アンドレ・バザンにおける「現前」の概念について
アンドレ・バザンによる記念碑的論考、「写真イメージの存在論」(初出:1945)には、以下のような箇所がある。
灰色あるいはセピア色の、幽霊のようでほとんど見分けがつかないそれらの影は、もはや伝統的な家族の肖像ではない。それらは持続の中で止められ、死の運命から自由になった生命の、心をかき乱す現前なのである。(Bazin 2018b : 2557; バザン 2015 : 18)。
家族のアルバム写真について語るバザンは、写真を「現前(présence)」として捉えつつ、自らの議論を進めたのであった。バザンにおけるこの「現前(présence)」という言葉については、先行研究において様々な解釈がなされてきた。一般的な見方としては、バザンが強い影響を受けていた、サルトルの『イマジネール』との比較を通した解釈がありうる(谷 2020 : 102; 中村 2018)。また、シュウォーツのように、デリダの議論との比較を行う論者もいる(Schwartz 2011)。これらの議論はどれも重要なものであるが、本稿では一旦これらの論点を傍において、別の視点からバザンの「現前」について考えてみたい。
別の視点とは、サルトルと同様、バザンに大きな影響を与えたアンドレ・マルローである。「写真イメージの存在論」の中でもマルローへの言及を行っているバザンは、マルローの「映画心理学の素描」(初出:1940)から大きな示唆を得ていた。両者の関係を時代背景から読み解く試みや、両者の美術史観における類似性への指摘は今までにも度々なされてきた[1]。本稿では、そのような議論の中で取りこぼされてきた、「現前(présence)」という概念をめぐる両者の関係を整理することを目指す。
さて、まずはマルローにおける「現前」について見ていこう。「映画心理学の素描」には以下のような箇所がある[2]。
偉大な小説家の演出を分析することは可能である。彼らの目的が事実を語ることであれ、性格の描写、分析であれ、あるいは生の意味(sens)についての問いであれ、はたまた小説家の才能がプルーストのように増殖へ向かうのであれ、ヘミングウェイのように結晶化へ向かうのであれ、彼らは物語る(raconter)のであり、すなわち要約し、かつ上演する。言い換えるのなら、現前化(rendre présent)するのである。私が小説家の演出と呼ぶものは、小説家が愛着を抱く瞬間、あるいはそれらに特別な重要性を与えるための手段の、本能的な、あるいは熟考された選択である[強調原著者](Malraux 2004 : 12; マルロー 1997 : 236)。
ここでは、現前化という作用が、要約や上演という言葉で表される「物語」に依拠するという考えが表明されている。単純に考えるのなら、読者は物語により、小説内世界を同時的に、現前したものとして捉えるということになるだろう。
その上で、バザンの文章へ目を向けよう。まず注目したいのは、バザンがマルローによる唯一の監督作品、『希望』という映画について語った文章である[3]。映画は、スペイン内戦に人民戦線側の義勇兵として参加したマルローが、その経験に基づいて執筆した同名小説(1937)に基づくもので、実際に戦闘が続くバルセロナで撮影された。1939年には完成していたが、政治的な理由により、一般への公開は1945年に実現した。そして、バザンはその年のうちに、『ポエジー45』(Poésie 45)の8/9月号で「『希望』あるいは映画におけるスタイルについて」(”À propos de l’Espoir ou du style au cinéma”)を発表する。この文章は、バザンのスタイルに対する考え方など、さまざまな興味深い論点を含んでいるが、ここでは現前という問題に関わる部分のみを抽出して考えたいと思う。
バザンはマルローが用いる比喩の意味作用(signification)を分析する文脈で、上記のマルローの文章を引用する。そして、続く部分で以下のように述べる。
現前化すること(rendre présent)と意味を与えることは、芸術家において一つの同じ行為でしかありえない。というのも、現前は芸術家がそれに与える意味によってしか正当化されないからである(Bazin 2018a : 123; バザン 2020 : 67)。
バザンにおいて、「意味(sens)」は何かを現前せしめ、その正当性を担保するものとして捉えられている。ここで非常に興味深いのは、バザンがマルローの議論を引き継ぎながらも、微妙にそれをずらしているということである。マルローにおいて、何かを現前化するのは「物語」であった。しかし、バザンにおいて、その役割を果たすものは「意味」にすり替えられている。バザンがマルローの上記の文章を引用する際、「あるいは生の意味(sens)についての問いであれ」という部分が、原文とは違い、イタリックで強調されている。マルローにとって、ここで述べられている「意味」は、現前化に関わることがあっても、主たる要因ではないことが読み取れる一方、バザンはこの「意味」を強調し、彼の現前に関する議論の中心に位置付けようとしているのだ。
