理念と先取り初期デリダにおける「未来」の問題
はじめに
「未来」[1]は、近代以降の多くの思想家にとって特権的な意義をもつ時間様態であった。理念であれ、共産主義であれ、死であれ、メシアであれ、それらは未来において到来すべきものとしてしばしば思考されてきた。あるいは、進歩や投企、先駆的覚悟性といったテーマにおいて問題となっていたのは、何らかの未来との関係であったと言えよう。近代とは、未来に取り憑かれた時代であったということとなるだろう。
ジャック・デリダ(1930-2004)もまた、未来について積極的に語った思想家の一人である。とりわけ、1990年代以降の著作において彼が論じた「来たるべき民主主義」や「メシア的なもの」といったテーマは、未来という時間と深くかかわるものであった。彼はあるテクストにおいて、「未来は開いているほうがよい、それが脱構築の公理である」[2]とさえ語っている。本稿は、デリダがフッサール晩年の草稿である「幾何学の起源」を翻訳した際に付した「序説」(執筆は1961年、刊行は1962年)を取り上げ、そこにおける「未来」の問題を検討する[3]。「序説」は彼が公刊した最初のテクストであるが、そこではすでに、未来との関係に重要な役割が与えられていた。われわれは、まず1)「序説」における未来や予持の概念の解釈を概観し、ついで2)未来との関係が彼の現象学読解において果たしている役割を検討する。そして最後に、3)「序説」における未来の問いと後のデリダの思想の展開とのかかわりについて考察する。この論文の狙いは、これまでそれ自体としては論じられることの多くなかった「序説」における未来というテーマを取り上げることによって、デリダにおける未来の問いの意義を再考することに存する。また、それを通して、彼の現象学解釈に新たな光を当てることも本稿の目標の一つである[4]。
1. 「序説」における現象学的時間および未来の解釈
「序説」においてデリダは、現象学的時間概念をどのように解釈し、未来をどのように捉えていたのだろうか。デリダが現象学的時間について論じる際に依拠するのは、主にフッサールの『内的時間意識の現象学講義』である。このテクストにおいてフッサールは、時間意識を点的瞬間に閉じ込められたものではなく、過去と未来という地平を伴ったものとして記述している。現在のもっとも顕在的位相たる「原印象」は、近い過去をなお保持している「把持(Retention)」と、近い未来をすでに待ち受けている「予持(Protention)」を伴っている。「現在」は一定の幅をもっているとされ、意識の瞬間性という伝統的観念が批判される。
現象学的時間意識についてデリダは、「現在は断絶として出現するのではなく、過去の結果として出現するのでもなく、過ぎ去った現在の把持として現れる」(OG, 45/69)と記す。他の多くの思想家と同様、デリダにとっても把持は重要な概念であった。把持により、現在が過去へと開かれることが可能になるからだ。把持は、主体が能動的に行う「再想起」とは異なり、受動的な働きだとされる。つまり、ある新たな「今」は、つねにすでに受動的な仕方で過ぎ去った「今」と関係をもっており、現在は必然的に過去へと開かれているということとなる。このような時間意識の構造について、デリダは後期フッサールの用語を用いて「生き生きした現在(présent vivant)」とも呼ぶ[5]。
さて、「幾何学の起源」の中心にある問いの一つは、幾何学の歴史がいかにして可能になるのかという問いである。幾何学的意味は普遍的に妥当しなければならず、時代を超えて保持される必要がある。デリダの解釈によれば、それを可能にする最下層の基盤は、把持など時間意識の構造である。把持による過去の意味の保持が、汎時間的普遍性を可能にする基礎であるということだ。もちろん、「生き生きした意識の把持能力は有限」であり、個人における習慣と沈殿の機能も、その個人の生の有限性に限界づけられている。しかし、「文化の共同世界における伝統の沈殿化の機能」が、「個人的意識の把持の有限性を乗り越える」(OG, 45/69)。つまり、自我の時間の有限性は、文化共同体の歴史によって乗り越えられるのだ。デリダは、自我の「生き生きした現在」が「歴史的現在(présent historique)」の基盤であるとする(OG, 50/70)。
「生き生きした現在」や「歴史的現在」において、「未来」はどのような役割を果たしているのだろうか。フッサールによれば、新たな「今」は過ぎ去った「今」をなお把持しているだけでなく、来たるべき「今」をすでに予持している。予め持つこと、「予持」あるいは「未来予持」と訳されることの多いProtention の働きこそ、時間意識における現在と未来とのかかわりである。把持と同様、予持も受動的作用であり、未来の事象を能動的に思い描き予期することとは区別される。すなわち、顕在的な「今」は、つねにすでに未来を先取りしてしまっているのだ。「序説」においてデリダは、予持という語によって、ある「今」が新たに到来する「今」へと向かう運動そのもののことを理解しているように見受けられる。実際彼は、「現在が過ぎ去った現在として捉えられ、乗り越えられて、他の根源的で原本的な絶対者、つまり他の生き生きした現在を構成するのは、この予持の運動においてである」(OG, 46/69-70)と記している。また、デリダは予持について「投企(projet)」という実存主義的用語で言い換え、ある「今」とはそれ自身「一つの原本的な投企」である、つまり「『今』は休むことなく、次の『今』へと向かっている」(OG, 149/215-216)としている。このような未来へと向かう運動という予持の理解は、意識が対象へと向かうことを意味する「志向性」の概念とも結びつけられる。
