Résonances

東京大学大学院総合文化研究科フランス語系
オンラインジャーナル
Résonances 第13号 | 2022年10月発行
クロニック

『鹿島パラダイス』における映画監督クリス・マルケルのナレーション資本主義化する1970年代の日本へのまなざし

はじめに

1940年代、ジャン・コクトーに憧れ「偉大な作家」[1]になることを夢見て『エスプリ』誌に詩や小説、時事評論などを寄稿していた青年クリスチャン・ブッシュ・ドゥヌーヴ、後のクリス・マルケル(1921-2012)はアンドレ・バザンとパリ第6区の「労働と文化」[2]の事務所で出会ったことにより、写真家としてのキャリアをスタートさせ、後に映画作家へと転身する。実質の処女作[3]『彫像もまた死す』(1953)を共同制作したアラン・レネをマルケルに引き合わせたのも、他でもないバザンであった。

映画監督に転身したクリス・マルケルは1970年代SLON(ISKRA)[4]での労働運動に携わりながら共闘関係を築いた映画作家の作品に様々な形で参加する。そのなかで本稿は、『鹿島パラダイス』(ヤン・ル・マッソン[5]&ベニー・デズワルト、1973)のためにクリス・マルケルが執筆したナレーションに着目する。

 『鹿島パラダイス』(1973)は、マッソンとデズワルトの共同監督作品として1973年に制作され、同年のカンヌ国際映画祭批評家週間で上映された。この作品はクリス・マルケルがナレーション原稿を執筆し、ジャックリーヌ・タウスとジョルジュ・ルキエの二人が交互にナレーションを行う形式で進行する。本作品の意図は、1970年代の高度経済成長期の日本を舞台に大阪万博から始まる都市の繁栄とその陰に隠れた鹿島の農村の様子、そして三里塚闘争を対比しながら、資本主義化された日本社会を考察することである。

クリス・マルケルと日本の関係性を概観していくと、マルケルは1964年東京オリンピック開催期間の東京の様子を映し出した『不思議なクミコ』(1965)を監督して以降、数回にわたり来日し、『もしラクダを4頭持っていれば』(1967)、『サン・ソレイユ』(1982)、『レベル5』(1996)といった作品を制作した。日本を舞台とした作品のテーマは多岐にわたり、記憶、戦争、写真などが挙げられる。そのなかで本作品は、マルケルが1970年代の日本をどのように捉えているかを考えるうえで重要な位置を占めている。

『鹿島パラダイス』のナレーション

以下、ナレーション原稿の分析を行う。本作品は、万博と東京都市部、鹿島、三里塚、結論という4つのパートに分けることができる。

第1部の冒頭で、マルケルは日本という場を以下のように定義している。この定義は、後に鹿島という場を思考するために重要である。

この映画は日本で撮影された。日本、素朴にして矛盾を孕んだイメージを喚起する国──不可解なアジア的哲学、オートメーション、エレクトロニック、先端技術、エキゾティックな伝統とアメリカ風のモダニスムの共存[6]

以上の引用は、日本において伝統と資本主義社会が共存しているというマルケルの認識を示しているが、この二重状態の破壊を描くことが本作品の意図である。かくして、すでに述べた構成のもと、マルケルは、アメリカ的な資本主義社会が日本の伝統の中に「ブルジョアジーという社会を支配する階級[7]」を持ち込んだこと、その一方で日本の人々が階級の存在を意識しないようにしていたこと、またそれと同時に、彼らが日本という共同体の外を、空虚で自由の存在しない場として認識し始めたということを提示していくのである[8]

同時に、マルケルは学生運動に参加する学生がいる一方で、運動に参加せずに無為に過ごす学生や若者が多く存在する日本の現状について、皮肉を込めながら以下のように記している。

ヒッピーたち[9]は理解しようとしない。彼らは誰の話にも聞く耳を持たず、確立された秩序内部での自由という夢を生きている。彼らはこの社会から逃避できると思い込んでおり、共産党の穏当な論説にも、革命左派の扇動的な論説にも、等しく耳を傾けない[10]

マルケルは1960年代以降、南米や欧州の武装闘争に参加しその様子を撮影していることもあり、そのような経験から日本の闘争を一歩引いた視線で見つめていることがうかがえる。マルケルは政治的言説に対抗するために、あたかも非政治的であるかのように装う言説の欺瞞を批判しているが、その批判のうちには、確立された秩序に抗えない日本の状況に対する歯がゆさも見て取ることができる。

鹿島を取り扱う第2部において、中心的に描かれるのは、「ゼンザエモン(Zenzaemon)」という農民である。当時、鹿島に製鉄所、石油化学のコンビナートが多く建設され、工場労働者に転身する農民が増加していた。そのなかで、ゼンザエモンを含む一部の農民は、なおも農業に従事しつづけた。マルケルがフォーカスをあてたのは、後者の抵抗をつづけた農民の側である。