バザンがこのようにマルローのテクストを読み替えた理由は、主に二つ考えることができる。一つ目は、「写真イメージの存在論」との関係である[4]。「写真イメージの存在論」で提示される歴史観はマルローに多くを負っている。しかし、現前に関する議論は、両者でかなり異なっている。はじめに認した通り、バザンは写真の特殊性から、写真を何かしらの現前として捉えていた。一方、マルローにとって、現前化は物語によって起こるが、そのような物語はイメージの連続に依拠しているため、写真は物語を語ることができない(Malraux 2004 : 7; マルロー 1997 : 232)。したがって、写真において現前は生じない。バザンはこのような対立に気づいたため、恣意的にマルローのテクストを読み替えたと考えられる。
また、バザンによるマルローのテクストの捉え方は、バザンがキャリア全体で示した「要約する物語」への抵抗を考えれば自然な反応だったようにも思われる。たとえば、「映画言語の進化」の中で批判対象として持ち出される、「分析的」あるいは「ドラマ的」物語形態は、まさに「要約する物語」として捉えることができるだろう(Bazin 1994 : 71; バザン 2015 : 118)。「分析的」、「ドラマ的」物語形態は、切り返しショットに代表されるような、現実を分節化することで、物語を自然な流れに沿って観客に伝達するために用いられる技術のことを言う。一方、そのような現実の還元に対し、長回しや画面の深さによって異なる美学を提出しようとしたのがジャン・ルノワールやオーソン・ウェルズであり、バザンが高く評価することになる映画人たちであった。実際バザンは、『ジャン・ルノワール』の中で以下のように述べている。
演劇的、あるいは小説的意味におけるドラマ(drame)やアクションでさえ、彼[ルノワール]にとっては本質に対する口実に過ぎず、本質というのは見えるもの、まさに映画の素材をなすものの至る所に存在する。確かにドラマは必要だ。人はドラマのために映画館へ行く。しかし、物語(histoire)はひとりでに出来上がっていく。観客がそれを理解する喜びを感じられる程度に、物語が示されていればそれで十分である(Bazin 2018b : 2587; バザン 1980 : 36)。
バザンは自らが本質とみなすものへと向かうため、マルローのテクストをずらして読み、「意味」の重視を打ち出すのである。
以上の比較からわかることは、バザンがマルローを通して写真や映画における「現前」に接近したということであり、また、マルローの論考ではそこまでの重要性が与えられていなかった「意味」という言葉が、バザンの「現前」に関する議論においては大きな位置を占めるということである。
字数の都合上、大まかな展望のみを示して結びとしたい。バザンが長回しや画面の深さを賞賛したのは、それらが慣習的な意味の押し付けを回避し、観客の側におけるその都度の能動的な意味の構築を促すためであった。そして、このような「その都度の能動的な意味の構築」とバザンにおける「現前」は分かち難く結びついているように思われるのである。
1944年の4月に週刊誌『大学情報』(L’Information universitaire)で発表された(1188号)バザンの「リアリズムについて」(”À propos du réalisme”)という論考には以下のような箇所がある。
あらゆる持続の芸術は、文学であれ音楽であれ、不変の核を中心とした絶え間ない再創造を前提としている。毎晩、フットライトに照らされ、戯曲はシナリオから新しく生まれ変わる。戯曲の永遠性は、上演の生き生きとした「現前」が持つ現在性と切り離して考えることができない(Bazin 2018a : 87; バザン 2018 : 9)。
戯曲は元のシナリオが過去に書かれたものであっても、上演のたびに現在化し、「現前」となる。それは、「不変の核」を持ちながら、上演される現在における一回性を持ち合わせているのだ。バザンにとって「現前」という言葉は、上演における一回性、すなわちそれが今までになかった上演であり、これからも繰り返されることのないものであるという性質と分かち難く結びついている。
そしてバザンが、映画の弱点になりうると考えたのは、まさにこの点においてである。すなわち、映画の根底にある写真の機械的生成は、作品を「必然的に特定の歴史的、社会的文脈に固定」してしまう(Bazin 2018a : 87; バザン 2018 : 9)。すなわち、映画の上映においては、戯曲のもつ上演の一回性やそこから生じる「現前」に到達することが難しい。映画は一度完成すれば変化することがなく、過去の特定の点に分かち難く結び付けられている。
しかし、(「リアリズムについて」からも読み取れるように)、映画には「特定の歴史的、社会的文脈」から自由になるチャンスがある。そしてそれこそ、観客による「その都度の能動的な」参加による、「一回的な」意味の構築だったのではないだろうか。そのことを示すのが今後の課題となる。
参考文献
- Andrew, D. (2010), What Cinema Is!, Chichester : Wiley-Blackwell.