デリダは、予持と把持の関係について、「沈殿していく把持は単に予持の可能性の条件であるだけでなく、予持という一般的形式に本質的に属してもいる」(OG, 45-46/69)と述べる。把持は予持の「可能性の条件」である、つまり未来の予持は過去の経験などを基盤にしてなされる。同時に、把持は未来へと向かう予持の運動に属しているともされる。後者の事態をより明確に理解するために、「歴史的現在」、とりわけ幾何学の歴史の問題に目を向けたい──デリダは歴史的時間と時間意識を「類比的」とみなしていた。またフッサールにおいては、幾何学のような精密学の歴史こそが、もっとも純粋な歴史だとされる。幾何学の歴史において、過去の意味は保持され、「一切の成果は妥当し続ける」必要がある。そして、新たな意味の創造は、保持されてきた成果の全体を前提としなければならない。しかし、それは単に新たな意味がそれまでの伝統に付け加えられるということではない。新たな科学的段階への移行、新たな幾何学的意味の創造とは、「先行する意味の全体を新たな投企のなかへ組み入れること」(OG, 49/73)でもある。つまり、新たな意味の創造とは、過去から伝承されてきた意味の全体を未来への新たな投企において理解し直すこと、新たな布置へと置き入れることでもあるのだ。さらにデリダは、過去から伝承されてきた意味は「新しい創造の投企のうちにのみそれ自身出現する」(OG, 158/238)、「過去の全体はつねに投企という一般的形式のもとに現れる」(OG, 46/70)と述べる。すなわち、過去とはわれわれから独立した死せる化石のごときものではなく、現在においてそのたびごとに新たに再解釈されるものであり、そしてそのような再解釈を通してのみわれわれは過去へと接近可能になるということであろう。「一個の『理念』たる投企によって」こそ、「それぞれの歴史的全体に生命が与えられる」(OG, 46/70)のである。以上のような歴史の運動について、デリダはフッサールの記述を引用しつつ、「根源的な意味形成と意味沈殿とが共存し含み合う生き生きした運動」(OG, 203/292)であるとする。
このことを「生き生きした現在」のレベルで捉え直すならば、過去の把持を基盤として予持はなされる、そして予持された未来から遡行して過去は新たに捉え直され現在に結び付け直される、ということとなるだろう。予持がなければ、把持された過去が再活性化されることはできない。「把持はまさにその形式である予持なしには可能ではない」(OG, 149/215)。予持と把持は相互に必要としており、このような還元不可能な相互関係のことを、若きデリダは「弁証法」と呼んだ。彼によれば、「時間性の原初的絶対者である生き生きした現在は、弁証法という語に対するフッサールの嫌悪にも拘わらず、予持と把持の弁証法と呼ばれてしかるべきものの保持=今[maintenance]」に他ならない」(OG, 46/69)。このことは、フッサールが記述するジグザグ運動としての歴史にも通じる。過去の理解を基盤として未来への新たな投企が開かれる。そうすると、今度はその投企された未来から遡行して、過去の意味が新たに開示される。これは、起源と目的、起源的ロゴスとテロスが相互に啓示しあう「相互作用」であり、「そこではすべての冒険が回心であり、すべての起源への回帰が地平へ向かう果敢さのことであるような運動」(OG, 165-166/245)なのだ。
以上、「序説」におけるデリダの未来についての理解を概観してきた。若きデリダにとって予持や投企とは、未来へと向かいそれを先取りする運動であり、その先取りされた未来から過去や現在に新たな意味を付与するものであった。また、それは受動的な運動であり、われわれはつねにすでに未来へと向かい、未来にかかわってしまっている。このような未来との関係こそが、ある意味では現在や過去を可能にするとされているのである。
2. デリダの現象学解釈における未来の役割
次に、「序説」で提示されるデリダの現象学解釈において、未来がどのような役割を果たしているのかを具体的に見ていこう。以下では、「理念化(Idealisierung)」、「体験流全体の把握」、「現象学の理念」という三つの問題を取り上げて、そこで未来との関係、とりわけ「カント的意味での理念」の「先取り(anticipation)」というテーマに与えられている意義を検討する[6]。なお、anticipationは「予期」や「期待」などと訳されることもある語だが、「未だない(pas-encore)」が「すでにそこにある(déjà-là)」という未来との関係一般を指すために、本稿では「先取り」という広い意味をもちうる訳語を主に使用する[7]。
2-a. 幾何学的対象と理念化
「理念化」の問題は幾何学の「起源」の問いとかかわる。幾何学とはフッサールにとって精密学であり、絶対的に理念的かつ客観的な幾何学的対象を扱う学問でなければならない。しかし、そのような対象はどのように把握されるのだろうか。たとえば、ひとはこの世界の内部でさまざまな「丸いもの」と出会うことができるが、完全な「円」は実在することのない理念的なものである。幾何学的対象は感性的世界から切り離されており、その創設は「極限への移行」を要求する。このような「極限への移行」において重要なのは、「どこまでもさらに(immer wieder)」と「以下同様に(und so weiter)」という未来にかかわる意識だとされる。われわれは、完全な円という理念に可能な限り近づくのを想像することはできる。そのような操作において、完全な円の直観が充実した形で与えられることはないが、完全性へと向かう進行のプロセスが「以下同様に」「どこまでもさらに」続いていけば、その無限の先には完全な円が存在するだろうと考えることはできる。つまり、完全な円の理念を先取りすること、事実的には踏破することのできない無際限な過程を踏破したとみなすことはできるのだ[8]。感性的な世界と精密な理念のあいだには「断固たる不連続性」があるが、感性的世界は「志向性の先取り的構造によって、無限近似の理念的かつ不変な極へと乗り越えられる」(OG, 146/213)。このような跳躍による理念の創設について、フッサールは「理念化」と呼ぶ。以上のような議論について、デリダは、幾何学的対象の構成──幾何学の起源──においては、「志向性の予持的な次元および空間一般の構成における未来の次元に、特権が認められなければならない」(OG, 148/214)と解釈する。
理念の先取りは、超越的対象の知覚にも認められる。フッサールによれば、射映からなる事物の知覚は、つねに不完全で、部分的なものにとどまる。ひとは、ある事物の完結した知覚には到達しえない。しかし、そのような対象の完全な知覚は、「理念としてはすでに素描されている」のでなければならない。対象の完全な知覚が先取りされているのでなければ、たとえば机についての多様な射映は、机の射映であることはできないだろうからだ。理念の先取りなしには、射映は無秩序な集積となり、いかなる対象の知覚も与えられることはない[9]。
