Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第13号 | 2022年10月発行
論文

マクロとミクロのあわいでジョルジュ・バタイユにおける「核」と科学の位置づけについて

はじめに

ジョルジュ・バタイユの思想における自然科学の影響について考えてみたい。バタイユと自然科学という取り合わせは、一見すると馴染みがないように思われるが、ひとたびフランス国立図書館の借り出し記録を見てみれば、ポール・ディラック『一般相対性理論』(Les Principes de la mécanique quantique)や[1]、ポール・ランジュヴァン『微粒子および原子の概念』(La Notion de corpuscules et d’atomes[2]、ジョルジュ・ルメートルやアーサー・エディントンらによる『宇宙の進化についての討論』(Discussion sur l’évolution de l’univers)など[3]、当時としては最新の自然科学に関する著作を、とりわけ1934年から35年にかけて、少なからず借り出していることがわかる[4]。1934年から35年といえば、バタイユがコジェーヴのヘーゲル講義を受け始めた時期であり、同時期は36年からの秘密結社アセファル、および37年からの社会学研究会の活動へ向けての準備期間に当たるといえよう[5]。ただし、準備期間というだけでバタイユが自主的に自然科学に関心をもったというよりは、アセファルや社会学研究会などで活動をともにした物理学者ジョルジュ・アンブロジーノとすでに1933年に出会っていたことをふまえ、同氏から何らかの手ほどきがあったと見るべきだろう[6]。とりわけアンブロジーノがバタイユ『呪われた部分 全般経済学試論・蕩尽』の執筆に大きく貢献した事実に鑑みれば[7]、その影響関係を考えるうえでも、1930年代後半におけるバタイユのなかの自然科学の位置づけについて検討しておくことは詮無きことではあるまい。そう思って1930年代後半にバタイユが書いたテクストを眺めてみれば、そこには自然科学の著作がいくつか参照されている痕が見て取れる。われわれはそのなかから、明確に自然科学の著作が指示されているものを中心的に検討したい。すなわち、1936年に雑誌『哲学研究』(Recherches philosophiques)に発表された論攷「迷路」(« Le labyrinthe »)、1938年に雑誌『ヴェルヴ』(Verve)に発表された論攷「天体」(« Corps célestes »)、そして1937年11月に行われた社会学研究会の講演「聖社会学および『社会』『有機体』『存在』相互の関係」(« La sociologie sacrée et les rapports entre ‘‘société’’, ‘‘organisme’’, ‘‘être’’ »)がそれに当たる。

これら3つのテクストに共通する鍵語をあらかじめ言うなら「核(noyau)」となろう。この「核」こそが、自然科学からバタイユが譲り受けたモチーフであり、自然科学とバタイユの思想を取り結ぶ結節点でもあると考えられるのだ。以下、バタイユが参照した自然科学の原典を参照しながら、バタイユがどのようにそれを論じたのか、あるいはそこからどう「核」にまつわる思想を展開したのかを考察する。そうすることで、1930年代後半におけるバタイユの科学の位置づけについて一定の見解を示すことを目標としたい。

1. 個と全体、個別性と複雑性──ランジュヴァンの粒子論から

はじめに論攷「迷路」について検討してみよう。あらかじめ「迷路」の主題を述べるならば、それは個と全体の関係であり、バタイユはそこで、個が全体を志向する欲望をあらかじめ備えていることを主張する。この論攷に、一冊の自然科学書が参照テクストとして指示されている。それが、前述したランジュヴァンの『微粒子および原子の概念』である。つまり、そこには勃興したばかりの相対性理論を広めたランジュヴァンによる、当時としては最新の知見が導入されているのである。では、バタイユはそこから何を謂おうとしたのか。

フランスの物理学者ポール・ランジュヴァンは、磁性理論や超音波の研究で知られている[8]。前者は原子の電子構造に着目して磁性の原理を追究したものであり、後者は水晶の結晶構造を応用し、初めて超音波を発生させることに成功したものである。原子も結晶も、それを構成するのはつまるところ粒子であり、上記の功績はランジュヴァンによる粒子構造そのものの追究の成果と言える。

バタイユが参照した『微粒子および原子の概念』は、そうしたランジュヴァンの粒子への関心の、ある種の総決算といえる。同書は、1933年に開かれた物理化学会議での報告「原子と粒子」を元にしており、同報告はそれまでの約30年におよぶ光の粒子説の展開を概観したものとなっている。したがってその内容は科学史の概説なのだが、ここでそれを簡潔にまとめておくのも無駄ではあるまい。というのも、粒子を「個別性(individualité)」でとらえるのではなく、「複雑性(complexité)」でとらえるということ、すなわち個ではなく全体でとらえるという、当時としては最新の統計力学の考えこそが、バタイユの議論でも重要になってくるからだ。

今日われわれは、光が粒子としての性質と波動としての性質の両方をあわせもつということ、すなわち粒子と波動の二重性を知っている[9]。だがランジュヴァンやバタイユが生きた20世紀前半は、まさにそのことが明らかになる量子力学の黎明期、物理学史の大きな転換点であった。それ以前、つまり19世紀までは、光は波動であるという説が有力であったが、20世紀に入ると、粒子モデルの有効性を裏づける成果がつぎつぎと確認された。たとえば、1905年にはアインシュタインが、光をE=hはプランク定数、νは振動数)のエネルギーをもつ粒子として定義することによって、それまで不十分だった光電効果(物質に光を照射した際に電子が放出されたり電流が流れたりする現象)の解釈を十全なものにした。次いで1923年には、コンプトンがX線(X線も可視光ではないが光の一種である)は粒子として電子に衝突していると考えることで、異なる周波数をもつX線が出てくることにうまく説明をつけた。これらの粒子モデルによる説明に加え、ド・ブロイが光には波動性に加えて粒子性も付随することを実証し、最終的にはシュレディンガーやハイゼンベルクなどによる量子力学解釈によって、1930年代には光が粒子と波動という二重の性質をもつことがほぼ確実なものとされた。

ランジュヴァンは以上のような歴史を概説しつつ、「現行の表現の枠組みに組み込むことができないほど急速な実験的情報の並外れて急速な発展からくる困難」に冷静に目を向けるよう呼びかける[10]。その「困難」とはすなわち、未知の領域である「微視的世界」に対しては、「巨視的世界において成功していた概念や考え」はもはや通用しないという問題である[11]

では、この未知の領域をどう解すればよいのか。結論を言えば、粒子に関しては結局、「個体として識別しうる粒子を導入しようとしたこと」が誤りであり、それを個別性としてではなく複雑性として、つまり個別的にではなく全体的に把握する必要があるとランジュヴァンは説く[12]。したがってランジュヴァンは以下のようにまとめる。

