確かなのは、ある意味では非人格的なものとして神を理解しなければならず、この意味では神とは、自己放棄しながら人格そのものを乗り越えるような人格の神的モデルだということである。全能なる人格として、あるいはキリストの名の下に、人間の人格として神を理解することは、神への真の愛とは相容れない」。OC IV-1, p. 313.

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谷 虹陽「シモーヌ・ヴェイユとジャック・マリタンにおける個と共同体」 『Résonances』第14号、2023年、ページ、URL : https://resonances.jp/14/simone-weil-jacques-maritain/。(2024年10月06日閲覧)

執筆者

所属:地域文化研究専攻 博士課程
留学・在学研究歴:

フランス語要旨résumé

L’individu et la communauté chez Simone Weil et Jacques Maritain

Koyo TANI

Dans son essai La personne et le sacré, Simone Weil (1909-1943) critique la philosophie personnaliste. Le personnalisme est une pensée apparue dans les années 1930, qui vise à dépasser à la fois l’individualisme et le totalitarisme en permettant à toutes les personnes de s’épanouir au sein d’une communauté. Nous examinerons la critique du personnalisme par Simone Weil et nous présenterons une alternative à la communauté personnaliste.

D’abord, nous éclairons la relation de Simone Weil aux personnalistes, en particulier à Jacques Maritain (1882-1973), philosophe néothomiste et personnaliste célèbre au début des années 1940, qui a notamment influencé la notion de personne comme base des droits de l’Homme en 1948. Il propose une philosophie politique qui reconnaît la valeur absolue de la dignité de la personne dans un petit livre Les droits de l’homme et la loi naturelle (1942), auquel se réfère Simone Weil. Nous interpréterons La personne et le sacré comme une réponse à la philosophie politique de Maritain.

Puis, nous analysons la conception maritainienne de la communauté politique. Selon le philosophe, l’œuvre commune est nécessaire au refus de l’individualisme ainsi que du totalitarisme. Elle consiste à procurer à tous les hommes le bien commun : les droits fondamentaux, les garanties économiques et les vertus civiles. Dans la communauté politique, toutes les personnes jouiront de ce que Maritain appelle la liberté d’épanouissement.

Et enfin, nous traiterons de la réponse de Simone Weil à Maritain, dans laquelle elle critique à la fois la pensée personnaliste et la démocratie. Elle tente de renverser le sens des mots personnalistes : ainsi, à la différence de Maritain, Simone Weil lie le mot « épanouissement de la personne » au statut et au prestige social et elle se demande qui mérite la considération sociale et qui n’est pas considéré comme une personne. Par conséquent, Simone Weil conçoit une société où l’on fait aussi attention à ceux qui ne sont pas considérés comme des personnes, ce qu’elle appelle l’impersonnel.

pour citer cet article

TANI Koyo, « », Résonances, nº 14, 2023, pp. , URL : https://resonances.jp/14/simone-weil-jacques-maritain/, page consultée le 6 octobre 2024.