ここで先取りされる理念の規定は奇妙なものだ。ある理念が、それについての理念であるところの対象そのもの──たとえば完全な円そのもの──は、十全に直観されることはない。だがフッサールによれば、内容を欠いた理念という形式自体は与えられる。『イデーンI』では、「無限性の理念それ自身は無限性ではなく」、無限性の理念は「洞察」されうると語られる[10]。無限なものは直観を超え出ているため、その内容が十全に与えられることはないが、その無限なものについての「理念」という形式は与えられるということであろう。このような理念について、フッサールは「カント的意味での理念」であるとする。カントにおいて理念とは、それ自体が対象として経験的に与えられることはないが、理性によって統制的に使用されるものを指す。デリダによれば、「カント的意味での理念の意識への現前」(OG, 147/213)こそが、極限への移行という理念化の働きを可能にするのである。
2-b. 体験流全体の把握
デリダはカント的意味での理念の先取りを、時間の問題にも認める。より具体的には、『イデーンI』で論じられた「体験流全体」の把握という問題である[11]。すでに見たように、フッサールにおいて、時間意識の顕在的な領域は、瞬間的な今だけではなく、把持と予持という地平を伴っており、「生き生きした現在」とも呼ばれる構造をなしている。では、「生き生きした現在」という時間の運動を、ひとはどのように認識することができるのだろうか。デリダは次のように述べる。
しかしもし、この[生き生きした現在の]運動の統一が無際限なものとして与えられるのでないなら、その無際限性の意味が現在のなかで告知される[s’annoncer]のでないなら、すなわち、無限な未来の開けがそのものとして、[…]生きられた可能性でないなら、この今=保持[maintenance]は決してそのものとして現れることはないし、生き生きした現在でもなく、意識の現象学的意味をもつこともない(OG, 149-150/216)[12]。
この箇所が言わんとしているのは、時間の意味を捉えようとするならば、無際限な時間が統一されたものとして把握されなければならない、つまりその全体が把握されなければならない、ということであろう。さもなければ、時間の本質がいつか変化するという可能性を排除することはできない 。だが、時間はつねに流れ、新たに湧出するものであり、そのような全体としての把握を逃れる。実際フッサールは、『イデーンI』83節において、体験流全体の直観的把握は不可能であると明言している。しかし、先ほどの理念化の場合と同様、ここでも「抜け穴」が見出される。フッサールによれば、体験流全体を直観することは不可能であるが、それが「際限なく続いていく」こと自体は把握できる、つまり体験流が「以下同様」に無際限に続いていくことは把握できるとされる。体験流全体が一度に十全に与えられることはなくとも、体験流は「カント的な理念」を観取するような仕方で統一的に把握されるとフッサールは考えるのだ。ここで問題となるのは、直観的な仕方とは異なる仕方での把握である。デリダは、リクールが強調した区別を援用しつつ、そのような統一は現れることはないが、「告知」され、「思考」されうると論ずる。
時間化の条件である無限性の統一は、それゆえ、現在のなかに現れることなしに、そこに含まれることなしに告知されるのだから、思考されるべきものである。そのものとしての時間の現象化を可能にするこの思考された統一は、それゆえつねに、それ自身はけっして現象化されえないカント的意味での理念である(OG, 150/216)。
時間は無際限に、どこまでも続いていく。それは終わりなき湧出である。時間の全体がわれわれに対して現れることはない。しかし、そのような時間の終わり、あるいは時間の成就を先取りして思考することにより、時間とは何か、時間の本質とは何かという問いに、予め──時間の終わりが来る前に──答えが与えられているのである[13]。
2-c. 現象学の理念と無限の課題
デリダはさらに、このような理念の先取りが、現象学そのものの成立に重要な役割を果たしていると指摘する。ここで問題となるのは、『危機』書などで論じられる理性の歴史の問いである。フッサールは、現象学が目指すべき理念は、「世界についての普遍学、世界つまり即自的世界についての普遍的で究極的な知、真理それ自体の総体[の]実現」[14]であるとしていた。しかし、このような普遍学は「無限の課題」として現われる。無限の課題とはすなわち、実際に完成に至ることはなく、終わりなく継続されるということである。現象学は超越論的哲学の「最終形態」であるのだが、歴史が続く限り、自らの「終わり=目的(fin)」に事実において至ることはありえない。というのも、「絶対的に確固たる客観的な真理認識とは無限な理念である」(OG, 189/275)からだ。実際、普遍的な学問という理念の形式自体はすでに告知されているにしても、その内実は歴史における学問の具体的進展に依存している。理念はどこかイデア界のようなところに予め存在しているわけではなく、事前にその内容を決定することは不可能である。それは事後的な視点にとって初めて、「つねにそうであるべきだったもの」として現れるのだ。「つねにそうであるべきだったもの」が歴史上初めて現れるというこの謎めいた事態に、歴史性の問いの困難さが凝縮されている。おそらくこの点が、フッサールの目的論を摂理論から区別するだろう。
デリダによれば、無限で到達不可能な理念こそが、現象学を基礎づけ、それに最終的な根底を与える。「道」を歩むためには進む方角を決めなければならない。目指すべき理念を先取りして、そこを目指さなければならないのだ。たとえば理念の先取りがなければ、現象学の根幹にある事物の知覚が不可能となり、現象学自体が成立しえないだろう[15]。そのとき現象学は、目的も「方向=意味(sens)」も欠いた彷徨となるだろう。「理念は、現象学が創設され、そのことによって哲学の最終的な志向を成就するための出発点である」(OG, 155/220)。かくして、デリダの解釈において、理念の目的論的先取りという未来との関係こそが、現象学にとって決定的な役割を果たしていることとなる。決してそれ自体としては現前化しえない未来を先取りし、そこを目指す──志向する[16]──ことによって、歴史的現在における現象学の意味、過去の思想家たちの試みの意義に遡行的な仕方で光が当てられるのだ。