私としては、物理学における個別的な特徴は、生物学と同様に、構造の複雑性(complexité)から生じる特徴であり、分離可能で認識可能な個別性はある程度の複雑性からしか現れないと確信している[13]

すなわち、ランジュヴァンは微視的世界の粒子には「個別的な特徴」があるとしても、それは「複雑性」を考慮しなければ、つまり、全体として把握した後でなければ識別できないと主張しているのである。

これには微視的な世界のもつ根源的な不確定性が関わっている。その不確定性はとりわけ、粒子たちの巨視的な性質をあきらかにする統計力学の領域において問題となる。なぜなら、微視的な世界の粒子のなかには、大きく確率に依存するふるまい(量子的なふるまい)を見せる粒子が存在するからだ。そのような粒子をひとつひとつ個別のものとして数え上げるような古典的な統計の仕方では、量子的に別々の姿を見せる粒子たちのふるまいをはかり切れないのである。

ランジュヴァンはそこで、ボルツマンとギブスによる古典的な統計法が最新の実験結果にはそぐわないことを指摘し[14]、「個別性によってではなく、数によってのみ特徴づけられる」ような粒子の分布ではかるボーズ-アインシュタイン統計やパウリ−フェルミ統計に優位性を主張する[15]

両者の違いを理解するために、たとえば、二つの部分に分かれた一つの箱の左右に粒子が同数入っていて、A群とB群に分かれていることを想定してみよう。このとき、古典的な統計においては、粒子の個別性を考慮するため、右側にA群、左側にB群がある状態と、左側にB群、右側にA群がある状態とを区別するが、ボーズ-アインシュタイン統計やパウリ−フェルミ統計では、同種粒子(原理的に区別できない粒子のこと。原子や中性子、電子などがそれに当たる)は区別されないため、その二つはまったく同じ状態として統計される。粒子を単一的・個別的にとらえるのか、複合的・全体的にとらえるのか、それが決定的な重要性をもってくるのである。以上のような統計法を踏まえ、ランジュヴァンは最後にもう一度、光の粒子性についての困難が「原子内の世界に、外から個別的な粒子の概念を導入した」ことに由来することを強調し、論を終える[16]

さて、ランジュヴァンの議論をやや詳細に記載したところでバタイユの話に戻ろう。バタイユがランジュヴァンの文献を指示するのは、「迷路」全5節のうちの第2節である。そこでは、『微粒子および原子の概念』の「35ページ以下」、つまり、上述した粒子にまつわる記述のうちの粒子説以降の内容を参照せよという指示がなされている。その指示がある段落は、以下のように始まっている。

存在は電子のなかに内包されうる。もし自己性(ipséité)というものが、この単純な要素〔電子〕に欠けていないのならば。原子は、それ自体あまりに多くの元素からなる複雑性(complexité)を有しているため、自己的に(ipséellement)決定されない。ひとつの存在を構成する諸粒子の数が、その自己性(ipséité)の構成に十分重要な意味をもって明白に干渉するのである[17]

ランジュヴァンを参照するよう註が付されているのは、正確には、「自己的に決定されない」という一節の後である。

ではバタイユはここで、ランジュヴァンを参照することで何を謂わんとしているのか。注目したいのは、「複雑性(complexité)」という語である。繰り返せば、ランジュヴァンは微視的世界の粒子には「個別的な特徴」があるとしても、それは「複雑性」を考慮したうえでなければ、つまり全体として把握した後でなければ、識別することができないと主張していたのだった。その実践が、ボーズ-アインシュタイン統計やパウリ−フェルミ統計であって、それらは粒子を数ではかることによって、「複雑性」を考慮し、粒子のふるまいを統計することに成功したのである。

以上をふまえればバタイユが謂わんとしていることがわかる。バタイユによれば、原子はそれ自体多くの粒子(電子や中性子など)から成っているが、そのことによって「複雑性」を孕み、したがって個々別々の要素で単独的には決定できない。その意味でバタイユは、原子は「自己的に(ipséellement)決定されない」と言っているのである。したがって、そこで問題になるのは「諸粒子の数」であり、それが原子を一個の全体として把握するさいの「自己性(ipséité)」に影響するのである。

その後につづく一文も、「ひとつの存在を構成する諸粒子の数」と、粒子ひとつひとつの個別性ではなくて「数」が「自己性」の構成に介入することを強調しており、ボーズ-アインシュタイン統計やパウリ−フェルミ統計のような「数によってのみ特徴づけられる」分布の文脈を踏まえている。つまりいずれも、何らかのまとまりの特徴が、個々の性格というよりはそのまとまり全体によって決定づけられていることを主張しているのである。

原子のような諸粒子に適用されたこの議論を、バタイユはさらに人間の論理へと展開する。すなわち、「ひとりの人間は、不安定で絡みあった諸全体のなかに挿入されたひとつの粒子にほかならない」と言うのである[18]。これにはいささか飛躍を感じるが、それ以前にそもそも「人間の生の根底には不充足の原理がある」ということ[19]、「実際存在はどこにもなく(NULLE PART)」[20]、「存在は世界のなかで非常に不確実なので、私はそれを望むところに、すなわち自己の外部に投企することができる」ことなどがあらかじめ論じられてはいる[21]。だがそうだとしても、そもそもそのバタイユの議論自体には確固たる後ろ盾があるわけではない。

しかし、だからこそむしろそこから読み取れるのは、バタイユはランジュヴァンの議論を、今日言われるようないわゆる科学的エヴィデンスとして利用していたというよりは、自らの思い描く存在像に適うようなものの実例として、あるいはその存在観を明確に思い描くための図式的な発想源として利用していたということである[22]。その意味で、ここでのバタイユの科学に対する態度は非常に曖昧=両義的ではある。

バタイユは、そこからさらに一見すると飛躍があるような議論を展開している。

きわめて一般的に考えて、宇宙のあらゆる孤立しうる要素は、その要素を超越する一全体のなかに、構成要素として入ることのできる粒子のようなものとしてつねに現れる。存在とはつねに諸粒子の一全体であるが、その粒子の相対的な自律性は維持されている[23]

ここでバタイユは、さきの粒子の議論を「宇宙」規模にまで拡大している。だがここでは、たしかに、部分はつねに「一全体」ではあるものの、「総体的な自律性は維持されている」とされている。議論を先取りすれば、この逆説的な点、すなわち、個は全体として特徴をもつものの、あくまで個の「自律性」、つまり個の自由度が担保されている点に、バタイユがのちに社会学研究会で展開したような共同体論がありうる余地がある。つまり、全体のなかでも個が固定されていないからこそ、「核」のような求心力に引き寄せられてそこに共同体が生じる余地があるのだ。実際バタイユは「迷路」のなかでも以下のように言っている。