まず、日本における稲作について、マルケルは日本国政府の生産調整政策に触れながら以下のように記している。

米はただの生産物の一種類ではない。長らく、まず第一に米こそが生産物だったのであり、つまりは価値の指標だったのである。[…]米は実際の価値以上の価値を持っている。政府が、消費者が払う以上の金額で米を買い取るのだ。それゆえ、安定した収入が見込めるとして、日本の農家はみな米を育てる[11]

だが、実際には、米農家の経済状態が見込み通りに安定しつづけていたわけではない。たとえば、マルケルは、機械化による生産効率の改善が必要であるにもかかわらず、その資金を持たないためにゼンザエモンが苦境に陥るさまを描いている[12]

ナレーションが対比的に提示するのは、コンビナートで働く農民、工場労働者に転じるべきかを逡巡するゼンザエモン、そしてコンビナート建設のため立ち退きを強要された農民の三者の様子である。

鹿島の農民はコンビナート建設のために土地をすぐに売却したことが語られる。

それほど昔のことではない、3、4年前にはまだ、そこに村があり、田があり、ゼンザエモンが所有しているような農地があり、自分の土地を売るという考えに彼のように武装して反抗する農民がいた。だが、彼らも土地を売り払った。[…]農民らは、土地の徴発には抵抗しなかった[13]

コンビナート建設に際し、会社側が農民との間に結んだ契約は、農民が思うかたちでは守られなかった。なぜなら、借地耕作が契約の例外となっていたために、多くの農民が補償を受けることができなかったからである。

自分が耕作する土地を所有していない貧農は、補償の対象外である。貧農たちはブルドーザーの只中を立ち退いていく。彼らこそが、はじめて、そしてもっとも残酷なかたちで、下層無産労働者階級にさせられた者たちである。だが、彼らで終わりではあるまい[14]

そして農業をやめて工場で働くことを余儀なくされる農民の状態を、マルケルは以下のように示している。

ほとんどの農民が、遅かれ早かれ、外での仕事を求めて村を去らねばならない。そうして、「内部の移民」の数を増大させていくのだ[15]

このようにマルケルは、農民が職業を変えるよう強いられる状況について、欧州における産業革命期との類似を示唆しつつ、「内部の移民(immigrés de l’intérieur)」と呼ぶ。この印象的な表現が意味するのは、地理的に移動することはないまま、もといた共同体から切り離され、産業資本体制に組み込まれていく農民たちの変化である。

だが、鹿島の村落共同体は、産業資本体制による分断に抵抗する。このことが焦点化されるのが、「屋根祭(La fête traditionnelle du Toit)」 における「義理(GIRI)」を扱う場面である。「屋根祭」は、権力の介在によって、村民に自らが共同体の構成員であることを意識させ、そのことによって共同体の拘束力を改めて強化する機会である[16]

マルケルに即せば、「義理」の負債関係から共同体の構成員が逃れることは不可能である。

人々は、家族によって溜め込まれた義理を抱えて生まれ、その義理をより多くしたり、報いたりしながら生きて、ついにはその義理を子孫に残して死んでいくのである。ここでは、義理はごく単純な形態をとって現れる[17]

「義理」の「ごく単純な形態」とは、贈答品のことである。マルケルは「義理」の負債は、送られた品物の数に比例して増大すると指摘している。そして、伝統を背景とする「義理」の力が最大のはたらきを見せるのは、冠婚葬祭の場である。したがって、たとえば鹿島の共同体において、結婚は「義理」の負債関係のシステムに組み込まれており、自由な結婚は認められない[18]

第3部では、三里塚の農民が扱われる。三里塚の農民は、産業資本に抵抗した点において、鹿島の農民とは対照的な存在として描かれている。

鹿島と同様、県職員たちは国益の名の下に農民らの土地を買い上げようとしたが、ここ[三里塚]では農民たちは売却を拒否した。これを受け、政府は徴発を決定し特例法を採択した。農民の大半はそれには従わず、「三里塚芝山連合空港反対同盟」に結集した[19]

農民が土地を売却してしまった鹿島とは異なり、三里塚の農民は権力による土地の買い上げに武装的に抵抗した。マルケルは、その抵抗に参与した新左翼の学生たちに注目する。

農民の闘争の政治化に寄与したのは学生たちだ。はじめは、所有するわずかな農地を守るための保守的な力による闘いであったものが、専有と繋がる権力との闘争へと変化した[20]

権力者の状況についてマルケルは、以下のように示す。

恐ろしいものであることが期待されたスペクタクルが、実は説得的なものであることが明らかとなる。そして大手メディア(grande information)は結局、いずれ消滅すると信じていた数々の思想を拡散させるのである。その闘争の場では、農民とその仲間が、会社とその用心棒、あるいは用心棒に代表される会社──というのも権力者の特性は常に雇った警官を用いて争い合うことにあるからなのだが──と対峙していた。[21]