デリダは、このような議論に現象学を特徴づける緊張を見出す。一方で彼は、『イデーンI』で提示された「諸原理の原理」に、フッサールの「有限主義」を認める。諸原理の原理とは、有限なる事物が意識に直接現前することを明証性の形式としているからだ。「おそらく有限性のモチーフは、現象学の原理に対して、初めに思われたよりも密接な親縁性をもっている」(OG, 151/217)。これに対して、無限なものは有限な意識を超え出てしまい、決して十全な形で意識に現れることはない。無限な理念について、現象学的な仕方で、すなわち諸原理の原理に則った仕方で記述することはできない。しかしフッサールは、十全に把握しえない無限な理念に重要な役割を認める。彼は、有限主義的な原理への忠実さから、無限な理念を「記述しようと望まず、またできずにいながら、それにもかかわらず」、目的論的理念を「価値の最高の源泉として認め、区別し、措定する」(OG, 154/220)。かくして、現象学は「その原理の有限主義的意識と、内容においては際限なく延期される[différer]が、統制的価値においてはつねに明証的なその最終的創設[Endstiftung]の無限主義的意識とのあいだで、緊張状態にある」(OG, 151/217)こととなる。
デリダはこの問題を、現象学における「地平」概念とも結びつける。理念は無限な地平の終局にある。理念に事実上到達不可能という意味において地平は無限に開かれており、決して閉じることはない。地平は、未来の「無限な開けの無規定性を無傷のままに守る」。しかし同時に、地平のどこまでも同一的な構造において、未来はすでに意識に「告知されている」のであり、ある意味で未来は「つねに‐すでに‐そこに」ある。たとえ実際には地平の果てまで赴くことができなくとも、われわれは地平を見渡すことができ、その極限に権利上移行すること、それを先取りすることができるのだ。このような意味において、地平とは「経験の統一であると同時にその未完成であり、あらゆる未完成のうちに先取りされている統一である」(OG, 123/182)。地平構造において、未完成なものの統一、未完成なものとしての統一が可能となるだろう。
このような地平は抽象的概念ではなく、「生きられた明証に与えられるもの」(OG, 123/182)であるという。デリダによれば、フッサール現象学がカント主義から区別されるのは、前者が地平の構造あるいは無限な理念の先取りを、具体的に生きられ、体験されうるものと考えた点にある。フッサールは現象学が無限な理念を必要とすることを認めつつ、諸原理の原理への忠実さから、決して理念そのものの内容を記述することはしなかった。しかし彼によれば、そのような理念の形式的先取りは可能であり、実際に体験されうることなのだ。「生きられた先取り」こそが、現象学が自らの原理に明確に反することなく語ることができる「最後のもの」、限界現象だということになるだろう──それは、それなしには現象学自体が成立しえないところの限界である。かくしてデリダは以下のように記す。
現象学の最終的創設、その究極の裁判権、現象学にその意味、価値および権利を言い渡すものは、決して直接には現象学の領域には属していない。しかし少なくとも現象学は、具体的な現象学的明証のなかで、またその有限性にもかかわらず自らを責任あるもの[responsable]とする具体的な意識のなかで、自らを告知するかぎりにおいて、[…]一つの哲学のうちで自己への接近を可能にすることができる。フッサールの現象学が出発するのは、徹底的な責任性としての、この生きられた先取り[anticipation vécue]からである(OG, 155/221)。
「生きられた先取り」というこの限界現象について、フッサールはその彼岸を目指しつつも、決して明確にそれを踏み越えることはしなかったのだ。
さて、デリダにとって、現象学とはなによりも「言説の方法」、「語ることの権利」の探求であり、フッサールは「厳密な学」としての哲学という「夢」を見果てることなく追及した哲学者であった。現象学は「いかに(comment)」語りうるのかを問う方法論であり、いつの日にかその方法に基づいて「存在論的」な問いが立てられるべき「予備学」であったのだ──デリダはここで、「歴史的事実性がなぜあるのか」(OG, 167/247)という問いを存在論的問いと呼んでいる。「現象学があらゆる哲学的決断にとっての哲学的予備学として自らを成就するとき」(OG, 167/247)、ひとは「なぜ(pourquoi)」実在や事実が存在するのかという存在論へと移行することが可能となるだろう。若きデリダにとって、厳密な学、方法論としての現象学を引き受けつつ、「存在論的なもの」を思考することは、哲学そのものの「成就」でさえあった。
純粋な事実性そのものを真剣に受け止めることは、それが現象学の可能性の後に続き、現象学の権利上の優先権を前提とするならば、もはや経験主義や非哲学への回帰ではない。 それどころか、それは哲学を成就するのだ[accomplir](OG, 168-169/248)。
しかし、現象学の理念が達成不可能であり、それが無限の課題である以上、現象学の成就は「延期(différer)」され続ける。したがって、存在論的問いはつねに先取りされるにとどまり、存在論的問いが立てられるたびごとに現象学へと送り返されることとなる。現象学と存在論は相互に循環し続けるのであり、両者のあいだには還元不可能な弁証法が存在する。
フッサールは諸原理の原理を尊重しつつ、徹底的に「いかに」して厳密な学が可能となるのかを問うたのだが、そのような道程の果てに、理念の先取りという原理を半ばはみ出すものにつき当たった。つまり現象学は、現象しえないものに依拠せざるをえないことが明らかとなったのだ。ある意味において、現象学は挫折したのであろう。デリダの見るところ、この挫折の原因は「存在の現れに対する言説の遅延」(OG, 170/249)である。存在が必然的に時間的、歴史的なものである以上、存在とその存在についての言説のあいだには必ず時間的隔たり、遅延がある。たとえ、ある存在について真なる言説がなされたとしても、次の瞬間に存在はすでに変様しており、その言説を裏切ってしまう可能性がつねに残る。このような存在に対する言説の遅延のゆえに、言説は「遡行的問い(Rückfrage)」であらざるをえず、現象学の成就は本質的に不可能となる。しかし、デリダは同時に、「遅延が言説としての思考それ自身の運命であるということは、ただ現象学のみが言いえるし、哲学の水準にまでもたらすことができる」とも記す。「なぜなら現象学のみが、無限な歴史性を[…]顕現する存在の純粋な可能性と本質そのものとして出現させることができるからだ」(OG, 170/250)。現象学は還元という方法を徹底することによって、歴史が存在にとって還元不可能であること、つまり存在は本質的に時間的広がりをもつものであることを明らかにした。フッサールは方法論的問いを突き詰めたがゆえに、自身の議論の限界を明らかにすることができた──彼は失敗することに成功したのだとも言えよう。フッサールにとって事実上のものに過ぎなかったこの限界について、フッサールとは別の仕方で思考すること、この限界の意味について思考することが、デリダ思想の重要なモチーフの一つとなるだろう[17]。