〔粒子のように〕個々別々の(particulier)存在は、構造を欠いた不定形の一全体(取るに足らない諸「知識」の世界の一部、無駄話の一部)の要素としてふるまうだけではなく、存在がそこで確固たるものになる核(noyau)の周りに、〔引力で〕引き寄せられる(gravitant)周囲の要素としてもふるまうのである[24]

ここでもやはり、個に自由度が担保されていることに力点がある。さらに注目したいのは、「核(noyau)」、「〔引力で〕引き寄せられる(gravitant)」という言葉遣いである。さきの「宇宙(univers)」と併せて考えれば、すでにしてここに、ミクロコスモスがマクロコスモスと連接する萌芽がある。そして実際、「迷路」以降の論攷でバタイユはマクロコスモスの方にも眼を向けることになる。

2.「回転運動」から「全体運動」へ──エディントンの宇宙論から

1938年春に発表された論攷「天体」(« Corps célestes »)は、バタイユにしては珍しく、いわば宇宙論のようなものとなっている。その途上でバタイユは、先に国立図書館の借り出し記録のなかでも名前が挙がっていたイギリスの天文学者アーサー・エディントンの見解を参照する。エディントンも、ランジュヴァンと同様に、自らが専門とする天文学分野の最前線で研究をしていた科学者であり、現在でも20世紀前半の天文学者としてはたいへん重要な存在である[25]。では、それほどのプレゼンスをほこる科学者から、バタイユはいったい何を読み取ったのか。

まずは「天体」の内容を確認しよう。同論攷の全体を通してバタイユが強調しているのは、人間がふだん想像さえしないような、宇宙の巨大なスケールである。そのスケールは、具体的に、天体の凄まじい速度やその長大な公転周期といったパラメータで示されている。たとえば、「太陽は、自分の周囲を渦のように回る惑星たちを従えながら公転しているのだが、その公転は驚異的であって、秒速300キロメートルで少なくとも2億5千万年の間つづいているのである」といったふうに[26]。天体がそのように驚異的なスピードで運動するなら、当然そこに住むわれわれ人間もまた、壮大なスケールで運動しているはずである。だが、「この旅に加わっている人間たちに、感動的な興味を心底抱かせるためには、この旅の速さと軌道を思い描くだけではまだ不十分である」と、バタイユはいう[27]

では、何を思い描けばよいのか。バタイユはそこで、太陽が属する銀河系──「銀河系」といえば、それは一般に、われわれの地球が属する「天の川銀河」を指す──もまた、宇宙空間のなかを壮大なスケールで運動しているということに目を向けさせる。地球が太陽の運動に巻き込まれているように、太陽もまた、それが属する銀河系の大規模な運動に取り込まれているというのである。バタイユは、「太陽とその惑星たちが銀河系を中心にして描いている」その運動を、「回転する爆発現象のように宇宙のなかに放り出されている」と表現する[28]

むろん、われわれの地球を含む銀河系のほかにも、銀河は数多く存在する。なかにはメドゥーサの髪のように、中心から渦を巻いて延びる光の腕を何本も旋回させているような渦巻星雲も存在し、この渦巻星雲もまた、銀河系と同様に爆発しながら「回転」しているように見える。

バタイユがこうして盛んにもちいる「回転」というモチーフの出処と考えられるものが、前述した科学者エディントンの著作『銀河系の回転』である。『銀河系の回転』は、それまで不規則で静態的な分布としてとらえられていた宇宙像に抗し、銀河を規則的に回転しながら膨張する動的な総体としてとらえた革新的な著作である。バタイユはそれを受けて、以下のように述べている。

実際、渦巻星雲の一つ一つは、「星状ガス」と呼びうるものの塊でできている。この「星状ガス」は無数の太陽の集合でできている光り輝く物質であるのだが、これら無数の太陽は、われわれがじかに接する天空が銀河系の恒星たちと隔たっているのと同程度に遠く相互に隔たっている。この円盤の全体性は、われわれの光の祝祭日の回転上昇花火を思わせる。数瞬の間に夜のなかへ消えて行ってしまう花火のまばゆい爆発を、この円盤は特徴として持っているように思えるのだ。このようなイメージは誤っているのかもしれない。それに明らかなのは、こうした束の間の激しさは、旋回する巨大宇宙に対応する天文年代学に移して捉え直してみると、数十億年かかる──数十回の公転がこれだけの年数を要している──ということなのである。しかし、エディントンの見解(『銀河系の回転』オックスフォード、1930年)を尊重するのなら、われわれの銀河系に似た諸宇宙の現実の不安定さはそれらの外観に対応しているのであり、われわれがその内部で回転している渦巻星雲の「爆発」時間の長大さは運動状態にある渦巻星雲の比類なき巨大さをもっぱら物語っているということになる。すなわち、われわれが属している宇宙の深い本質は、やはり、物質のほとんど爆発的なまでの運動からなる回転運動(la rotation d’un mouvement)にあるのだ[29]

バタイユはここで、「エディントンの見解」を参照しつつ、宇宙の「深い本質」を、広大な宇宙の静止したイメージにではなく、「物質のほとんど爆発的なまでの運動からなる回転運動」に見出している。

これは間違いなく、エディントンの見解に則った主張である。というのも、エディントンはその著作において、宇宙の「定常状態」が、偶然さえもそのバランスを崩さないような、はるか未来でも不変である「統計的平衡」の状態にあるのではなく、個々の星々は動いていながらもひとまずの安定状態を保っているという「力学的平衡」の状態にあると唱えたからだ[30]。つまり、一見安定しているかのようである銀河系の形状も、実際には永続的なものではないというのである。それを踏まえてエディントンは、「われわれがもっているどんな工学的直観も、そのような円盤型の配置は不安定であり、その安定性というのは信頼できるようなものではない」と主張する[31]。バタイユがエディントンの見解だとする「われわれの銀河系に似た諸宇宙の現実の不安定さはそれらの外観に対応している」とは、まさにそのことを踏まえた記述であろう。 こうしてバタイユは、当時としては最新の科学の成果に基づいて宇宙論を展開する。エディントンの名前が登場するのは上記の箇所のみだが、バタイユが挙げた太陽の移動速度「秒速300キロメートル」や銀河の公転周期「2億5千万年」といった具体的な数値は、エディントンの著作のなかに登場する数値と完全に一致しており、「天体」全体がそうした科学的データに依拠していることがわかる。ではそうだとして、つまりバタイユがエディントンによる科学の成果を参照したとして、バタイユはその科学をどう扱っているのか。全幅の信頼を置いているのか、それともあくまで批判的に継承しているに過ぎないのか。その位置づけをより正確に看取するため、もう少し「天体」の議論を追ってみよう。