- Andrew, D. (2011), “Malraux, Bazin, and the Gesture of Picasso,” D. Andrew with H. Joubert-Laurencin eds., Opening Bazin : postwar film theory and its afterlife, New York : Oxford University Press, pp. 95-103.
- Andrew, D. (2013), André Bazin, pbk ed. revised, Oxford: Oxford University Press.
- Bazin, A. (1994), Qu’est-ce que le cinéma?, 2. éd., Paris : Éditions du Cerf.
- Bazin, A. (2018a), Écrits complets I, édition établie par Hervé Joubert-Laurencin, Paris : Éditions Macula.
- Bazin, A. (2018b), Écrits complets II, édition établie par Hervé Joubert-Laurencin, Paris : Éditions Macula.
- Malraux, A. (2004), Écrits sur l’art, Paris : Gallimard.
- Schwartz, L.-G. (2011), “Deconstruction avant la lettre,” D. Andrew with H. Joubert-Laurencin eds., Opening Bazin : postwar film theory and its afterlife, New York : Oxford University Press, pp. 95-103.
- 谷昌親(2020)「死骸的現存としてのイメージ 映画『闘牛』をめぐるバザンとレリスの交錯」『アンドレ・バザン研究』4号, 95-113ページ。
- 中村秀之(2018)「アンドレ・バザンの《 présence 》について」『アンドレ・バザン研究』2号, 68-79ページ。
- バザン, アンドレ著, フランソワ・トリュフォー編集, 奥村昭夫訳(1980)『ジャン・ルノワール』フィルムアート社。
- バザン, アンドレ著, 野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳(2015)『映画とは何か(上)』岩波書店。
- バザン, アンドレ著, 堀潤之訳(2020)「『希望』あるいは映画におけるスタイルについて」『アンドレ・バザン研究』4号, 61-82ページ。
- 堀潤之(2018)「パンセプセストとしての『写真映像の存在論』」『アンドレ・バザン研究』2号, 30-55ページ。
- マルロー, アンドレ著, 野崎歓訳(1997)「映画心理学の素描」『ユリイカ』第29巻4号, 230-240ページ。
Notes
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[1]
バザンとマルローの関係については、アンドルーや堀の論考を参照(Andrew 2010 : 31-37; 2011 ; 2013 : 59-71; 堀 2018)。
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[2]
「映画心理学の素描」は、1946年に全体にわたる修正が加えられ、再出版されている(堀 2018 : 52)。現在存在する邦訳には、『ユリイカ』に掲載された野崎歓によるものがあるが、これは1946年版に基づいている(マルロー 1997)。本論考においては、初出時との異同を掲載しているプレイヤード版を参照し、初出時の文を訳出する(ただし、引用括弧内には野崎訳の対応箇所も記載)。
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[3]
作品制作、公開の経緯、作品とバザンの出会いについては、邦訳版の堀による訳者改題を参照(バザン 2020)。
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[4]
「写真イメージの存在論」が初めて掲載された『絵画の諸問題』は、1944年の5月に出版される予定だったが、フランス民兵団(ヴィシー政権下における親ナチスの民兵団)がリヨンの印刷所を襲撃し、出版者を処刑したため、一年以上遅れて出版された。単純に考えれば、「写真イメージの存在論」は1944年の5月以前には完成していたことになる(Andrew 2010 : 11)。すなわち、「『希望』あるいは映画におけるスタイルについて」よりかなり前から、バザンの写真に関する考えはある程度構築されていたと考えることができる。なお、ここでいう「写真イメージの存在論」は『絵画の諸問題』に掲載された45年版のことである。本論考で今まで参照してきたのは『映画とは何か』に収録された、45年版に加筆・修正を加えた58年版であるが、全体の論旨に大きな違いはなく、特に現前に関する問題はそのまま引き継がれている。45年版、あるいは完成前の草稿については全集版を参照(Bazin 2018a : 108; 2018b : 2534)。
この記事を引用する
髙草木 倫太郎「アンドレ・バザンにおける「現前」の概念について」 『Résonances』第14号、2023年、ページ、URL : https://resonances.jp/14/andre-bazin-et-la-notion-de-presence/。(2024年10月06日閲覧)