3. 現前、受動性、目的論
われわれは「序説」において未来や先取りといったテーマが果たしている役割について検討してきた。そこでは理念の先取りが、現象学を可能にすると同時にその成就の不可能性を記すところの限界現象として論じられていた。最後に、このような「序説」における未来や先取りの問題と、デリダがその後に展開した議論との関係について簡単に見ていきたい。
まず、「序説」の議論と、「現前の形而上学」という問題系の関連を検討しよう。61年に執筆された「序説」において、「現前」の歴史的特権を問題視するという議論はまだ認められない。「現前の形而上学の脱構築」という問題系が明示的に現れるのは、1960年代半ばである。ただ、理念の先取りや予持という議論には、すでに現前の問いの萌芽を認めることができる。第一節で論じたように、予持や投企、先取りといった未来との関係は、遡行的に現在や過去を照らし出すものである。つまり、ある種のバックミラーのような効果によって、未来との関係が現在の構成の一部をなしていることとなる。さらに、第二節で論じた「カント的意味での理念」が直観しえないものであることを考慮すれば、そこで先取りされる未来とは「非‐現前的」なものであるとも考えられるだろう。未来は決して現前化しえないにもかかわらず、そのような未来との関係なしに「現在」はありえないのだ。「現在」は、つねにすでに未来の方へ向かい、現前化しえぬ未来を先取りしてしまっている。何も先取りしない現在があるとすれば、それは絶対的な断絶であり、新たな現在としての未来を迎え入れることさえできないだろう。「痕跡は[…]未来と呼ばれるものとも関係をもち、自己でないものとのこの関係そのものによって現在と呼ばれるものを構成する」[18]。このような意味において、「序説」で展開された未来についての議論には、後の現前に対する問いかけを「先取り」している点があると言える[19]。
しかし、少なくとも60年代後半のテクストにおいて、未来との関係が現在の構成にとって重要であるという点は、さほど強調されていない。そこでは、レヴィナスやハイデガーなどに由来する「痕跡」という語や、精神分析の「事後性」というテーマが頻繁に言及され、現在と過去との関係が主に論じられている。「序説」においては予持や先取りというテーマが大きな役割を果たしていたのに対して、60年代後半のテクストではそれらは目立たなくなる。この点について、『グラマトロジーについて』では以下のように記されている。
[…]時間化の分解不可能な総合において、予持は把持と同じぐらい不可欠なものである。それらの二つの次元は、単純に付け加えられるのではなく、奇妙な仕方で一方が他方に含みこまれている。予持において先取りされるものは、痕跡において把持されているものがそうするのと同様、現在の自己同一性を脱臼させる。確かにそうだ。しかし、先取りを特権化することには、時間と呼ばれる根底的受動性、〈つねに‐すでに‐そこに〉の還元不可能性を抹消する危険が伴うだろう[20]。
デリダは、未来への関係もまた、「つねに‐すでに‐そこに」あるもの、つまり根底的に受動的なものであると考えていた。われわれは、つねにすでに未来へと向かってしまっているのであり、つねにすでに未来を先取りしている。しかし、先取り、予期、期待といった未来との関係には、どうしても主体の能動的行為というニュアンスが伴いがちなように思われる。必然的で受動的なものとされる過去との関係に対して、未来への関係は「自由な選択」や「決断」に結び付けて論じられることが多い。事実、実存主義などの議論では、しばしば自由や可能性が未来を特徴づけるものであった。60年代末のテクストにおいて、デリダが未来について積極的に語るのを差し控えたとすれば、おそらくそれは、人間の自由を強調しがちな実存主義、実存主義的なハイデガー理解といった、同時代の議論と距離を置きたかったからであろう。「序説」におけるデリダの議論──「投企」された未来から現在や過去が明らかになるという議論──は、『存在と無』におけるサルトルの議論などと類似している点があるように思われる。ハイデガー読解の深まりと共に、そのような議論との差異を明確にし、受動性を強調する必要性を感じたがゆえに、60年代後半のテクストにおいて未来というモチーフは後景化したのではないだろうか[21]。デリダが未来について再び積極的に語るようになるのは、実存主義の隆盛がすでにある程度過去のものとなった80年代や90年代のことである。そこでも彼は、予測しえない未来の到来という、未来との受動的関係を強調することとなる。
おそらく、過去との関係を論じることには、「つねに‐すでに‐そこに」という受動性の契機を強調しやすいという利点があるように思われる。これに対して、未来について論じることの利点は、非‐現在の現在に対する根底的他性が明確になるという点ではないだろうか。未来は過去よりも表象しがたく、本質的に捉えがたいものであるとしばしば考えられている。未来とは根本的に他なるものである。デリダの時間についての議論において、受動性と他性はともに重要なテーマである。ある意味で彼は、過去を未来のように、未来を過去のように思考したのだとも言えるかもしれない。
加えて、1960年代後半のデリダのテクストでは、「目的論」という概念への批判も明示的な形でなされるようになる。確かにデリダは、フッサールが理念を事実上到達不可能な無際限なものとして捉えていたこと、すなわち「パルーシアの充実」や「肯定的無限の充実した現前」を信じていなかったことを、ある程度評価していた。目的論的理念が決して成就しないと考えることは、哲学が終わりなく無際限に続くと考えることであり、ある意味では「起源的有限性」を尊重することである[22]。しかし『声と現象』においてデリダは、フッサールにおける目的論のテロスは「現前としての存在というテロス」[23]であり、「現象学の言述全体は、差異を派生的なものにしようと絶えず四苦八苦するところの現前の形而上学の図式に捉えられている」[24]と断ずることとなる。目的論的理念は、たとえ実際には現前不可能であるとしても、少なくとも権利上は現前しうるもの、そして現前すべきものなのだ。