「天体」のうち、先に確認した部分まででバタイユは、人間が想いも及ばない宇宙のスケールを強調し、「宇宙の深い本質」が「物質のほとんど爆発的なまでの運動からなる回転運動にある」としていた。そうした形でバタイユは、「不動の大地」という誤謬しか見ようとしない人間に、爆発的なエネルギーで「回転運動」する天体に眼を見開かせようとする。

要するに、バタイユがそこで批判しているのは人間中心主義なのである。バタイユによれば、「人間中心主義と銀河系宇宙との関係は、地方の一封建領主の権力とそこからあまりに離れた帝国の中央権力との関係に似ている」[32]。中央権力からあまりにも離れている封建領主は、中央のことなど気にも留めず身勝手にふるまうことができる。それと同じように、人間が地上で好き勝手にふるまう分には、銀河系宇宙のことなど考えもしない、というわけだ。

ここで興味深いのは、天体間の力関係が地上の権力関係と相似的な図式でとらえられているということである。そのようにバタイユは、マクロコスモスの論理を地上の原理に当てはめるようにして論を発展させている。こうして、宇宙の論理はだんだんと地上における社会の論理へ、「回転運動」の概念は「全体運動(mouvement d’ensemble)」の概念へと横滑りしてゆく。

「天体」後半部からバタイユは「全体運動」という用語を盛んに用いるようになる。曰く、渦巻星雲や銀河系たちは「無数の星々、あるいはひとつの『全体運動(mouvement d’ensemble)』のなかに集結している恒星系で構成されている」[33]。つまり「全体運動」という言葉でバタイユがイメージしているのは、字義通りのことで、個々がばらばらの動きではなく、複数の個が集まって全体としてなんらかの動きを形成しているという、その集団性である。これはバタイユのなかでは「人間社会は単なる個人の加算ではない」とするデュルケムからモースへ引き継がれてゆく社会思想と通じているのであり、共同体思想を追究する社会学研究会においても「全体運動」が鍵語となるのだが、ともかくここでバタイユは、まさしく「全体運動」という語で星々の運動の集団性をとらえている。だがその「全体運動」もまた、銀河というレヴェルにおいてのみ考えられるものではない。つまり個々の星々もまた、それぞれ固有の「全体運動」を形成しており、太陽は太陽に固有の、地球は地球に固有の「全体運動」を形成しているのである[34]

では、それぞれどのような「全体運動」を構成しているのか。太陽のようなシステムの「中核(noyau central)」を形成している恒星は、宇宙空間に向けて自分の一部を光と熱にして絶えず放出し、莫大なエネルギーを消費している[35]。これに対して、地球は冷却しており、光を発していない。つまり、恒星の表面の光り輝く「原子たち(les atomes)」は──バタイユはここで改めて、天体がどのようなものであれ「原子たち」で構成されているとミクロコスモスを想起させる──、その恒星の「星全体の質量とその中心的な運動の権力内に収まっている」[36]。しかしながら、反対に地球上の原子は「その権力から解放されている」[37]。こうして、地球上の「原子たち」はその権力を逃れ、もはや供与者ではなくなる。そこで「原子たち」は、逆に力を貪ること、「貪欲さ」を課せられている[38]。だから各粒子は、無限に手に入る太陽エネルギーや、まだ自由な地球エネルギーを渇望するだけでなく、ほかの粒子のなかに蓄積されているエネルギーすべてをも渇望する。こうした「普遍的な貪欲さの運動」こそが、地球の「全体運動」なのである[39]

肝要なのは、この「全体運動」がまた、そこに属する個々の存在に影響を及ぼすということである。つまりこの宿命づけられた「貪欲さ」のおかげで、人間は道具と生産材料と労働によって「有用なもの」を無尽蔵に生産するようになったのだという。しかしまた、この「貪欲さ」の運動の頂点に、人間中心主義のようなある種の盲目もある[40]。あるいは人間は、この「貪欲さ」を(キリスト教道徳のように)「呪われた(maudit)」ものとして見るよう自らを強いることになってしまう[41]。そこで、「はけ口=解決策(issue)」はひとつだけしかない。それは、「貪欲さ」の頂点で惜しげもなく消費するということ、余剰を爆発的に消尽するということである。そうしたまったくの無益な消費、「真の自己贈与、恍惚」こそが、「冷たい運動から逃れ、太陽たちと渦巻星雲たちの祝祭をもう一度見出すことのできる可能性を明示してくれる」[42]。こうして、余剰の際限なき消費の重要性を唱え、「天体」は幕を閉じる。

さて、「天体」の内容を確認し終わったいま、改めて指摘しておきたいのは、前節で確認した「迷路」のときと同様に、バタイユが「核」や「原子たち」といった言葉遣いで、「核」のような何らかの中心とその周りを「回転」する運動という図式、いわば天体的な図式を描いているということである。加えて、やはり「迷路」のときと同じように、つまりミクロコスモスの原理を人間にも応用したように、「天体」ではマクロコスモスの原理を労働や権力やキリスト教といった地上の原理に関する事柄に応用している。

つまりバタイユは、エディントンの著作を参照しつつも、話が天体的図式や地上の原理に集束することからわかるように、科学をある種のエヴィデンスとして用いているというよりは、自説を広範に示すためのひとつの例示のようなものとしてそれを応用している。実際バタイユは、科学の知識を用いることに、あくまでも慎重である。

われわれの何たるかに関する以上の考察は、知識の発展ゆえに可能になったのである(そして、科学の今後の発展のなかでわれわれの知識が変わるのに応じて、以上の考察も変化する運命にあるということも認めねばなるまい)[43]

ここに見られるようにバタイユは、一方では自らが論じていることは「知識の発展ゆえに可能になった」が、他方では、「以上の考察も変化する運命にあるということも認めねばなるまい」とある種の誠実さを見せている。

ここでもバタイユは科学を利用しながらもその知識が移り変わることに自覚的ではあり、その意味でバタイユの態度は曖昧=両義的なものである。だがそうした暫定的な知識の発展としての科学を、変わりゆくことに自覚的でありながらも応用してしまうバタイユの態度は、むしろそうした限界を抱えた科学を超えて、何かを訴えようとしている証なのではないか。すなわち、「迷路」で見せたようなミクロコスモスから人間社会へのジャンプ、「天体」で見せたようなマクロコスモスから地上の理論へのジャンプというのは、通常の「科学」では跳び越えられない距離を一足飛びに飛ぼうとした結果なのではないか。この仮説を検討するために、最後のテクストを見てみよう。