三里塚における農民・学生の開かれた闘争に、マルケルは、権力の状況を知らしめるための大手メディアとは異なる方法を見出している[22]。農民、学生は開かれた闘争を行うことで、権力の状況を知らしめることが可能であるとマルケルは考えていると言えよう。それは土地を売却した鹿島との明確な違いであり、マルケルは三里塚の闘争に対する賛意を「観客の良心に刻み込まれる」という表現を用いながら示している。そこから闘争における武力衝突の様子がナレーションを排する形で10分程度映し出される。

結論部でマルケルは、鹿島の様子を以下のように表現している。

鹿島は資本主義の楽園である。昼夜我々は生産し、消費する。狂った競争が続いている。神々は受け取った奉納物に喜び、高炉やクラッキング作業を行う塔に目を配っている。[…]知事や有力者は穏やかに眠ることができる[23]

このように、抵抗が行われなかった鹿島は資本主義のための土地と化し、伝統を保持するという形で抵抗をしていた農民たちの行動も資本主義に組み込まれ利用されていくことが示される。ゼンザエモンの状況について、マルケルは「今どこへ向かっているかがわからない(il ne sait pas où il va)」[24]という表現を残している。この言葉が示しているように、伝統が資本主義によって空虚な形に再生産されるとマルケルは考えていたのである。

おわりに

『鹿島パラダイス』のナレーションを通して、マルケルは印象的な表現を用いて資本主義を強烈に批判している。そこには、マルケルの70年代の作業の核となる部分、すなわち抵抗へのまなざしが存在している。本稿の分析を踏まえ、今後自らの作品ではなく、共闘した映画作家の作品へのナレーション提供を通してマルケルがいかなる抵抗を表象したのかついて、本作品以外の映画作品も含めて検証を加えていきたい。

Notes

  1. [1]

     Florence Delay, « L’invention de Marker », Raymond Bellour, Jean-Michel Frodon, Christine Van Assche (éds.) Chris Marker, cat. exp., Paris, La cinémathèque française, Actes Sud, 2018, p. 20-24.

  2. [2]

    「労働と文化(Travail et culture)」は、1944年のパリ解放に触発されて創刊された文化団体。アンドレ・バザンやアラン・レネなどが所属し映画批評、シネクラブを主な活動としていた。

  3. [3]

    マルケルは1952年にヘルシンキ・オリンピックの様子を撮影した、『オリンピア52(Olympia52)』という作品を発表している。しかしマルケル本人の意向により本作品はお蔵入りとなった。その為1953年に発表した『彫像もまた死す』が実質の処女作品である。

  4. [4]

     SLON(Société de Lancement des Œuvres Nouvelles)は1967年に設立され、ブサンソンに位置したルノーのロディアセタ工場におけるストライキの様子を撮影した『また近いうちに』(1968年)を制作するなど、労働者主体の映画制作を行った。

  5. [5]

    クリス・マルケルの監督作品におけるヤン・ル・マッソンとの共同作業の一例として『空気の底は赤い』(1977)、『サン・ソレイユ』(1982)の両作が挙げられる。マッソンは2つの作品で映像の一部をマルケルに提供した。

  6. [6]

    Chris Marker, Commentaires de Chris Marker pour Kashima Paradise, Cinémathèque Toulouse, 1973, p. 1. 以下、訳出による引用にさいして伊藤連氏から多くのご教示を得た。

  7. [7]

    Ibid., p. 2.

  8. [8]

    Ibid., p. 3.

  9. [9]

    ただしここでの「ヒッピー」は映像に映し出されているように無気力に街をさまよう若者の意味として取られており、一般的なカウンター・カルチャー文化を担う意味としてのヒッピーとは異なるため、マルケルの日本に対する知識の不足が見られる。

  10. [10]

    Marker, op. cit., p. 4.

  11. [11]

    Ibid., p. 5.

  12. [12]

    Ibid., p. 6.

  13. [13]

    Ibid., p. 7.

  14. [14]

    Ibid., p. 7.

  15. [15]

    Ibid., p. 8.

  16. [16]

    Ibid., p. 8.

  17. [17]

    Ibid., p. 8.

  18. [18]

    Ibid., p. 8.

  19. [19]

    Ibid., p. 13.

  20. [20]

    Ibid., p. 13-14.

  21. [21]

    Ibid., p. 13. 尚、本箇所の訳出については大屋戸しおり、桐谷慧の両氏のご教示を受けた。

  22. [22]

    ここには、マルケルがSLONで制作した『報告集』というテレビシリーズとの類似した思想を読み取ることができる。

  23. [23]

    Marker, op. cit., p. 16.

  24. [24]

    Ibid., p. 17.

178 View
facebooktwitter

この記事を引用する

小城 大知「『鹿島パラダイス』における映画監督クリス・マルケルのナレーション——資本主義化する1970年代の日本へのまなざし」 『Résonances』第13号、2022年、38-43ページ、URL : https://resonances.jp/13/commentaire-de-kashima-paradise/。(2022年11月30日閲覧)

執筆者

所属:超域文化科学専攻修士課程(2021-)
留学・在学研究歴:なし