理念が到達不可能である以上、現象学は無際限に開かれたものである。しかし、その開かれた空間は理念的な起源と目的という両端によって規定された地平構造をなしており、地平の中でしか出来事が生じないという意味では、開かれると同時に閉じてもいる──開かれていることにおいて閉じている。地平の構造は事実上無際限であるとしても、「どこまでもさらに」の「退屈さ」によって、権利上はその始まり/終わりを取り戻し/先取りすることができる。地平とは、始点と終点がいまだ一致していない円環、可能態における円環であるとも言えるかもしれない[25]。このような観点から、『声と現象』の末尾においてデリダは、フッサールの目的論がヘーゲル主義的な絶対理念の運動に回収されざるをえないのではないか、と問う。無際限に開かれていると同時に閉じている歴史の「閉域(clôture)」[26]に対して、デリダは閉域の彼方、地平の外部の可能性を探求することとなる。彼がハイデガーから受け継いだ「存在‐神論(onto-théologie)」の批判は、「存在‐神‐目的論(onto-théo-téléologie)」の批判となる。思惟は終わりなきものであるのみならず、目的を欠いた「運命彷徨(destinerrance)」となるだろう。
本稿で見てきたように、「序説」においてすでに、未来との関係には重要な役割が与えられていた。しかし、1960年代半ばにおける「現前の形而上学」という問題系の導入とともに、未来の性質が再考されることとなる。そこではもはや、目的論的理念としての未来ではなく、現在とは根底的に異なる未来、もはや「未来の現在」ではないような未来──地平の外から到来する出来事──が問われることとなる。80年代以降の議論において、デリダが「来たるべきもの(à-venir)」の予期しえない出来事的性格を強調するようになったことは、よく知られている。ただし、そのような議論と「序説」における未来のテーマとのあいだには断絶がある、とまでは言えないようにも思われる。というのも、目的論が批判されるときにおいても依然として、予見しえないものとの「関係」、すなわち「先取りしえないものの先取り」といった事態が問題であるからだ。地平の外から到来する未来は絶対的に予見不可能なままにとどまる──しかしながら、そのような未来との関係が、「今、ここ」において、切迫した形ですでに生じてしまっているのである。『弔鐘』においてデリダは、「われわれは原則として、目的論的先取りを避けることも受け入れることもできない」と語っていた[27]。確かに、出来事はわれわれの不意を打ち、われわれの予期は必ずや裏切られていたということとなるだろう。しかし、われわれはつねにすでに未来と関係をもってしまっており、未来へと向かってしまってもいる。不意を打たれるのはすでに待機をしていたからであり、裏切られるのは確かに希望をもっていたからである。予見不可能なものを思考すること、不意を打つものを探し求めること、デリダの試みはこのような不可能事を要請することとなるだろう。
* * *
本稿では、「序説」における「未来」の問いを中心に論じてきた。「序説」において、予持や投企という未来との関係は、現在や過去の理解を遡行的に刷新するものとして理解されていた。未来とは、ある意味で、現在や過去にとって不可欠なものであるのだ。デリダによれば、このような未来との関係は、カント的意味での理念の先取りという形で、現象学においてきわめて重要な役割を果たしている。無限な理念の目的論的先取りこそが、現象学を成り立たせているのである。しかし、理念は十全に現前せず、先取りされるものにとどまる以上、現象学の成就はつねに延期される。「生きられた先取り」こそが、現象学が最後に語りうる限界現象となるだろう。方法論的問いを突き詰め、このような限界に突き当たってそれを明らかにした点に、デリダは現象学の意義を認めたのだと考えられる。
61年の「序説」における未来についての議論には、60年代後半のテクストにおいて確立される現前の問いをすでに「先取り」する面があった。しかし、60年代後半のテクストにおいて未来への言及は目立たなくなり、未来について再び積極的に論じられるようになるのは80年代以降のことである。このような議論の変化には、受動性と能動性の問題、実存主義などとの関係、目的論に対する評価の変化などがかかわっているだろう。「序説」における未来の議論は、現前しえない未来とのかかわりに大きな意義を認めている点で、後の現前の脱構築という問題系をすでに予告していた。しかし、未来との関係がある種の能動性を想起させざるをえない点、またカント的意味での理念も結局のところ権利上は現前すべきものである点などから、未来というテーマは別の形で語られなければならなくなったのだと考えられる。本稿の成果を踏まえ、デリダの「未来」についての議論をより包括的に検討することが今後の課題である。
80年代以降のテクストにおいて未来の問いが「回帰」してくるとするならば、それは非目的論的なもの、予見しえないもの、つまり怪物的なものとして戻ってくることとなるだろう。そのような予見不可能な未来は、しかしながら、67年の『グラマトロジーについて』の冒頭ですでに予見されていたようにも見受けられる──そして、これらすべてはすでに過ぎ去ったことに属しており、あたかも一つの宿命であったかのようにわれわれの前に残されている。おそらく、事後的には宿命とも見えるものが胚胎していたはずの、予見不可能であった未来の痕跡について思考することが問題となるだろう。
未来[avenir]は絶対的危険という形でしか先取りされえない。それは、構成された正常性とは絶対的に縁を切るものであって、それゆえ、一種の怪物性としてしか自身を告知し、現前させることができない。この来たるべき[à venir]世界、[…]ここにわれわれの前未来を導入しているところもの、こういったものにたいして、銘はまだ存在していない[28]。
Notes
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[1]
「未来」と訳しうるフランス語にはavenirとfuturがある。デリダは、『マルクスの亡霊たち』(1993年)などでは両者を使い分けているが、初期のテクストにはそれらの明示的な使い分けは認められない。本稿では両語を明確に区別せず「未来」と訳する。
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[2]
Jacques Derrida et Bernard Stiegler, Échographies, Paris, Galilée, 1996, p. 29(『テレビのエコーグラフィー』原宏之訳、NTT出版、2005年、38ページ).