3. 厳密な科学から曖昧な「科学」へ──ブロの宇宙進化論から

最後に扱うのは、社会学研究会の初回でバタイユが行った講演「聖社会学および『社会』『有機体』『存在』相互の関係」(« La sociologie sacrée et les rapports entre ‘‘ société ’’, ‘‘ organisme ’’, ‘‘ être ’’ »)(煩雑さを避けるため、以下「第1回講演」と略記する)である。そこでバタイユは、これまで「迷路」や「天体」で小出しにしてきたような「核」を中心とした一全体、ひいては共同体の問題を正面から取り扱う。

「第1回講演」は社会学研究会の活動の開始を告げる第1回例会で行われた講演であり、そのため、会としての導入のような役割も担っている[44]。そこでまずバタイユは、「聖社会学」の目的を語る。すなわちそこでは、聖社会学が「社会の共同運動(mouvement communiel)全体を研究するもの」と定義されたうえで、「聖社会学は、社会を構成する諸個人に加えて、さらにその性質を変貌させる全体運動(mouvement d’ensemble)が存在することを認めます」と宣言される[45]

ここに、「迷路」や「天体」にも見られるような個と全体の図式、そしてそれを社会に応用しようとする所作が見て取れる。とりわけ前述したように天体に見出された「全体運動」という様態が、ここでは社会の「共同運動」に見出されている。つまり、ここでもバタイユは、自然科学的な知見と社会学的な知見を同じ水準で融合させているのである。

だがそれもそのはずである。なぜなら、「聖社会学」においては、「科学」一般を包括するような活動、つまり「共同性の価値をもつかぎりでの、すなわち一体性を創り出すものとしてのかぎりでの人間のあらゆる活動──科学、芸術、技術──を研究しようとする」と宣言されているからだ[46]

したがって、「社会の共同運動」を研究すると宣言されたあとにつづく節でも、「現代物理学が考えるような原子」を例にとった「存在」に関する考察が始まる[47]。そこでなされる説明は以下のようなものである。まず、原子は多数の電子から成っているが、電子が原子核に結合することにより、ひとつの原子として全体で運動している。同様に、分子も多数の原子から成っているが、原子たちが寄せ集まることで、全体としては原子とはまったく異なる性質を示す。さらに、分子が集合したミセルもまた、ミセル全体としては異なる性質を示す。こうしてバタイユは、「個」の集合としての「全体」が、しかしながら「全体」としては「個」とまったく異なるふるまいを見せるということを、「現代物理学が考えるような原子」から出発して説明しているのである。

さらにこの議論は、「存在」についての、以下のような「一般化」へと導かれる。

実際にはいくらかの留保が必要であるにしても、こうした列挙は以下のような一般化を促します。つまり、一個の存在がそれより単純な諸存在から構成される過程は、いたるところに見られる過程であり、生物であれ非生物であれ、あらゆる存在物の基本的な形成過程にほかならないということです(その証拠に、星々の大規模な集合も、それを集めた諸銀河も、そのような様相から逸脱しないことは言うまでもありません)。そうであれば、社会を一個の存在として語ることはもはや不条理でも何でもありません[48]

「一個の存在がそれより単純な諸存在から構成される過程」が、「いたるところに」見られ、「星々の大規模な集合も、それを集めた諸銀河も」その例外ではないのだという。そしてその延長線上として、バタイユは社会をも「一個の存在」として語る。

では社会はいかなる「存在」か。バタイユに従えば、社会は「複合存在(êtres composés)」である[49]。「複合存在」とは、「1. それを構成する集積以上の何か、線状動物や社会の場合には少なくとも『共同性運動』と呼びうるような特殊な運動を見せる。2. 似てはいるが複合化されていない諸要素から成る集積に対して多かれ少なかれ相違を見せる」と定義されるものである[50]

そしてバタイユは、この「複合存在」に共通する発生論上の一致を見た論攷として、エミール・ブロ「宇宙進化論における天体物理学の決定的役割」(« Le rôle capital de l’Astrophysique dans la Cosmogonie »)を引用する。ブロのこの論文は、順を追ってまとめれば、「宇宙進化論(cosmogonie)」に依拠した宇宙の誕生と進化やそうした宇宙論に対する物理学の役割、最新の宇宙物理学に基づく新星、そして惑星系における電気や磁気、放射能など、おおよそ宇宙に関する事物について論述したものである[51]

だが最終節だけはやや毛色が異なり、宇宙進化論はあらゆる存在に共通する生物学・生物発生学の一般法則に到達すべきだという主張がなされたうえで、そうした「存在」についての発生論的な法則が記述されている。こうして、ブロの論文自体のなかで、あらゆる「存在」、つまり地上の動植物だけでなく、星々などの「宇宙存在」も含めた発生論的な一致が語られる。バタイユが引用しているのはまさにこの最終節すべてであり、すでにしてそこにマクロコスモスとミクロコスモスの一致を見出しているような論文を、自らの理論に取り込んだのである。

だがしかし、バタイユはブロのこの議論を無批判に継承したわけではない。すなわち、ブロは「あらゆる錯誤の可能性を非常に慎重に排除したあとではじめて歩み始める学者の部類に入るとは言えない」が、かといって「神秘主義の仲間に入れるわけにもいかない」という[52]。ただそうは言っても、「エミール・ブロが科学の名において語っている」ということは認められる[53]。だがさらに翻って、ブロの議論は──「天体」のときと同様に──科学の発展とともに覆されるだろうとも断られており、「自然(nature)」それ自体が「曖昧(vague)」で雑然としており、さまざまな形態に変わり得る可能性に満ちているために、そうした「曖昧」な「自然」に、人間の知性は翻弄されるのだという[54]

では結局、バタイユがこうして曖昧な態度で科学を取り入れる目的は何なのか。バタイユは自らがブロを引用しながら導入した「複合存在」の概念の「曖昧な特徴(caractère vague)」にこだわったという[55]。なぜなら、その「曖昧さ」は、通常の議論に見られるような実際には不正確な厳密さに比べれば、結局は「明確な(précis)」ものでもあるからである[56]。つまりバタイユは、現行の科学の奇妙な厳密さに頼ってブロのような議論を繰り広げるよりは、むしろ本来「曖昧」である「自然」に寄り添って、「曖昧」なままの概念を導入したほうが、むしろ「明確」ですらあると考えているのである。

こうした「曖昧さ」は、とりわけ「複合存在」の「共同性運動」を考えるうえで非常に重要である。なぜなら、「複合存在」においては「意識」が問題となり、その「意識」が「共同性運動」の形成に大きく関わるからである。だが問題は、「他者の意識を認識する方法は、実際、科学によっては決して開発されえない」ことにある[57]。つまりバタイユは、これとは異なる「科学」を、「聖社会学」として立ち上げようとしているのである。したがってバタイユはその「聖社会学」の観点から、「曖昧さ」を担保しようとする。

私がこだわるのは、われわれが意識と呼ぶものについての知識からはきわめて曖昧な概念しか出てこないし、したがって社会自体が意識をもつことを否定する権利はわれわれにはまったくないと示すことにほかなりません[58]

こうしてバタイユはブロによる「科学」を持ち出しながら、「科学」が「自然」によって翻弄されることを見越して、あるいは「科学」が考察し得ない「意識」について検討するために、「曖昧さ」を孕んだ「聖社会学」という名の別の「科学」を打ち建てようとする[59]

したがって、ここから展開される「聖社会学」は、とりわけ「意識」を中心に据えた「複合存在」の「共同性運動」についての研究となる。だからバタイユが自然科学の知見とともに語ってきた「核」という語も、そこに「意識」が介入する形で用いられる。バタイユは「第1回講演」の後、つづく社会学研究会の講演「牽引力と反発力Ⅰ」および「牽引力と反発力Ⅱ」においてさらに「核」についての思想を先鋭化させてゆくのだが、そこにおいて「社会の核(noyau social)」は、単に人を惹きつける「牽引力」だけを備えたものではなく、人が怖れ=畏れをなす「反発力」を発揮し得るもの、「タブー、すなわち触れえないもの、名付けえないものにほかならない」[60]とされる。

したがって、「牽引力と反発力Ⅰ・Ⅱ」においては、明らかに「核」を中心とした原子のような、ないしは「回転運動」する天体的な図式が想定されているが、そこにはやはり人間に特異な「意識」への作用が考慮されている。

人間の相互牽引力は直接的ではなく、それはまさに言葉通りの意味で媒介されたものであり、つまり、二人の人間のあいだの関係は、彼ら両者が中心核の影響圏のなかに位置しているという事実によって深い変質をとげているのです。彼らひとりひとりの生がその周囲を回っているところのその核の内実は、本質的に人に恐怖を与えるものなのですが、それが彼らの関係に不可避の中間項として介入するのです[61]

ここでも人間間の「核」が決定的な重要性をもたされているが、その内実に「恐怖」のような「意識」への作用が措定されている。あるいはもちろん、こうした「反発力」のほかにも「牽引力」も想定されているが、「牽引力」もまた「性的な相互牽引力」や「笑い」といった人間の心的な作用を前提としている[62]。こうした「聖なるもの」の左右、浄穢の両面を備えた「核」こそが、人間を「媒介」するもの、「不可避の中間項」として措定されているのである。

ここに、バタイユが「厳密な科学」を利用しながらも、それとは異なるほうへとずらしてゆく理由が読み取れる。すなわち、それはバタイユがとらえる人間という、意識的な存在、「感覚」に左右される存在の共同性を考えるためなのである。バタイユ自身、自らの手法をこう省みている。

実際、こうした理論の練り上げ方は、認識に正当に許されたさまざまな手続きと比較して、いったい何を意味しているのでしょうか。それはほかの科学と同じようなひとつの科学──生物学や天体物理学があるのと同じような意味での社会学──の展開として考えてみてもいいのでしょうか。[…]私がいま使ったばかりのイメージは、生物学でも物理学でも出会わないひとつの要素を導入するように思われるのです。その要素とは、いま使ったイメージについて、そこに本質が感覚に訴えるような形で表現されていると述べたときに、私が明確に性格づけることをためらわなかったような要素です。なるほど厳密な科学にも感覚的なものがけっして介入しないとは言い切れません。法則の言表には、現象に関する何らかの直観的な表象がつきまとうものですが、しかしそれは学者が陥る一種の弱さにすぎず、感覚を最小限にしようと努める固有の意味での科学に対して、それはいわば外部に出ることにほかなりません。私はこれとは反対に、私が記述を試みる現象がわれわれによって生きられたものであることを強調しましたし、これからも強調し続けるつもりです[63]

バタイユはこうして、「感覚」に依らない既存の「厳密な」科学に抗して、感覚的なものを考慮する新たな「科学」を、「生きられたもの」としての体験を追求する別の「科学」を、打ち建てようと夢見たのである。

おわりに

われわれは1930年代後半に書かれたバタイユの著作のうち、自然科学に関する著作が明示的に参照されているテクストを検討してきた。「迷路」では、個別性よりも複雑性を、個よりも全体を重視するランジュヴァンの議論を引き継ぎ、「核」の周りに引き寄せられる一全体のふるまいを、存在についての宇宙規模の法則に拡大した。「天体」では、一見安定しているように見える銀河系という全体も、実は個々の星々が動きながら平衡状態を保っているというエディントンの見解を引き継ぎつつ、そうした全体の「回転運動」に宇宙の本質を見出し、そうした考察が科学の発展とともに移りゆくことは認めつつも、その論理を地上の「全体運動」にも適用した。あるいは「第1回講演」では、マクロコスモスとミクロコスモスに発生論的な一致を見るブロの議論をそのまま引用するものの、やはりそれが科学の発展とともに覆され得ることを認め、「厳密さ」でむしろ誤ってしまう現行の科学ではなく、「曖昧さ」を担保し、「意識」や「感覚」に左右される「核」を中心に形成される、「複合存在」についての新たな「科学」を打ち建てようとした。そうしてバタイユは、マクロとミクロのあわいで、「厳密な」科学と神秘主義めいた非科学のあいだで、思索を進めていたのである。

バタイユの以上のような所作から看取されるのは、現行の科学という枠組みがやがては変遷をたどるであろうことを見通し、また、それでは語れない人間の「意識」や「感覚」を加味した別の「科学」について論じるために、むしろ最新の科学を引き合いに出してそれにアイロニカルに応答する姿勢である。だがアイロニカルにといえども、「核」を中心としたきわめて図式的な共同体のイメージは、今回参照したような自然科学の諸著作から明らかに継承したものというよりむしろ、そのイメージが見られるものをバタイユが選り分けてきた、という印象を受けざるを得ない。そう正確に判断するには、同時代に流布していた自然科学思想についてもう少し広く検討する必要があろうが、科学を利用しつつ乗り越えようとするその曖昧な姿勢こそが、後に『内的体験』に対するサルトルの「新しい神秘家」批判、とりわけ科学の濫用に関する批判などを呼び込んだとも言える。

ただし、以上のことが社会学研究会や雑誌投稿論文のような表向きの活動であったことには注意が必要である。いわばその裏側で行われた活動、つまりアセファルの活動などについては別の議論が必要であろう。それに加えて、「聖社会学」の試みが挫折したあとで、最初に述べたような『呪われた部分 全般経済学試論・蕩尽』におけるアンブロジーノとの共同作業などが行われることなども踏まえ、さらに1940年代におけるバタイユの「科学」との関わり方について検討してゆくことを、今後の課題としたい。

Notes

  1. [1]

    Emprunt du 27 décembre 1934 : voir les « Emprunts de Georges Bataille à la B.N. (1922-1950) », Œuvres complètes, Paris, Gallimard, 12 vol., 1970-1988, t. XII (1988), p. 598. 以下、バタイユの全集はO.C. と略記し、巻数とページ数のみを記す。なお、バタイユの著作の翻訳は既訳を参考に筆者が行い、日本語訳がある場合は該当箇所を併記する。

  2. [2]

    Ibid.