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[3]
「幾何学の起源「序説」」について、本稿では「序説」と表記する。『幾何学の起源』のフランス語訳および「序説」の出典指示は、本文中丸括弧内にて略号OGを用い、フランス語版、日本語訳の順にページ数を示す。Derrida, « Introduction à L’origine de la géométrie», dans Edmund Husserl, L’origine de la géométrie, Paris, PUF, 1962(「幾何学の起源「序説」」田島節夫ほか訳、青土社、2003年).
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[4]
デリダにおける未来というテーマ一般を扱った研究としては、次のものがあげられる。Neal DeRoo, Futurity in Phenomenology, New York, Fordham University Press, 2013. なお、本稿では紙幅の関係もあり、フッサールのテクストに立ち返ってデリダの議論の現象学解釈としての成否を問うことはできない。
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[5]
われわれは「序説」における「生き生きした現在」の解釈について、すでに論じたことがある。桐谷慧「「『幾何学の起源』序説」におけるデリダの「生き生きした現在」の解釈について」、『フランス哲学・思想研究』第28号、2023年、189-200ページ。
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[6]
「序説」では、「純粋な一義性」という理念も現象学における「カント的意味での理念」の例として提示されている。この点については、以下が詳しい。松田智裕『弁証法、戦争、解読 前期デリダ思想の展開史』法政大学出版局、2020年、149-165ページ。
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[7]
「未だない」と「すでにそこにある」の関係について、デリダは以下で論じている。Derrida, Glas, Paris, Galilée, 1974, p. 244-245.
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[8]
興味深いことに、ルノー・バルバラスは「閉域(clôture)」という語を用いて、次のように述べている。「無限なものをカント的意味での理念にするということは、[…]、有限化を生じさせずに無限なものの閉域を思考することである」(Renaud Barbaras, Introduction à la philosophie de Husserl, Paris, La Transparence, 2004, p. 115)。
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[9]
デリダが引用する『イデーン』の表現によるならば、超越的で自然的な物は、「ひとまとまりの完結した意識のうちでは決して完璧に規定されかつ同じく完璧に直観されて与えられえない[が…]、(カント的な意味での)『理念』としては完全な所与性が予示されている 」(Husserl, Husserliana III/1, Haag, M. Nijhoff, 1950, S. 331(『イデーンI-II』渡辺二郎訳、みすず書房、1984年、303ページ))。
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[10]
Cf. Ibid(同前、304ページ).
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[11]
デリダは『発生の問題』においてすでにこの問題に言及していた。 Derrida, Le problème de la genèse dans la philosophie de Husserl [1954], Paris, PUF, 1990, p. 165-172(『フッサール哲学における発生の問題』合田正人・荒金直人訳、みすず書房、2007年、165-173ページ).
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[12]
この直後にデリダは、「死は意味としてではなく、時間化の運動に外的な事実として理解されることになる」と、やや唐突に「死」の問題を持ち出している。「生き生きした現在」という時間が無限に続くことを想定し、その全体を先取りするならば、死を本質的な意味をもたぬものとみなすことが帰結するだろう。フッサールの時間概念では死を根源的な仕方で思考することができないという批判は、やがて『声と現象』などで深められることとなる。
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[13]
1) 「ウーシアとグランメー」においてデリダは、ヘーゲルの時間概念を取り上げつつ、時間の意味や本質について問いが立てられるとき、すでに時間の「成就(accomplissement)」が先取りされているのではないかと問うている。そこでは、時間を成就させ終わらせることなく、時間の意味や本質について問うことが可能なのかという、ラディカルな問いが提出されている。 Cf. Derrida, Marges – de la philosophie, Paris, Minuit, 1972, p. 60(『哲学の余白(上)』高橋允昭・藤本一勇訳、法政大学出版局、2007年、281-283ページ). また、「序説」においても、理念の「超時間性とは汎時間性のこと」(OG, 165/245)であるとしたうえで、超時間性や汎時間性とは「時間そのものの諸性格」であると述べられていた。すなわち、時間の本質は汎時間的であると同時に、すでに超時間的──ある意味では非時間的──でもあるということだろう。デリダは、超時間性と汎時間性の時間的統一こそが、「事実性と本質性、世界内性と非‐世界性、実在性と理念性、経験と超越論性などを統一する基礎である」(OG, 165/245)と記している。
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[14]
Husserl, Husserliana VI, Haag, M. Nijhoff, 1954, S. 269(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』細谷恒夫・木田元訳、中公文庫、1995年、474ページ).