  3. [3]

    Emprunt du 23 avril 1935, ibid., p. 601.

  4. [4]

    ほかには例えば、モーリス・ブド『動物界の進化と社会形成についての試論』(Essai sur l’évolution du régne animal et la formation de la société)やエミール・メイヤーソン『量子論における実在と決定論』(Réel et déterminisme dans la physique quantique)などを借りている(Emprunt du 22 décembre 1934, ibid., p. 598 ; Emprunt du 25 février 1935, ibid., p. 600)。同時期には、とりわけ前者のような動物における進化論と社会形成に関する著作の借り出しが多く、数年後の1938年に行われた社会学研究会における講演では、動物の社会形成と人間の社会形成を比較している(Georges Bataille, « Attraction et répulsion. Ⅰ. », Le Collége de sociologie 1937-1939, testes de Georges Bataille et al. Présentés par Denis Hollier, Paris, Gallimard, « Folio », 1995, p. 174-175)。

  5. [5]

    バタイユがヘーゲルのコジェーヴ講義を受けていたのは、正確には1934年1月から1939年5月までとされている。バタイユの伝記的事実に関しては以下を参照した。Michel Surya, Georges Bataille, la mort à l’œuvre, Paris, Gallimard, 1992.

  6. [6]

    バタイユとアンブロジーノの関係については以下を参照した。Georges Ambrosino, Georges Bataille, L’Expérience à l’épreuve. Correspondance et inédits (1943-1960), édition établie, présentée et annotée par Claudine Frank, Meurcourt, Les Cahiers, 2018.

  7. [7]

    Cf. Georges Bataille, La Part maudite, Essai d’économie générale [1949], O.C., t. Ⅶ (1976), p. 23(『呪われた部分 全般経済学試論・蕩尽』酒井健訳、ちくま学芸文庫、2018年、20-21ページ).

  8. [8]

    ランジュヴァンの伝記的事実に関しては以下を参照した。スタロセリスカヤ・ニキーチナ『ポール・ランジュヴァン伝』伊藤隆訳、水曜社、1996年。

  9. [9]

    物理学の史実に関しては、標準的な学説史として以下の2冊を参照した。小山慶太『物理学史』、裳華房、2008年 ; 物理学辞典編集委員会編『物理学辞典 3訂版』、培風館、2005年。

  10. [10]

    Paul Langevin, La Notion de corpuscules et d’atomes, Paris, Hermann, 1934, p. 3-4.

  11. [11]

    Ibid., p. 35.

  12. [12]

    Ibid., p. 36.

  13. [13]

    Ibid., p. 36.

  14. [14]

    Ibid., p. 38.

  15. [15]

    Ibid., p. 38.

  16. [16]

    Ibid., p. 44.

  17. [17]

    Georges Bataille, « Le labyrinthe » [1936], O.C., t. Ⅰ (1970), p. 435. 原文でイタリックの箇所を傍点で示した。以下とくに断りのない場合、傍点強調はすべて原文による。また、〔〕内は筆者による補足を示す(以下すべて同様)。

  18. [18]

    Georges Bataille, « Le labyrinthe », op. cit., p. 437.

  19. [19]

    Ibid., p. 434.

  20. [20]

    Ibid., p. 435. 「どこにもなく」の原文は、« NULLE PART » と、すべて大文字で記され強調されている。すべてが大文字で示されるのは「迷路」全体のなかでもこの箇所のみであり、その意を汲み取るとすれば、ランジュヴァンの議論をふまえて原子のように人間を全体のなかの一部に挿入された粒子として定位させることはできるが、根本的には、人間のような存在者は「どこにもない」ということが基底にある、と強調しているということになろうか。

  21. [21]

    Ibid., p. 435.

  22. [22]

    「迷路」はのちに、『内的体験』(L’Expérience intérieure)(1943)の第3部「刑苦の前歴」に大幅に改稿されて収録されるが、そこでは「迷路」以上に科学に対してアイロニカルなバタイユの態度が見て取れる。『内的体験』におけるランジュヴァンの受け止め方、および科学の位置づけに関しては以下を参照。石野慶一郎「バタイユと粒子 ジョルジュ・バタイユにおける科学の位置づけについて」『Phantastopia』第1号、Phantastopia編集委員会、180-186ページ、2022年。

  23. [23]

    Ibid., p. 437. 原文では「きわめて一般的に考えて」以下の文章はすべてイタリック体で示されている。

  24. [24]

    Ibid., p. 438.

  25. [25]

    エディントンの学説史上の位置づけについては以下の2冊を参照した。『天文学大事典』天文学大事典編集委員会編、地人書館、2007年 ; 鈴木敬信『改訂・増補 天文学辞典』、地人書館、1991年。

  26. [26]

    Georges Bataille, « Corps célestes » [1938], O.C., t. Ⅰ, p. 514(「天体」『ランスの大聖堂』酒井健訳、ちくま学芸文庫、2005年、46ページ).

  27. [27]

    Ibid., p. 514(同上書、46ページ).

  28. [28]

    Ibid., p. 514(同上書、46ページ).

  29. [29]

    Ibid., p. 515(同上書、48ページ).

  30. [30]

    Arthur Stanley Eddington, The Rotation of the Galaxy, Oxford, Clarendon Press,, 1930, p. 21-22.

  31. [31]

    Ibid., p. 30.

  32. [32]

    Georges Bataille, « Corps célestes », art.  cit., p. 516(「天体」、前掲書、49ページ).

  33. [33]

    Ibid., p. 516(同上書、50ページ).

  34. [34]

    以下を参照。「かくして太陽は恒星であり、地球はその惑星であり、月はその衛星ということになる。このサイクルに彗星を加えるならば、四つの種類の天体が、銀河系の『全体運動』の内部にありながら太陽系という孤立している一個の固有の『全体運動』のもとに集束しているように見える。が、またこれら四種の天体がそれ固有の『全体運動』をもってもいるのである」(Ibid., p. 516-517(同上書、50ページ))。

  35. [35]

    Ibid., p. 517(同上書、50-51ページ).

  36. [36]

    Ibid., p. 517(同上書、51ページ).

  37. [37]

    Ibid., p. 517(同上書、51ページ).

  38. [38]

    Ibid., p. 518(同上書、51-52ページ).

  39. [39]

    Ibid., p. 518(同上書、52ページ).

  40. [40]

    Ibid., p. 518(同上書、53ページ).

  41. [41]

    Ibid., p. 519(同上書、54-55ページ).

  42. [42]

    Ibid., p. 519(同上書、56ページ). 「天体」のこの最後のくだり、とりわけ「呪われた」、「贈与」といった言葉遣い、あるいは地球の「全体運動」に課された、ほかのエネルギーをも欲する「貪欲さ」は、のちに出版される『呪われた部分 全般経済学試論・蕩尽』(La Part maudite Essai sur l’économie générale)の萌芽とも受け取れる。実際、これは謂れのないことではない。というのは、「天体」は『呪われた部分』の草稿として書かれたもののうち、その第一章第一節とほぼ同内容となっているからである。それら草稿は、バタイユの死後ガリマール社より『呪われた部分 有用性の限界』として全集に収録された。草稿のヴァージョンや成立事情などについては以下を参照されたい。Georges Bataille, La limite de l’utile [1976], O.C., t. Ⅶ (1976), p. 502-507, en note(『呪われた部分 有用性の限界』中山元訳、ちくま学芸文庫、2003年、15-28ページ).

  43. [43]

    Georges Bataille, « Corps célestes », art. cit., p. 516(「天体」、前掲書、48-49ページ).

  44. [44]

    ただし、社会学研究としてはこれ以前にすでに、「『社会学研究会』設立に関する声明」や「社会学研究会のために」と題されたマニュフェストに当たるもの──そのなかには論攷「魔法使いの弟子」も含まれる──が『NRF』誌に公開されてはいる。

  45. [45]

    Georges Bataille, « Rapports entre ‘‘société’’, ‘‘organisme’’, ‘‘être’’ (1) » [1937], Le Collége de sociologie 1937-1939, op. cit., p. 140-141(「聖社会学および『社会』『有機体』『存在』相互の関係」ドゥニ・オリエ編『聖社会学 パリ「社会学研究会」の行動/言語のドキュマン』兼子正勝・中沢信一・西谷修訳、工作舎、1987年、134-135ページ).

  46. [46]

    Ibid., p. 140(同上書、134ページ).

  47. [47]

    Ibid., p. 142(同上書、135ページ).

  48. [48]

    Ibid., p. 143(同上書、136ページ).

  49. [49]

    Ibid., p. 146(同上書、138ページ).

  50. [50]

    Ibid., p. 146(同上書、138ページ).

  51. [51]

    Emile Belot « Le rôle capital de l’Astrophysique dans la Cosmogonie », Scientia, vol. LⅫ, Bologna, Zanichelli, 1937, p. 74-82.

  52. [52]

    Georges Bataille, « Rapports entre « société », « organisme », « être » (1) », op. cit., p. 149(前掲書、140ページ).

  53. [53]

    Ibid., p. 149(同上書、140ページ).

  54. [54]

    Ibid., p. 149(同上書、140-141ページ).

  55. [55]

    Ibid., p. 149(同上書、141ページ).

  56. [56]

    Ibid., p. 149(同上書、141ページ).

  57. [57]

    Ibid., p. 150(同上書、141ページ).

  58. [58]

    Ibid., p. 153(同上書、143ページ).

  59. [59]

    「聖社会学」を試みる社会学研究会が科学的であらねばならないことは以下のように強調されている。「今日の発表を終える前に、あとひとつだけ言っておきたいことがあります。『社会学研究会』の企てが科学的客観性の次元にのみ立脚すべきことは言うまでもありません」(Ibid., p. 149(同上書、146ページ))。

  60. [60]

    Georges Bataille, « Attraction et répulsion. Ⅰ. » [1938], Le Collége de sociologie 1937-1939, op. cit., p.194(「牽引力と反発力Ⅰ」、前掲書、186ページ).

  61. [61]

    Ibid., p. 195(同上書、187ページ).

  62. [62]

    Ibid., p. 196(同上書、187ページ).

  63. [63]

    Georges Bataille, « Attraction et répulsion.Ⅱ. » [1938], Le Collége de sociologie 1937-1939, op. cit., p. 210-211(「牽引力と反発力Ⅱ」、前掲書、201ページ).

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石野 慶一郎「マクロとミクロのあわいで——ジョルジュ・バタイユにおける「核」と科学の位置づけについて」 『Résonances』第13号、2022年、1-18ページ、URL : https://resonances.jp/13/entre-la-macro-et-le-micro/。(2022年11月30日閲覧)

執筆者

所属:超域文化科学専攻(表象文化論)
留学・在学研究歴:

フランス語要旨résumé

Entre la macro et le micro

Sur le « noyau » et la relation avec la science chez Georges Bataille

Cet article examine l’influence des sciences naturelles dans la pensée de Georges Bataille. À la fin des années 1930s, Bataille a introduit des connaissances scientifiques provenant de ces disciplines dans ses articles. Parmi eux, nous examinons les textes dans lesquels des références explicites sont faites aux œuvres traitant des sciences naturelles. Ces textes incluent certaines caractéristiques communes. Ils présentent un concept clé le « noyau ».

En premier lieu, dans « Le labyrinthe » (1936), Bataille aborde le problème de l’individu et du tout, en se référant à Paul Langevin, La Notion de corpuscules et d’atomes (1934). Dans cet article, les entités composites telles que les particules sont considérées en termes de complexité plutôt que d’individualité, et Bataille applique cette logique à celle de la manière d’être de l’homme.

Ensuite, dans « Corps célestes » (1938), Bataille trouve l’essence de l’univers dans la rotation d’un mouvement, en référence à Arthur Stanley Eddington, The Rotation of the Galaxy (1930). Ici, la question de l’individu et du tout continue d’être débattue, tandis que le sujet de discussion évolue vers la formation de la communauté et de la société autour d’un « noyau ».

Enfin, dans « La sociologie sacrée et les rapports entre “société”, “organisme”, “être” » (1937), on cite Emile Belot « Le rôle capital de l’Astrophysique dans la Cosmogonie » (1937), dans lequel un principe commun se retrouve dans le macrocosme et le microcosme. Ce que Bataille en tire, c’est une manière d’« être composé », formant une communauté autour d’un « noyau ».

Comme décrit ci-dessus, Bataille a activement introduit les connaissances des sciences naturelles afin de nourrir sa pensée, mais il n’a pas utilisé les sciences comme une preuve de sa pensée. En examinant la démarche de Bataille dans ces textes, il est possible de discerner cette façon qui lui est propre d’aborder la science naturelle.

pour citer cet article

ISHINO Keiichiro, « », Résonances, nº 13, 2022, pp. 1-18, URL : https://resonances.jp/13/entre-la-macro-et-le-micro/, page consultée le 30 novembre 2022.