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[15]
しかし、この理念が実際に達成されてしまえば、それもまた現象学を不可能にするのではないだろうか。絶対的に客観的な学問なるものがありうるとすれば、それは絶対的硬直という死の別名ではないだろうか。理念は現象学を可能にすると同時に、それを不可能にするものでもあろう。
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[16]
デリダは、現象学の理念や歴史性の問いとは「志向性の発見を厳密に発展させたもの」(OG, 166/246)であると捉える。なお、ここでは直観と志向性が対比させられているが、両者の区別は『声と現象』の第7章においても重要な役割を果たすこととなる。この点については、以下も参照せよ。Raoul Moati, Derrida et le langage ordinaire, Paris, Hermann, 2014, p. 235-254.
-
[17]
デリダは後年のインタビューにおいて、フッサールについて、「可能な限り[…]自身の公理と方法論を維持しつつ分析を綿密に行い続けたことで、その公理や方法論の限界や失敗、手直しが必要な場を示してくれた」と語っており、それは哲学として「尊敬すべき事例」だとしている(Derrida, Papier Machine, Paris, Galilée, 2001, p. 377(『パピエ・マシン(下)』中山元訳、ちくま学芸文庫、2005年、348ページ))。デリダは、「方法」という語自体は問いに付しつつも、方法や戦略の問いに大きな重要性を認めており、「厳密な学」を目指すものという現象学の一面に忠実であり続けたように思われる。たとえば、彼のレヴィナスに対する問題提起の中心にあるのは、レヴィナスの企図の意義そのものというよりは、その企図が「いかに」言説において可能になるのかという問いであった。当時のフランスにおいて、後期フッサールが論じられる際には、「生活世界」の概念などが強調され、前期の立場からのある種の転回が語られることが多かった。「序説」の特徴は、『幾何学の起源』という晩年の草稿を、「言説の方法」というフッサールの一貫した探究の「範例」として捉えている点に認められるだろう。ある意味で、デリダはフッサール現象学の方法論としての側面を突き詰めようとしたのだ、とも言えるかもしれない。ただし、このような方向性は、現象学の具体的分析にその可能性の中心を見出し、新たな現象学的実践を実際に行うことに重点を置く者たちにとっては、物足りなく映ることもあるかもしれない。
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[18]
Derrida, Marges, op. cit., p. 13(『哲学の余白(上)』前掲書、54ページ).
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[19]
この点については、次も参照せよ。亀井大輔『デリダ 歴史の思考』法政大学出版局、2019年、108-112ページ。
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[20]
Derrida, De la grammatologie, Paris, Minuit, 1967, p. 97(『グラマトロジーについて(上)』足立和浩訳、現代思潮社、1972年、136ページ).
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[21]
『存在と時間』の影響のもとに未来を論じるという姿勢は、サルトルやコジェーヴ、コイレ、イヴォンヌ・ピカールなど多くの論者に認められる。たとえばサルトルは、「序説」と一定程度類似した論理によって、私による未来への「投企」が私の過去の意味を決定し、過去を「救う」のだと語っていた。 Jean-Paul Sartre, L’être et le néant [1943], Paris, Gallimard, « tel », 2003, p. 543-544(『存在と無III』松浪信三郎訳、ちくま学芸文庫、2008年、180-181ページ). デリダが実存主義や実存主義的なハイデガー読解について、その「主意主義」的傾向などを明確に批判するようになるのは、60年代半ばの『ハイデガー講義』以降のことであると考えられる。Cf. Derrida, Heidegger. La question de l’Être et l’Histoire (1964-1965), Paris, Galilée, 2013, p. 275, 281-282(『ハイデガー 存在の問いと歴史』亀井大輔ほか訳、白水社、2020年、259、266-267ページ).
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[22]
Derrida, L’Écriture et la différence, Paris, Seuil, 1967, p. 176(『エクリチュールと差異〈改訳版〉』谷口博史訳、法政大学出版局、2022年、251-252ページ).
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[23]
Derrida, La voix et le phénomène [1967], Paris, PUF, 1993, p. 6-7(『声と現象』林好雄訳、ちくま学芸文庫、2005年、16ページ).
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[24]
Ibid., p. 114(同前、228ページ).
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[25]
ヘーゲルの論理学において、「悪無限」が引き起こす無限進行は、その「退屈さ」のゆえに、すでに自己のもとに回帰しており、「真無限」へと止揚される。フッサールは、「どこまでもさらに」という意識こそが極限への移行による理念化を可能にするとしていたが、これは、ヘーゲルにおける悪無限から真無限への移行という論理と類比的ではないだろうか。当初フッサールの無際限性を起源的有限性として肯定的に論じていたデリダが、60年代半ば以降その議論を複雑化させたのは、彼のヘーゲルの無限論読解が深まったこともその理由の一つだと考えられる。
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[26]
「序説」において「閉域」という語は、有限な閉じた全体性を指すために用いられていた( OG, 140-141/208-209)。しかし、『グラマトロジーについて』や『声と現象』では、同じ「閉域」という語が、無際限なものの全体、無際限な全体性を指すために用いられているように見受けられる。このような「閉域」という語の意味の変化にも、デリダにおける無限概念の理解の変化が関係していると考えられる。
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[27]
Derrida, Glas, op. cit., p. 12.
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[28]
Derrida, De la grammatologie, op. cit., p. 14(『グラマトロジーについて(上)』前掲書、18-19ページ).
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桐谷 慧「理念と先取り——初期デリダにおける「未来」の問題」 『Résonances』第15号、2024年、ページ、URL : https://resonances.jp/15/idee-et-anticipation/。(2024年11月21日閲覧)